在りし日の分かれ道

 学生時代、女同士の会話に聞き耳を立ててみても、聞こえてくる内容のほとんどは恋愛の類だった。

 誰が好き、どんな顔が好み、とか。日常的に行われる恋愛話にはいつしか興味がなくなり、耳に入ってきたとしても右から左へと流すのが常になっていた。だけど、それはみょうじの恋愛話となれば話は違った。
 1・2年と同じクラスだったみょうじとはそこそこ話す間柄だったし、友人としてみょうじが誰が好きなのか気にもなったし、それ以上の感情があったことも今なら認められる。

「えっ、私も言うの?」

 みょうじの戸惑った声だけに寝たフリをしながら傾聴した。「当たり前じゃん。私達全員言ってるんだもん。なまえも言いなさい」そう追撃するクラスメイトを応援しながら、みょうじの口からは誰の名前が出るのかと、突っ伏した瞳をガン開きにしてみょうじの言葉を待った。

「……じゃあ、口にするのは恥ずかしいから。書く」

 カリカリ、と短めに響いたシャーペンの音の後「え、意外」という声があがった。意外? みょうじからは想像出来ない相手? 一体、誰の名前を書いたんだ?
 俺の浅はかな心を見透かしたような方法で、周囲に意中の相手を知らせたみょうじにもどかしい思いがした。

「そう? てか次移動だよ! 早く行こっ」

 自分が渦中にいるのが恥ずかしいのか、みょうじによって切り上げられた会話。未だに甲高い声をあげてはしゃぐ女子生徒の声が遠のいていく。
 俺もそろそろ行かねぇと――そう思い、声が消えた辺りで机から顔をあげ、先程まで会場にされていたみょうじの机を横切った時、走り出した別の男子生徒の体がみょうじの机にぶつかり、その衝撃によって2つ折りにされた紙がひらりと落ちてしまった。
 
 手前にあったことを察するに、たった今突っ込んだ紙なのだろう。

 いけないとは分かっていたが、欲望に負けてしまった。年頃の女が恋愛事に関心を覗かせるのと同じように、年頃の男だって恋愛事に興味がある。
 いかがわしい本を開くような気持ちで、裏返ったソレを表に向けて盗み見た中身。そこには走り書きされた黒い文字で“K・U”と書かれていた。

「けー、ゆー?」

――アルファベットで表すと“K・U”になる人物。

「けいしん うかい……」

……いやいやいや。自分で言っておきながらすぐさま首を振って否定した。確かにこのクラスで“K・U”になるのは俺だけだ。でも、だからと言ってそんなハズは……。

 立ち尽くしていると授業開始のベルが鳴り、慌てた俺はその紙をポケットに仕舞って教室を走り去った。

 心に、ほんの僅かな希望を灯しながら。



 みょうじが周囲に好きな人の名前を打ち明けた後、バレー部の試合に友人と共に顔を出すようになっていった。そのことにまたしても希望を灯したが、それが消えてしまうのにそう時間はかからなかった。
 周囲のアシストもあって、バレー部の花形としても名高い上野先輩と親しくなっていく姿を見せつけられたからだ。

 意外だと言った女子生徒の気持ちも分からなくもなかった。それまでみょうじはバレー部の試合に足を運ぶことはなかったし、学校全体でもイケメンでモテていた上野先輩に、関心を抱いている様子がなかったからだ。それもただの照れ隠しだったのだろうと親し気に話す様子を見て納得したが。

 上野先輩の好みも同じ部活に属していれば知る機会は沢山あったし、丁度その頃上野先輩が彼女と別れたばかりなのも知っていた。みょうじは先輩好みの顔立ちをしていたから、上野先輩がみょうじを意識することは容易に想像出来た。

 みょうじが上野 啓介と付き合いだしたのはそれから半年後のことだった。



「みょうじは進学どうすんだ?」
「んー……地元か東京かで悩んでる」

 3年でもまた同じクラスになったみょうじとは相変わらずそこそこ話す間柄のままだった。進路相談が行われた日の放課後、偶然同じ日に順番が巡ってきたみょうじと2人きりになった時、なんとなく尋ねた進路。
 東京に行くか迷っているのは、交際相手が東京の大学に進学したからだということは訊かなくても分かった。

「あっちの方が就職もしやすいだろうし」
「上野先輩はなんて?」
「こっち来るなら一緒に住まないかって」
「……ふーん」

 みょうじと上野先輩が付き合ってもう何ヶ月も経っているのに、仲睦まじい様子を感じる度に暗い気持ちが俺を襲った。それを誤魔化すように唇を尖らせながら相槌を打つと「烏養ならどうする?」と質問し返された。

「どうするもなにも……行けばいいじゃねぇか」
「一緒に住むべきかな」
「さぁ。まぁでも上野先輩優しいし、ちゃんと将来見据えて提案してくれてんじゃね?」

 俺なりの虚勢と見栄と張って、みょうじのことを考えた風な言葉を言うとみょうじは「……そうだよね。うん」と少し寂しそうに頷いていた。今思えば、こっちに帰ってきてから何度か浮かべている笑顔と同じだった。

 結局みょうじは上野先輩の後を追って上京し、そのまま東京の大企業へと就職したことを人伝てに訊いて俺とみょうじの縁はそこで途切れたと、つい数週間前まで思っていた。






「花の青春時代を捧げたのに、この仕打ちですかってカンジ」

 そんなみょうじが今、数年の時を経て俺の隣で俺の教えを守るようにそらまめを凝視しながら上野先輩の話をしている。

 想像出来なかった光景だと、変な感慨に耽りながらみょうじの隣でそらまめを選別しハサミを入れる。

「あっち行ったら同棲は出来ないって言われて、必死にバイトしながら食いつないで、やっとそれなりの企業入って稼ぎも出た頃ようやく同棲始めたかと思えば浮気ですよ」

 ありがち過ぎるっつーの、とハサミでそらまめを切りながら嘲笑するみょうじ。確かにありがちな展開ではあるが、それでも喰らう衝撃は計り知れないだろう。
 それこそ、ずっと好きだった相手に裏切られるというのは精神的苦痛も大きいハズ。一緒の空間に居たくなくて、宮城に帰ってきたみょうじの心を思うとやるせない気持ちがこみ上げた。

 だからといって、俺になにが出来る訳でもないけれど。

「1回くらいって思って流すべきかもだけど、やっぱり私の中では“1回でも”嫌なの。変だよね、私元々啓介のことそんな好きじゃなかったのに」

 俺はあの時、好きな人の名前として上野先輩を書いたことを知っている。それでも、これもみょうじの強がりなのだろうと触れるのはやめておいた。

「ちょっと距離を置いて、じっくり考えるつもり。これからどうしたいのか」
「軽いこと言えねぇけど。みょうじの気が済むまでここに居ればいいさ」

 今度はすんなりと出た本音。違和感なく出せた本音に半拍遅れの気恥ずかしさがやってきたが、「うん。やっぱり烏養は優しいね。ありがとう」と笑うみょうじを前に、取り繕うことは出来なくて。ただひたすら2人してそらまめ収穫に勤しんだ。




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