桜を染める黒

「一静!」
「お待たせ。大学どう?」
「ちぃちゃんも一緒だし、楽しくなりそう!」
「そっか。それは何より」

 土日は一静が大抵バイトをしているので、金曜日に会うのが私達の高校時代から続く習慣となっている。大学生になってから待ち合わせ場所が駅になったことくらいで、それ以外はこの習慣は変わらない。

「ちぃちゃんと一静の家に突撃しようかって話になったんだ」
「まじか。てかソレ言っちゃったら突撃になんなくね?」
「だって突撃した所で一静普通に出迎えてくれそうなんだもん」

 カフェが併設された本屋へと向かいながらここ最近起こった出来事を交わし合う。その中でちぃちゃんと話したことを伝えると「まぁな」と笑う一静。あーやっぱり。一静エロ本デジタル派だな、これは。

「なに?」
「……ムッツリマン」
「ム、えっ? 何故に?」

 私の脳内で行われた連想に一静はついてこれなかったようで、頭にハテナを浮かべている。一静可愛い。

「なんでもないよ、ムッツリマン」
「いや待って。ムッツリマンならスマートマンのがマシだわ」
「ムッツリスマートマン」
「こら」
「いひゃい」

 左手で頬を軽く摘ままれてしまう。からかいすぎてしまったせいで、一静からお仕置きを喰らってしまった。素直に「ごめん」と謝ると摘まんでいた右頬を軽く撫でながら「分かればよろしい」と許しをくれる一静。やっぱり一静には敵わない。



「あ、そういえば……」

 本屋に辿り着いて、本を物色している時にここ最近の出来事の中に“一静の元カノ”と会ったこともあったんだと、思い出すと同時に口からその話題が吐いて出そうになる。でも、これって一静にとってはどう返せば良いか分からない話題なんじゃ? そう思うと、そこから先の言葉を言ってしまっていいものか迷ってしまって、うまく言語化出来ない。

「ん? どした?」
「こ、この小説! 映画化されてたよねー!」

 固まった私に一静が視線を合わせてくる。その視線を躱すようにして近くにあった小説へと視線をやり、ラベルに書かれた“映画化!”という文字をなぞる様にして言葉をどうにか繋ぐ。

「私見逃しちゃったんだよねぇ。面白かったのかなー?」
「あぁ、これね。友達から譲り受けたDVD家にあるぞ」
「そうなんだ?」
「おう。1回観たのはもう観ねぇからって」

 逃げるように出した話題だったけれど、まさかの広がりを見せてくれて、内心ホッとする。良かった。小説、ナイス。それに気になってたのは事実だ。一静がDVDを持ってるなんて。これは意外な収穫。

「今度貸してくれない?」
「モチロン。何なら今から観に来る?」
「えっ」

 そしてこの小説は意外な方向へと話を広げてみせる。観に来る? の来るの前には“俺の家に”が入るんだよね? イキナリの展開過ぎて目を見開く。これじゃちぃちゃんと冗談で言っていた突撃訪問とあまり変わらない気がする……。

「い、家にってことだよね?」

 脳内でとっくに理解出来ている確認を取ると一静も「まぁ。だよな」と当たり前だと言いたげに頷きを返してくる。……や、別に私たちは彼氏彼女だから相手の家に行くことは不思議なことじゃない。それに、一静の実家には何度か行ったことあるし、私の部屋に来たこともある。

 でも、一静の一人暮らしの家となると……それはまた少し違ったドキドキ感があるというか……。だってそういう雰囲気になり易いのは否めない訳で……。わ、私今日下着何着けてきたけ!? 一静に見られても良いヤツ……? どうしよう、トイレで確認してくる?

「おーい。なまえー」
「あ、ごめっ、」
「ハハ、構え過ぎだよ。ダイジョーブ。んな取って食ったりしないから」
「っ、」

 ぐるぐる考えて渦に浸っていると、その考えを見抜いた一静が笑ってみせる。……うぅ、なんか恥ずかしい。なんだか1人構えてるみたいだ。

「なまえが良いなら今から観ない?」
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
「うし。じゃあなんか摘まめるモン買って行こう」

 本屋の出口に向かって歩き出す一静の背中を見つめながら私も後に続く。……スマートな振る舞いをするのはもはや当たり前のことだけれど、いつもそう先を行かれると多少なりとも焦りが生じる。

 一静には性欲とか、そういうのないのだろうか。

 モヤっとした感情を慌てて振り払う。……これじゃ私が欲求不満みたいだ。めちゃくちゃ自分が恥ずかしい。さっきも一静の家=そういう雰囲気とか連想しちゃったし。

 考えれば考える程自分の思考の恥ずかしさに体が熱を沸かしていく。頬が熱くなるのが分かって、一静に気付かれないように頬に手を当てその熱を逃す。……別に一静とそうなるのが嫌とかじゃない。……でも、そういう自分を見せた時に一静に引かれちゃったら、とか魅力を感じ貰えなかったら、とか。そういう不安が私を包む。

 だけど、そういう相手は一静とが良いって思うのも事実で。……こういう私の感情を知ったら一静はなんていうのかな。

「一静、」
「ん?」
「……う、ううん。何でもない」
「? そう?」

 自分の気持ちを口にする勇気がなくて、なんでもないと誤魔化した私に一静は何事も無かったかのように手を取ってまた前を歩き出す。……一静はどういう気持ちで、いや私のことを大事に想ってくれてるのは知ってる。でも、この数ヶ月間の間、1度も踏み越えたいと思ったことはないのだろうか。

「一静は初めてじゃないんだし」
「ん? ごめん、何か言った?」
「食べもの、何が良いかなーって」
「あぁ、冷蔵庫の中何があったけなぁー」

 一静は過去に付き合った人と、美鈴ちゃんと、そういうことをしなかった、ていうのは考えにくい。だとしたら、今の私との関係で満足出来てるのかな。付き合って数ヶ月経つけれど私たちはまだキス止まりだ。……もしかして、別の人と――やだ、それは考えたくない。てか一静がそんなことをするなんて考えられない。自分のネガティブな思考で一静を疑うなんて、やだ。

「なんか俺、処刑場に連行してる気分なんだけど」
「えっ」
「なまえ、浮かない顔してる」
「そんな、」
「緊張してる? それとも俺の家に行くの嫌?」

 俯いていた顔を上げるとそこにある一静の顔は少しだけ困っていた。……あぁ違う。一静と過ごす時間を嫌と思う訳なんてないのに。困らせたい訳でもないの。ごめん一静。

「ごめん、」
「今日は帰る?」
「やだ、一静と一緒に居たい」
「予測してないシーンでの可愛い言葉はダメージ大だぞ」
「家、行こう。一静の家、行きたい」
「……良いの? 大丈夫?」
「……うん。そこでちゃんと話させて。大丈夫。一静のこと、信じてるから」
「その言葉言われんの、久々だな」

 モヤモヤを1人で抱えていたって一静を困らすだけだ。ちゃんと話して、一緒に考えて貰おう。一静なら大丈夫。信じられる。一静の顔をもう1度見つめてみせると、一静の顔も和らぐ。私は、一静が好きだ。それだけは揺るがない。

「及川、元気かな」
「及川くん?」
「そうそう。アイツに“信じてるよ”って言われたことがあってさー」
「そうなんだ?」

 とりとめのない会話を交わしながら再び歩みを進める。私と同じくらいの強さで握ってくれる一静の手を握って。あのとき差し出してくれたこの手だけは、離したくないから。




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