散りきらぬ惨めさと美しさ

 自分のことを本当に浅はかだと思い知ったのは侑と関係を持ってからのことだった。

 侑と取り返しのつかないことをしてしまったというのに、治を見ると心は恋心を呼び起こす。そして治と話していると胸を打ち鳴らして喜ぶ。別の人と身体を繋げたというのに、治と心が通じることを夢見てしまう。あろうことか、治の厚意に甘えて働く場所まで与えて貰った。

 そんな自分を嫌だと思いつつも、治に可愛いと思って貰いたくて自分を着飾った。

 侑によって快楽に慣れていくこの自分を。日常の中に組み込み、普通の生活を送ってしまっている私を。治に可愛いと思って欲しいと願っている。



「ブッラクジャッカル……というかツムが帰って来たら大変やわ」
「いうて治も遠征行ってるやん」
「まぁ。稼げるし」
「ほんなら大して店居る時と変わらんのとちゃう?」
「ほんまやな」

 隣で作業する治が溜息を吐く。今日も今日とて大量注文が侑によって入れられたのだ。……侑がこっちに帰って来ると忙しくなるのは私の方だ。そんなこと口が裂けても言えないのだけれど。
 今回は電話で入った大量注文。またしても運ばないといけないのか――暗い気持ちになっていると「なまえは店任せてもええ?」と治が申し訳無さそうに告げて来た。

「この感じやともうひと山ありそうやし。材料ちょっと足りんそうで。……よりにもよって梅干しが」
「ええけど……でも、」
「なまえになら任せられるし。あの頑固じいさん、俺やないと卸してくれへんから」
「……分かった」

 梅干しのじいさん……なんかありがとう。そのプライド、ずっと持ち続けてな。

 ほっとする気持ちと、店を任されたという責任感。量ってみたら責任感のが勝った。強張る気持ちが顔に出たのか、「大丈夫。まだ商品はあんねやし」と治のゆっくりとした声が私を落ち着かせてくれた。

「……うん。ありがとう」

 この安心感は治でないと感じられない。……私はやっぱり治が好きだ。



 おにぎり宮が老若男女に愛されるのは、営業時間の長さも一因している。朝の早い時間は部活に向かう学生や老人の為、夜の遅い時間は仕事終わりの社会人の為。そういう、人に寄り添う営業時間が全員から愛されるお店へと繋がっている。

 とはいえ食材から味付けまで全て治が担当している。そこに経営者として人を管理する仕事まで重なっているのだ。ここまでお店を成功させるのも一苦労だっただろう。
 それでも治はここまでお店を成長させた。それは紛うことなく治の手腕によるもの。素直に尊敬するし、憧れもする。――そんな治を支えたいとも思う。

 だから私は就職活動もせずおにぎり宮での仕事に精を出すのだ。……別の理由も大きな原因として含まれるけれど。

 そんなおにぎり宮にとって、大量注文や遠征先にも同行させてくれるブラックジャッカルは大得意様である。その関係を私のせいで切らすワケにもいかない。侑はそういう部分も掬いあげてチラつかせるのだ。

−なんでなまえ来おへんの

 治から連絡が来ていないかを確かめる為に見た携帯には、その片割れからの連絡が代わりに入っていた。

−治が用事のついでにって言うから

 数十分前に来ていた通知に言い訳を送ってみるがどうせ意味はない。練習をしているであろう侑を思い浮かべて溜息を吐く。行く度乱される側の気持ちにもなって欲しい。帰って来る度圧し潰されそうになる気持ちを知って欲しい。

 そんなの、侑には関係のないことだと一蹴されて抱かれるしかないのだろう。

「ただいま」
「おかえり。梅干し、手に入ったんやね」
「……今度囲碁の相手せんとあかんけどな」

 梅じいとの約束を思いだし、溜息を吐く治を笑う。梅じいさんは治のことがお気に入りらしく、事あるごとに囲碁に付き合わせている。その度に治は「俺オセロしか分からんのに」と眉根を寄せながら梅干しを引っ提げて帰って来る。

「今日はせんかったんか」
「今日はさすがにな」
「そしたら次の手打たれたってワケやな」
「せや。おかげで次の休みパァや」
「あらまぁ」

 まぁいうて寝るだけやからええんやけど。――そう言いながら手を洗う治。困っているようで内心楽しそうな所、本当に治の人柄が出ていると思う。

「おじいちゃんキラーやな」
「えっ。どうせならおばあちゃんキラーがええ」
「なんやそれ」

 治の隣に居たら、まるで私まで治のような穏やかな人になれた気がして。どうしようもなく温かい気持ちになる。……本当はそんな人間ではないと、とうの昔に知ってしまったというのに。


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