緑色の瞳

「あれ、なまえちゃん1人?」
「美鈴ちゃん!」

 空きコマを食堂で潰していると美鈴ちゃんが顔を覗かせ、ここ良い? と前の席を指さしてくる。

「美鈴ちゃんも空きコマ?」
「ううん、今日は3限だけなんだけど、ご飯食べてから受けようと思って」
「そうなんだ」

 つい最近知り合った美鈴ちゃんと急に2人きりになるのはなんだか少し気まずい。少なからず一静の元カノというのもあるのだけれど。終わった関係だと聞いていても、どうしても意識してしまう。

「美鈴ちゃんって、今は彼氏いないの?」
「うん。居ない。イッセーと別れた後、何人かと付き合ったけど、長続きしなくて」
「そ、うなんだ」

 トレイに乗ったコーヒーをストローでかき混ぜながら退屈そうな声を発する美鈴ちゃん。あまり踏み込んだことを訊くのも申し訳ない。他に何を発せばいいか分からなくて、黙り込んだ私に交代するように美鈴ちゃんが口を開く。

「なまえちゃんは? イッセーといつから付き合ってるの?」
「え、と……去年の12月末からだから、4ヶ月くらいかな」
「そっかー。イッセー私と別れた後誰とも付き合ってなさそうだったから、全然知らなかったー」
「そ、そうなんだ……」
「イッセーってさー、優しいでしょ?」
「うん。すっごく優しい」
「ねー。私ずっと物足りないって思ってたなぁ」
「え?」

 思わず見上げた瞳の先の美鈴ちゃんはぼんやりと窓の向こうを眺めている。言い方になんとも言えない不穏な雰囲気を感じ取ったけれど、それを尋ねるよりも先に「なまえちゃん! あ、美鈴も居たんだ?」とちぃちゃんが顔を出し、会話がそこで途切れる。

「千絵、ギリギリじゃん」
「ほんとだよぉ〜! 3限間に合わなかったらどうしようって焦ったぁ〜」

 到着するなり机に突っ伏すちぃちゃんに美鈴ちゃんと2人して苦笑を零す。底なしに明るいちぃちゃんは見てると元気になるなぁ。

「健ちゃんがさー、全然起きなくて!」
「えっ、今の時間まで?」
「バイトが忙しいみたいでさ……。まぁそれは私の為でもあるんだけど」

 机に頬杖をつくちぃちゃんは溜息混じりに悩みを打ち明けだす。

「今度ね、2人で旅行行こうってなってて。で、私も一生懸命バイトしてお金貯めてるんだけど、健ちゃんは最近働き過ぎっていうか……。大学もあるのに昨日だって夜遅くまでバイトして、それで今日寝坊騒ぎだし」

 学生なんだから本業に集中して欲しい、というのがちぃちゃんの悩みのようだ。相手を思いやって抱える悩み事に、2人の仲の良さが垣間見える。

「そりゃ社会人になったら時間も無くなるかもだけど。……でも、今すぐじゃなくても良いじゃん? 1年間は2人でコツコツ貯金すれば良いんだし、健ちゃん1人に無理させてる気がして。健ちゃん、同棲始めたこと後悔してないかなぁ……」

 ちぃちゃんは底なしに明るい分、落ち込む時はとことん落ち込む。今も顔を俯かせ、眉を下げて思考もネガティブ化している。ここまで全力で想われる山田も羨ましいものだ。……まぁ私も同じくらい一静に大事にして貰ってるんだけれど。

「ちぃちゃん、それは無いから安心して」
「へ?」

 ちぃちゃんの杞憂を終わらせる為に自分のスマホを立ち上げ、一静とのラインを表示する。

「一静がね、山田から“洋服を脱ぎっぱなしにしない為にはどうしたら良いか”って相談されたんだって」
「えー、何それ?」

 喰いついて来たちぃちゃんに笑って、スマホを机に平置きしてその部分のやり取りを公開する。

「ちぃちゃんに呆れられたくないから、1人暮らしの一静に色々と訊いてるみたいだよ」
「えー……えー健ちゃん。馬鹿じゃん……」
「千絵、顔。溶けてる」
「えー? うへへ……だってぇ〜」

 美鈴ちゃんが指摘したように、さっきまで沈んでいた表情は再び浮上し、今度は幸せいっぱいの表情へと変わっている。恋する乙女は可愛いなぁ。

「あー、良いなぁ。恋する乙女ってカンジ、羨ましい」
「本当にね」

 美鈴ちゃんの言葉に同意すると美鈴ちゃんが私を見据え、「なまえちゃんもだよー」と頬を膨らませてくる。

「わ、私も?」
「だって、このトークの背景、めっちゃラブラブじゃん」
「あっ」

 慌ててスマホを取り上げ、自分の胸元へと仕舞いこむ。……わ、忘れてた! 一静とのラインを人に見せることなんてないだろうって自分で設定してたのに……! 見せることあった……! 頬がカーッと染まるのが分かる。

「え、なになに。私見てなかった〜!」
「イッセーとのツーショで、イッセーがなまえちゃんの頬っぺたにチューしてた」
「えー!!!! うっそぉ!? まっかわそんなことすんの? 見たい見たい!」

 美鈴ちゃんの報告にちぃちゃんのテンションが駆け上がる。いやだめ、無理。恥ずかしい。見せらんない。

「も、もう3限始まるしっ、そろそろっ」
「えーやだー、なまえちゃんが見せてくれるまでここに居るぅ〜!」
「ち、ちぃちゃっ、美鈴ちゃんも何とか言って? お願い!」
「えーやだー、なまえちゃんがもっかい見せてくれるまでここに居るぅ〜!」
「美鈴ちゃんまで……!」

 足に根が生えたようにその場をまるで動こうとしない2人に困り果てて、観念してフォルダから先ほどの写真を見せると目をキラキラと輝かせる2人。ごめん一静。見せびらかすつもりは無かったの……。

「めっちゃラブラブじゃん! 羨ましい〜!」
「ふ、普段はこんなの撮らないんだけど……、この前家に行った時に……」
「家行ったの!?」
「あ、うん。DVD観にお邪魔したんだ」
「どうだったー? まっかわの家!」

 写真を見せたことに満足してくれたのか、ようやく重たい腰を上げてくれた2人と共に食堂を出て歩き出す。その道中でも会話は一静と私のことで、嬉しいやら恥ずかしいやらだったけれど。

「へー、いいなぁ。なまえちゃん。羨ましい。……じゃあ私ここで」
「うん! またねー!」

 学部が違う美鈴ちゃんとはそこで別れ、未だに恋バナで盛り上がるちぃちゃんと教室を目指して歩き出す。

 本格的に一静の家で集まろうとちぃちゃんと計画を進めている私は美鈴ちゃんが途中で足を止めて私を見つめていることには気が付いていなかった。




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