例えば絶対値とか

 風呂を先越された俺は煙草を消した後、ちゃぶ台に転がる空き缶を潰し片していた。これが終わったら部屋着取りに行かねぇと。……アイツに合うサイズあるかな。身長差はあの頃と変わってないし、俺の丈に合わない部屋着は捨てるか知り合いにあげるかしてるしな……。と貸し出せる部屋着に頭を悩ませている時。俺の携帯とは違った音を立てて、見慣れない携帯が画面を点灯させた。

「アイフォンってやつか……」

 最近、若者がよく使っている携帯がここにあるということは消去法で考えればみょうじのモノであることが分かる。さすが東京在住。流行を取り入れるのが早い。にしてもこの携帯、画面でけぇな。こっちのがやっぱ見易いか?
 最新型の携帯を眺め、今度は自分のオンボロ携帯を思い浮かべているとまたみょうじのアイフォンが点灯して、反射的に視線を誘導させる。しかも今度は着信のようだ。時刻は午前3時20分。夜中にかけてくるのはよほど緊急の用事かもしれないと思い、アイフォンを手にし着信相手を確認した時、ピシリと心が冷たくなるのが分かった。

「啓介……」

 上野 啓介。先程みょうじが口にした相手――みょうじの彼氏の名前だ。こんな時間帯にどうして。というか鳴っているところで俺はこれをどうすればいい? 風呂場まで行くのもちげぇし、俺が出るとぜってぇ厄介なことになる。かといってこのままにするのも不親切だし……。悩んでいると着信はすぐに途絶えてしまった。
 そのまま画面が切り替わるとそこには緑色のメッセージが表示されており、そのどれもが「戻って来て」とか「俺が好きなのはなまえだ」とかそういった類のもので慌てて画面を伏せた。

 みょうじが帰ってきた時から疑問ではあった。有給消化はわざわざ宮城でなくてもいいのでは? それこそ、追いかけるほど好きだった相手がいるのならば東京で過ごせばいいのに。それをせずみょうじは有給の全てを宮城で過ごそうとしていたこと、こっちに来てから1度も上野先輩と連絡を取ろうとしていないこと。
 もしかすると上野先輩と何かあったんじゃないか。その疑問は早い段階で抱いていた。ただ、それを確認する間柄でもないし、突っ込んでいい領域でもないと自重していた。だけど少なからずそれらしき事情を知ってしまった今、俺はどうすべきだろう。

 俺の少ない恋愛経験じゃどうしようも出来ねぇ。またしても情けなさを感じて冷蔵庫から取り出したコーヒーを一気に飲み干し、とりあえず自室のタンスへと向かうことにした。



「部屋着ありがとね」
「おう」
「にしても上も下も裾捲んないと手足出ないとかめっちゃウケる」
「みょうじはチビだからな」
「ハァ? 違いますぅ〜。烏養が私より数センチ背が高いだけですぅ〜」
「言い方変えただけだろチビ助」
「乙女に向かってチビ助とはっ!」

 風呂から上がったみょうじと軽口を交わし、交代で風呂に向かう隙間に「そういやアイフォンだっけ? 携帯、鳴ってたぞ」そう入れ込み、そそくさと風呂場に向かうことにした。やっぱり俺はずる賢い大人になっちまった。言い逃げするような言い方でしか告げ口できねぇ。
 訊きたいことを訊く勇気もないなんて。あの頃の俺が知ったら幻滅しちまうだろうな。



「ね、そらまめ収穫私も手伝っていい?」

 風呂からあがり、まだ少し水分を含んでいる髪の毛をゴシゴシとタオルで拭っているとみょうじがそらまめ収穫をやりたいと言い出した。上野先輩のことを話題にされなかったことを安堵するような、それでいてガッカリするような気持ちを抱きながらもそれを承諾すると「やった。ちょっと興味あったんだよね」と嬉しそうに笑うみょうじ。もしかして喧嘩なんてしてないんじゃ? それか俺が風呂に行っている間に仲直りしたとか。

「東京に帰る予定早めたりすんのか?」
「え、なんで? 予定通りだけど」
「……そっか」
「早く帰って欲しいとか?」
「別にそんなこと言ってねぇだろ。……好きなだけ居ろよ」

 本意でない汲み取られ方をして、慌てて否定した言葉は少し言い方がキツかったとすぐに反省した。だからそれにそっと付け加えるように小さな声で続けた言葉は恥ずかしいくらいの本音。俺には本音と建て前を使い分ける程の器量もねぇんだなぁ。大事な部分はいつまで経っても大人になれねぇ。

「ふふっ、早くそらまめ採りに行こう!」
「……なんでそんなに嬉しそうなんだ?」
「えっ、そお? そうかな」

 みょうじも、そらまめ収穫くらいでこんなにはしゃぐなんて子供かよ。呆れも浮かんだがそれ以上にあの時と変わってない様子にひどく安堵した。みょうじには俺の知らない一面なんて増えて欲しくない。ずっと、あの頃と変わらないみょうじで居て欲しい。もし変わる部分が出来たとしたらそれは俺の隣で――

「あぁ〜! クッッソ」
「う、烏養……?」
「なぁ。ガキっぽいこと訊いていいか?」

 肥大する想いを抑えることが出来なくて、遂に開いてしまった疑問の口。勇気を出してとかじゃなくて自棄になって、とか。とことんガキな自分が恥ずかしい。でももう無理だ。抑えらんねぇ。

「……うん。いいよ」
「上野先輩となんかあったのか?」

 上野先輩の名前を口にするとみょうじはそれが分かっていたかのように肩の力を抜き、また寂しそうな笑みを浮かべる。「やっぱ気になるよね」と言う口調はどうやら訊かれることを予測していたようだ。

「本当は大事な試合控えてる烏養に話すのはどうかと思って黙ってるつもりだったんだけど……。結局我慢出来なくて名前出しちゃったし、そりゃ気になっちゃうよね。ごめん」
「いや、別にそれは……俺のただの野次馬心だし」
「訊いて欲しい気持ちを溢しておいてなんだけど……聞いて貰っていい?」
「あぁ。俺が気になる」
「烏養ってやっぱり見かけによらないよね。……ありがとう。話はそらまめ収穫しながら話すよ」

 そう言って玄関へと向かって歩くみょうじは、嶋田マートや台所に立っている時の後ろ姿に比べてとても小さく思えた。




- ナノ -