愛は環状線に乗って

 灰皿に積み上げられた煙草の山のバランスを気にしながら、そこに新たな吸い殻を差し込む。やっぱり覚悟しておいて良かった。
 アイツらにしっかり休めとか遅刻するなとか言いはしたが、このままだと俺が危ない。が、これくらいの無理は俺が背負うべきだ。
 そうしてまた新たな煙草に火を点けようと口に咥えた時、控えめなノックが来訪者を告げる。

「こんばんはー」
「みょうじ? こんな時間にどうした?」

 母ちゃんがノックなんて珍しい――扉の向こうの人物を勝手に母親と決めつけ呑気に返事を返せばその相手はまさかのみょうじで。見られて困るモノは置いてないが、それでも敷きぱなしの布団や散らばる本を見られ羞恥心がこみ上がる。
 その羞恥心さえも隠しながら出入口付近でみょうじを迎えると「これ、差し入れ」と差し出すのは見慣れた大きさの袋。それを受け取り、中に入った容器を見た時は思わず吹き出してしまった。

「飲みモンは変わっても食べモンは変わらねぇんだな」

 ブラックコーヒーや栄養ドリンクと飲み物はバラエティーに富んでいるが、食べ物だけはレギュラーメンバーである。じんわりと疲れが解れるのを感じながらみょうじに笑いかけるとみょうじは珍しく顔を真っ赤にして「だって烏養が好きって言うから……!」と慌てている。

――コイツ、可愛いな

 今度の笑みは可笑しさではない。こみ上げてくるみょうじへの気持ちが口角を上げさせた。その事実を認めはするが、すぐにきゅっと唇を引き締め「あんがとな。あともうひと踏ん張りだから、コイツらをお供にさせて貰うな」と礼を言って扉を閉めた。

「明日も応援、頑張るから」

くぐもった声ではあったがみょうじの声援はしっかり俺に届いている。俺たちも精一杯頑張ろう。



 迎えた第3回戦。今日の敵はシード枠で勝ち上がってきた青葉城西。伊達工も強かったが、青城は去年ベスト4の実力。正直、めちゃくちゃ手強いが青城を倒して更には白鳥沢をも倒さねぇと音駒との再戦は出来ねぇ。
 これは私情になるが、音駒とゴミ捨て場の決戦をもう1回やりたい。俺自身のリベンジもあるし、じじいの為でもある。それに、コイツらだってそれは同じだろう。
 だからこの試合、絶対勝つぞ。
 
 ウォームアップを終えて試合が始まる間際、観覧席に居たみょうじと目が合い、みょうじが親指をぐっと立てて応えてくる。
 明日の試合はどう転んでもみょうじに見せることは出来ない。だから今日の試合、勝っても負けてもみょうじの心に残るような試合にしてみせる。それが俺の恩返しだ。





「お疲れ様! いい試合だった! 本当に、ほんっとうに、お疲れ様!」

 ショックを隠しきれていない部員に向かって観客席に居るみょうじたちの激励が飛ぶ。
 コイツらは出せる限りの力を出し切った。それこそ、本当にあと1歩だった。
 それでも、負けは負け。悔いがないといえば俺も嘘になる。ただ、俺は部員じゃねぇ。コイツらを引っ張る立場に居る大人だ。コイツら以上に悔しい顔なんてしちゃいけねぇし、誰よりも早く前を向く必要がある。

「よしじゃあ飯行くぞ」

 一通りのミーティングを終え、戸惑う部員を引きつれ向かうは居酒屋おすわり。

「おばちゃん悪い。開店前に」
「なぁんのぉ〜こんなの前はしょっちゅうだったじゃないの」

 おばちゃんの言葉に苦笑を浮かべ畳に座る。机を囲う部員には悔しさや戸惑いが浮かんでいるのが分かる。食べる気分じゃないと思うかもしれない。だけど、食事っていうのは自分が思っているよりも大事で、欠かせないものなんだ。成長途中のコイツらを、俺がもっと強くしてやりたい。

「だから食え。ちゃんとした飯をな」

――食え 食え 少しずつ でも確実に――強くなれ 



 部員と解散した帰り道、嶋田に今日のお礼を込めて連絡をすると労いの言葉と共に試合終わりのことを聞かされた。

「部員のヤツらには笑顔向けてたけどさ、帰りの車内号泣しまくり」
「みょうじがか?」
「おう。そんで、最後に見た試合があの試合で良かったって言ってたよ」

 嶋田との電話を切ってすぐさまみょうじへと電話をかけたが、コール音のみ。メールする手も考えたが今は声が聴きたい。一度止めた足を再び前へと進め、俺はみょうじの家へと向かって歩き出した。






「あら、烏養さん家の! なまえのこと雇ってくれてありがとうね」
「いえ。こちらこそ、なまえ、さんには随分と助けてもらいました。……あの、なまえさんは今いらっしゃいますか?」
「それがねぇ、あの子ったら明日の荷造り終えたら倒れるように寝ちゃって」

 アンタが試合したのってくらいクタクタでね――そう言って笑うおばさんに挨拶をして再び歩く帰宅路。本当だよ、お前が運動したワケじゃねぇだろ。何寝てやがんだ。お前の声が聴きたいとか思った俺の純情返せよ。家まで押しかけてクソ恥ずかしい。

……にしても、マジでもう会えねぇのか? それはあんまりだろ。せっかく数年ぶりに会ってこうして関わることが出来たのに。その最後がコレなのは絶対後悔しちまう。……きちんと話をしよう。みょうじが東京に帰っちまう前に。――後悔をしない為に。



「おかえり繋心。試合、お疲れ様」
「おう」
「夕方、なまえちゃんが“お世話になりました”ってき挨拶来たわよ。本当に良い子よねなまえちゃん。もうずっとここで働いて欲しいくらい」
「……へぇ」

 俺は会ってないのに母ちゃんは会ったんか、なんて子供染みた嫉妬心が顔を覗かせる。おもしろくないという感情を隠しもせず煙草をふかし拗ねていると「あ、それでコレをアンタに渡してって。最後の差し入れだから味わって食べるように、だって」と息子の様子など露知らずな母親から手渡された風呂敷。

 詰められた中身はもう見なくても分かる。それでもはやる気持ちがせり上げ、まだ半分以上残る煙草を灰皿に押し付けて部屋へと駆け出す。

「もう見飽きたっつーの……」

 いくら好物といえど、そんなに頻繁に食べようと思う訳ではない。それでも、みょうじが作るコレだけは何度食べたって飽きない。美味しそうに染まった玉こんにゃくを1つ摘まみ咀嚼する。あぁ、やっぱうめぇ。母ちゃんが作るのもモチロンうめぇけど、みょうじが作るのはまた違った味わいがある。……もっと食いてぇ。あの日、一緒に食った晩メシだってまた食べたい。みょうじと食べるご飯は今まで食してきたご飯の中でも格別に美味しかった。

 またみょうじと会えなくなる。それを拒否する自分はもう何年も前から存在していた。学生の頃はそれが後悔に繋がるとも知らずに手放した。……でも、今はちげぇ。時は遅くない。至る所に青山があったとしても、俺はみょうじに側に居て欲しい。




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