Who is that man?

 再び巡って来た金曜日。正臣は事前に聞かされていた通り、取引先という名の浮気相手に会いに職場から姿を消した。

「今日は遅くなると思う。ラインは無理かも」
「分かった」

 ごめんな、と片手をあげて颯爽と踵と返していった正臣の足取りは、表情とは裏腹にとても軽いように思えた。

 大体、寝る前のおやすみラインも、起きた時のおはようのも。私は要らないと思うタイプだ。正臣は律儀に送り付けてくるけれど、そういうの、私は鬱陶しいと思う。正臣の好きなタイプとはまるで正反対よね、私って。



「チョコレートカクテルでお任せ良いですか?」

 仕事を終えてそのまま帰るのも何だか嫌で、初めて1人であのバーに足を踏み入れた。いつもはもう少し辛口を頼むけれど、今日は気分が違うらしい。チョコレートなんて甘いワードが出た事に内心驚きつつも、バーテンダーが出してくれたアポロを口に含む。

「甘い」

 でも、美味しい。甘いものを美味しいと思えることに何故かホッとする。私にも正臣の好きな女子の一部分があるのだと、そう思いたいのだ。……でも、やっぱり1杯で良いとも思う。

「アフィニティ下さい」

 またしても左側からの視線を感じ、そちらに視線を向けると1週間前に居たあの男が座っていた。常連なのだろうか。今まで1度も見たことなかったけど。

「やあ、どうも」
「……どうも」
「お姉さん、お酒強いのね」
「ええ、まあ」

 その男は今日は左隣に誰も連れておらず、1人で来たようだった。だからといって私にこう容易く声をかけて貰いたくない。別に私は寂しい訳でもないし、あなたの寂しさを埋める女にもなりたくはないのだ。

「お姉さんの彼氏さんさぁ、」

 目線を外して空気で会話を断ち切ったにも関わず、その男はめげずに私に声をかけてくる。――私の彼氏、とは正臣のことか。

「浮気、してるデショ」

 這わすようにして目線を向ける。初対面ではないにしてもほぼ初対面の人間に対してなんて不躾なんだろう、この男。ぶつけた視線を受けた男は楽しそうに「当たり?」と笑う。

「何なの、あなた」
「最近ここを見つけたただの客」
「……で、私の彼氏が浮気してるのを教えて、それに付け込もうって訳?」

 最低。クズ。底辺野郎。思いつく限りの罵倒を脳内で浴びせているとその男は両手を挙げて「まさか。そんな浮気性じゃないッスよ。俺」なんてふざけてみせる。

「それ嫌味?」
「あ、いや。そういうつもりはなくって。……ごめんね、イキナリ失礼なこと。挨拶もなしに。」

――黒尾鉄朗

 謝罪と共に名乗られた彼の名前。くろお、てつろう。黒尾という名前はいかにもだと思った。黒い髪の毛に釣り目がちなその瞳は黒猫を連想させる。

「真矢さん……で合ってる?」
「……ええ」

 名乗られた手前、名前を名乗らないのもフェアじゃない。でも名乗るのは嫌だと感情がせめぎ合っていると黒尾さんの方から名前を当てられる。この前正臣に呼ばれた名前を記憶していたのだろう。それにしても記憶している黒尾さんもどうかとは思うけれど。

「うわ俺に対する警戒心マックスー」

 眉根すげえよ? と、自分の眉根に皺を寄せる彼は私の真似をしているのだろうか。

「それでどうして“わざわざ”、“いちいち”、教えてくれたの?」
「めっちゃ棘あんね」

 浮気性ではないというのならば、ただのお節介か。そうだとしたら余計なお世話だ。正臣が浮気している事に気付かない程私は馬鹿じゃない。

「好奇心かな」
「は?」

 耳を疑った。人の、ましてや他人の色恋に好奇心で口を出したのか、この男。信じられない。

「真矢さんに爽やかで辛口のを。俺に付けといて」
「良いわよ。あなたに奢ってなんて貰いたくないし」
「だって、このままだと真矢さん怒って帰っちゃうデショ? お詫びに奢らせてよ」
「どこが浮気性じゃないよ。とんだチャラさね」
「そう? 自分の非礼を詫びて奢る男ってそうそうに居ないと思わねぇ?」

 ゆるりとした瞳は確実に私を捕えている。確かに、黒尾さんが言っている事も一理ある。正臣なんかは喧嘩しても絶対に自分の非を認めない。プライドが高い男って、それだけで正直疲れる。

「真矢さんって、キレーだし引く手数多そうなのに。なんで浮気性の彼氏と付き合ってんの?」
「それは、」

 正臣は、私の肩書きやステータスで私を選んだだけ。だから簡単に浮気する。私のことなんてどうでも良いから。でも、それを分かっていても私が気付かないフリをして正臣の側に居続けるのは――

「やっぱ好きなんだ、彼氏さんのこと」
「……うるさい。黒尾さんは? こないだ一緒に居た女性と、真剣に付き合ってないの?」
「あー……今はそういう気分じゃないんだよねぇ」

 曖昧にはぐらかして、“このまま喋り続けてたら口説いてるって思われる”とか言って帰って行った黒尾さん。……自分のことになると途端に逃げるなんて。ずるい男。

「私もそろそろ」

 手元にあったグラスも空になったことだし、今日は帰ろうと勘定を依頼するとバーテンダーからお金は既に貰っていると伝えられ驚く。……もしかして。

「黒尾さんが全部?」

 頷くバーテンダーに目を剥いてしまう。ほぼ初対面の人間にどうしてここまで。……律儀そうな人ではあるけれど、人の色恋に介入するお節介な人。

よく分からない男。彼は一体何者?
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