対岸の類似者

 みょうじさんと葛原が付き合ってから2年が経った。今のところ葛原が私の時のような浮気を繰り返している素振りはないけれど、みょうじさんの態度がこのところおかしいように思える。

 見る度溜息を吐いていて、仕事がうまくいっていないのだろうかと心配になったけれど、マーケティング部に入ってくるみょうじさんの評価はすこぶる良い。

 とすれば、原因は恐らく葛原のことだろう。葛原という男は女性を泣かせるのが趣味らしい。
 みょうじさんには強く居て欲しい。そうなると思いたくはないけれど、今後私のようなことになってしまった時、彼女にはそれを乗り越える力を持っていて欲しい。
 力を貸してあげたいけれど、みょうじさんは私に恐れをなしているように思える。私と話す時、みょうじさんはとても委縮している。葛原と私が過去にそういう関係だったことをどこかしらから聞いているのだろう。だから、みょうじさんは私に警戒心を抱いている。

 今の私ではみょうじさんにかける言葉が見つからない。――かける相手が居るとすれば、

「真矢……。久しぶりだな」
「……えぇ」

 思い浮かべていた相手と喫煙室で遭遇し、思わず眉根に皺が寄る。話すべきことがあるとしても、こうして面と向かって顔を合わせるととても気分が悪い。

「真矢、アイコスにしたんだな」
「ねぇ、みょうじさんと付き合ってるんでしょ?」
「……それがどうした?」
「ちゃんと大事にしてる?」
「心配するな。なまえのことは大切にしてるよ」
「彼女、最近元気なさそうに見えるわ」

 隣に来て煙草を灰に取り込む正臣。……あまり近くに来ないで欲しい。そんな思いで体をスッと横にずらすと、正臣から「んな警戒すんなって」と乾いた笑みを吐き出された。

「嫌よ。本当は話するのも嫌なの。また変に噂でも流されたら堪ったもんじゃない」
「……なぁ、真矢」
「名前で呼ばないで」
「……今、付き合ってる人居ないのか?」
「だったら何。葛原に関係ない」
「報われない相手を好きになって、何の意味がある?」
「っ!」

 頭に血が上るのが分かる。心臓が大きな音を立てるのも分かった。私の頭に、思い出の中でしか会うことが出来なくなってしまった人物の顔が浮かぶ。……違う、葛原は黒尾くんのことは知らないハズ。

「言ってる意味が分からない」
「あぁ、それともアレか。今が狙い目かもな。澤村、俺になまえ盗られて傷心中だろうし」
「あなた……!」

 今度は脳がけたたましく回転しはじめた。葛原は一体何が言いたいの? どういう意図があるの? もしかして。……あの時言った私の言葉を?

「あぁ、勘違いするなよ? 俺はあくまでもなまえから好意を寄せられた。それで付き合ったんだ。俺からは行ってない」
「……本当に、みょうじさんのことが好きなのよね?」
「……あぁ」

 私は葛原のその言葉を信じるしかない。私が葛原とみょうじさんの間に入ったら、また関係のない人が騒ぐ。悔しいけれど、今の私ではどうすることも出来ない。

「もし私の時と同じことしたら、絶対に許さないから」
「……真矢には関係ないだろ」
「それでも。覚えておいて」

 付き合ってた時は煙草を吸う私のこと見もしなかったクセに。どうしてこういう時だけじっと私を見つめてくるの。今となっては視線を向けられることすら嫌悪してしまう。一刻も早く立ち去りたくて、ヒートスティックを捨て足早に喫煙室から出る。

 すれ違いざまにみょうじさんの同僚である高取さんと目が合う。その目線も決して居心地の良いものではなくて。みょうじさんの為を思って抱く懐疑心かと思ったけれど、その瞳に浮かぶのは明らかに嫉妬心であることが分かる。

――あんな男、止めておきなさい

 今となっては過去の自分にもハッキリと告げてやれる言葉だ。本当はみょうじさんにも言ってあげたいけれど、彼女は彼女なりに葛原を信じている。そんな彼女に私が無責任なことは言えない。

 ……ごめんね、みょうじさん。もし黒尾くんが居てくれたら、私ももっとうまくあなたに助言することが出来たのかもしれない。黒尾くんが居ない私じゃ、うまく出来ないの。



「うぅ〜……わ、私っ、ずっと不安で……、正臣さんが会ってくれなくなった事も不安だったし、でも、確証も無いのに、疑うのは、だ、駄目だって思って、ちゃんと、信じ、なきゃって、分かってるのに、正臣さんが、いつもと、違う香水付けてたのとか、予定より大幅に遅れて家に来た事とか、次の日も、す、ぐにかえ、ちゃった事とか、そういう、ので不安が、ぐわって、堪らなくなっちゃってっ、……でも、私が出来る事は、正臣さん、を信じ、る事だからっ。……でも、それが、出来な、くて……っ、そんな自分も、い、嫌でっ、……どうしたら良いのか……、わ、分からなくって……っ」

 金曜日、みょうじさんの居る営業U課と合同で行われた会議の打ち上げで、みょうじさんと打ち解けることが出来、目の前でいっぱいいっぱいになっているみょうじさんの頭を撫でて、その苦しみを受け止める。

 ごめんなさい、みょうじさん。あなたがこうなる前にもっとどうにか出来たかもしれないのに。あなたを泣かせているのは私のせいでもあるの。

「確証が無いうちは、信じるのもアリだけど。状況をちゃんと見つめて。……自分が感じた不安を信じてあげるのも大事よ」

 黒尾くんが前に私に言ってくれた言葉。やっぱり、黒尾くんの言葉は凄い。私を介してまた別の人をも励ましてくれるのだから。黒尾くんには敵わないわ。……ねぇ、今どこに居るの?

「……それ、澤村先輩のヤツですぅ〜〜」
「あっ、ごめんなさい。澤村くんが使ったおしぼりなんて嫌よね」
「おいおい、戻ってくるなり俺の悪口か〜?」
「当たり前でしょ? 本当だったら澤村くんの役目なんだからね?」

 みょうじさんの涙を拭いていたおしぼりが澤村くんのだったらしく、みょうじさんは泣きながら吹き出している。みょうじさんは笑ってる方が良い。浮かない顔なんてして欲しくない。

 みょうじさんは澤村くんと一緒に居ると笑顔の割合が増える。……出来ることなら私は澤村くんとみょうじさんを応援したい。みょうじさんを泣かせた葛原では駄目だ。だから、もしもみょうじさんの感じた不安が正しいものであった時、澤村くんにはしっかりと支えて欲しい。

 本当の意味で支えてあげられるのは、澤村くんしか居ないのだから。

 黒尾くんが私のことを支えてくれたように。澤村くんならそれが出来ると信じられる。
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