マーキング

 かげうらでバイトを始めて、早くも2ヶ月が経とうとしている。かげうらは地元に愛されるお店で、連日老若男女多種多様な人がお客様として訪れる。色んな人と触れ合えるのが楽しくて、時間がある時はかげうらで働く毎日。今日も今日とて学校が終わればそのままかげうらへ直行する予定だ。

「なまえの制服、ソース臭くない?」
「えっ! うっそ……! 家帰ってファブってるんだけど……」
「昨日バイトだったの?」
「うん。時間が許す限りほぼ毎日入ってる」
「へー。時間が許す限りねぇ。なまえ、バイトと勉強の両立出来るの?」
「なにその“お前ごときが両立出来るわけないだろう”的な言い方は」
「あれ。そう聞こえた?」
「そう聞こえたんですが?」
「おかしいなぁ」

 犬飼は時々バイトのことを訊いてきては、こういう喰えない事を言って茶化してくる。良いじゃん別に。私自身が楽しいって思ってるんだし。

「今の所勉強に支障出てないし、楽しい時間過ごしてお金も貰えるとか。最高この上ナシでしょうが」
「にしてもこの匂いはナシだな」
「えっ」

 そんな風に断言されると、もしや本当に私はソースの匂いを振りまいてしまっているのでは? と疑念に駆られてゆく。制服姿でかげうらに行くのは事実だけど、別に制服のまま働いてる訳じゃないし、念には念をと学校の制服にも消臭スプレーを吹きかけているというのに。
 もしかすると自分では分からないだけで、制服に染み込んだ匂いがあるのだろうか。

「……そんなに?」
「そんなに。もうプンプンしてる。……そうだ、おれの香水貸してやろうか?」
「えー……でも、匂いが混ざって臭くならないかな?」
「なんないなんない。上書きされるよ」
「そう? まぁでもソースの匂いよりかは香水のが良いか……。犬飼の香水、結構好きだし」
「……でしょ? はい、これ。好きなだけ付けて良いよ」

 好きなだけって言うけど。つけ過ぎは良くない。
 天井に向けて一吹きして、降りてくる粒子を纏う。……あぁ、やっぱ犬飼の香水好きだな。でもこれ、高校生がポンと買うにしてはいささか値段がキツイんだよな。こういう点はさすがボーダー所属隊員といったところ。稼ぎは私のバイト代の比じゃないってか。

「ありがとう。これでソースの匂い消えると良いんだけど」
「ん。……なまえ、ちょっと後ろ向いて」
「なんで?」
「良いから」

 促されるまま犬飼に背を向けると、シュッと短い噴射音と同時にうなじの部分がヒヤリとした。それに驚く間もなく鼻腔をまたあの匂いが襲う。

「えっ、な、なに!?」
「これで良し。今日もバイトあるんだよね?」
「そう、だけど……」
「うん。じゃあ良いよ。にしてもおれの香水、やっぱ良い匂いだねー」
「それは間違いないけどさぁ……。うなじだと匂い結構強く付くんだけど。……先生に目付けられないかな」
「大丈夫大丈夫。柔軟剤です! って言い張れば」
「……それもそっか。ありがと犬飼!」
「どういたしまして」

 そう言って笑う犬飼の笑顔は裏があるような、ないような。やっぱり良く読めない表情。それでも、犬飼がしてくれた行為は善意だと思うから。疑うのは良くないよね。



「あれ? なまえなんかさっきと匂い違うくない? シャンプー変えてたの?」
「ううん。シャンプーは変えてないよ。……てか、さっきとって……。私やっぱりソース臭かった?」
「いいや? 柔軟剤の匂いだったよ?」
「えっ? 実は犬飼からソース臭いって言われて、香水借りたんだけど」
「あー、確かに。今のなまえからは犬飼くんと同じ匂いがするかも! ……てか、同じ匂い付けてたら付き合ってるって勘違いされるかもだから、気をつけときなよ? 犬飼くんって人気高いしさ」
「……! まじじゃん……! やばいよ、どうしよっ」
「髪の毛下ろとけば? うなじ隠れるし」
「だねっ! そうする……!」

 自分を律した矢先にこれだ。犬飼め。私を茶化す為にあんな高い香水を使うことも厭わないってか。一体どうしてここまで爽やかに嫌がらせが出来るんだろう。良い匂いだから文句言いにくいのもこれまた事実なんだけど。






「あれ? イメチェン? さっきと髪型違うけど」
「犬飼っ! あんた嘘吐いたでしょ!? 私からソースの匂いなんてしなかったって言われたんだけどっ!」
「気を遣われたんじゃないの?」
「そ、れも、ある、かも……」

 ……それも盲点だ。女子って腹割って話せるくらいの仲にならないとこういうこと言いにくい所あるし。その点犬飼は意外と言いにくいこともズバズバと言ってくるヤツだ。となると、犬飼のが事実を言っている可能性も捨てきれない。どこに事実があるのかが分からなくなって、グラグラと気持ちが揺れだす。

「なまえって面白いよなぁ。すーぐ騙されるんだから」
「なっ……、それどういう意味??」
「なんでもない。まぁでも良いじゃん。好きな匂いがすぐ近くでするのには違いないんだし」
「でも、犬飼と同じ匂いさせてたら私達付き合ってるって思われるかもじゃん」
「……そんな短絡的な考えしないって。もしかして。それでうなじ隠してんの?」
「そうだよ! おかげで髪の毛邪魔で仕方ないんだから!」
「なんなら毛先にもかけてやろうか?」
「い、いい! もうこれ以上は迷惑になる! スメハラみょうじなんて言われたくないし、バイト先にも迷惑かけちゃう!」
「……あっそ。ま、付けたくなったらいつでも言って」
「ありがとう! でもいつかちゃんと自分で買うから良い!」

 騙したのか、騙していないのか。犬飼はイマイチ読めない。
 それにしても頭を動かす度にうなじから良い匂いがして、それが嬉しいような、困ってしまうような。なんだか複雑な気持ちになってしまう。……同じブランドのシリーズ違いのやつ、買っちゃおうかな――なんて、バイトの目標立ててみたりして。

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