終わりが始まる

 待ち望んでいた店休日。こうして休みの日に治と過ごせるのはあの日以来。今日は仕事に関することだけど、それでも治と2人なら構わない。

「あれ。もう来てたんや」
「色々浮かんでな」

 既に治は何種類かおにぎりを作っていて、今も新たな商品を開発している途中だった。……本当に、一生懸命だなぁ。

「さっき立川さんに会うた」
「へぇ。川ちゃんズか?」
「いや。多分、彼氏くんやわ」
「ほぉ。稼ぎたいてそういうことか」

 多分、というかそれは違う。けど、「若いってええな」と続く治の言葉には肯定を返す。色んな人と出会って、色んな人に恋をする立川さんが眩しい。

「私も何種類かネタ思い浮かんでてん」
「ほんま? ほな次それやろ」
「うん」

 手を洗いながら言葉を交わす。ちらりと盗み見た治の横顔は、おにぎりに向けられていて、そういう姿に胸が温かくなる。……やっぱり、訂正する。こういう気持ちに若いとか若くないとかは関係のないことだ。多分、私は何歳で出会っていても治のことを好きになっていたと思う。

「治が今食べてんの何?」
「ピリ辛きゅうり」
「へぇ。美味しそう」
「北さんとこ相談行った時教えて貰ってん。後で食べてみて」
「うん!」

 だって私は、ずっと治のことが好きなのだ。この気持ちが私の基礎であり原動力。それをなくされると私は多分、生きていけなくなる。



「んー。ピリ辛きゅうり越すんは中々ないなぁ……」
「せやなぁ」

 数種類並ぶおにぎりを前に、2人して眉を寄せて味を噛み締める。どれも美味しいけど、おにぎり宮のラインナップにするにはイマイチ。良い! と思えたのはピリ辛きゅうりのみ。これは確実に新商品になる。

「なまえはまだなんかある?」
「次は揚げかな」
「揚げ?」
「うん。揚げおにぎり。これやったらスープに入れて食べるとかも出来るし、そんまんまでもじゅうぶん美味しいと思う」
「ほぉ。それええな。試してみよ」

 治の顔がぱあっと輝く。……これはもしかしたら良いかもしれない。治がもっと喜んでくれるなら――と気持ちが逸った。

「熱っ、」

 いつの日か上げた短い悲鳴。またしても自分の口から発せられたことに驚き、慌てて指を引っ込める。今度は醤油をまき散らすなんてことにはならなかったけど、反動で油が飛び散った。

「大丈夫か!?」
「ごめん、油に指突っ込んだ」
「あれま。なんや前にもこういうことあったな」

 フライパンの火を止め、赤くなった指を見るなりシンクに運んでくれる治。少量の油だったこともあり、そこまで大きな火傷にはならなそうだと安堵する。……自分の鈍臭さには呆れてしまうけど。

「なまえはほんまにほっとけんなぁ」
「……えっ」
「見よったらドキドキする」
「そ、れは……」

 蛇口から溢れ出る水音がうるさい。治がなんて言ったかよく聞き取れなかったけど、私の聞き間違いでなければ。今治は――私のことを、

「なまえ」

 じっと見つめた先に、治の瞳が居る。そうして絡んだ瞳でもう1度呼ばれる名前。……治の纏う雰囲気が違う。今はもう水音なんて耳にも入らない。バクバクと脈打つ心臓の音が、脳を打ち付ける。……治が、私を……私を?

 至近距離で見つめ合うこと数秒。男女がこの距離で見つめ合う時、することは限られてくる。――そのことを治とよく似た顔つきをした男に教わった。

 治の顔が近付けられた時、自然と瞼を閉じそうになった。それをどうにか、ぎゅっと堪えて「待って」と制止をかける。1つだけ。どうしても訊きたいことがある。

「あの、記者さんは?」
「記者?」
「前にコンビニで会うた時……」
「……あー。無理矢理された」

 追加取材と呼ばれ、行った先ではまともな取材も行われずひたすらに口説かれ。部屋を取ってあると詰め寄る女を拒絶し、ホテルから飛び出した先で押し付けられた行為。そのシーンを私がタイミング悪く見てしまったという事の顛末。

「ごめんな。俺、キス1つで揺らぐ程初心やないねん」
「……うん」

 治の言葉にチクリと刺さるものを感じたけど、それ以上に言い難い気持ちの方が大きく感じられた。

「せやけど、」
「ん?」
「なまえとは別。今、俺めっちゃドキドキしてる」
「えっ」
「……出来れば拒否らんといて? 今心臓ギューンなったから」
「ギューンて?」
「いや、ガーンか?」
「せやからそれなっ……」

 そっと触れた柔らかくて温かいソレは、私にとって2人目からの施し。もっと激しい口付けも知ってしまったけど、治からのキスはそれすらをも凌駕してみせた。テンポ遅れで瞳を閉じ、治の持つぬくもりを肌で感じること数秒。

 ずっと合わせていたいと思うのに反し、あっさり離れていった唇。後を追うようにゆっくり目を開けると、そこには緩く口角を上げ、流れ落ちる水を眺める治が居た。

「良かったら考えとって」
「……うん」

 考えるもなにも。答えは“お願いします”しかない。なのにどうして私はその場でそれが言えなかったのか。

 私には、侑という存在が居るからだ。

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