良い匂いがする出会い

「そういえばなまえってバイト探してるんでしょ?」

 目の前の席に鎮座する男の名は犬飼澄晴。高1で同じクラスだった犬飼と、高校3年生になって再びクラスメイトになった。
 その犬飼から問われる質問に、バイトを探すに至った経緯が頭の中でフラッシュバックしはじめる。

 前の勤め先であったスーパーは時給も良く、シフトの融通も利く極めて良いバイト先だった。ただ、待遇が良くとも人間関係に躓いてしまえばそれは大きな欠点となる。
 スーパーを辞める原因となった1人の男の顔を思い浮かべると、途端に身体の底から寒気が湧き起こる。……もう辞めてまでしつこく言い寄られて辟易していた相手の顔を思い出したくもない。先輩の顔を打ち消すように頭を振れば「なまえ?」と犬飼に似つかわしくない声色で名前を呼ばれた。

「何でもない」
「そう? 目開けたまま寝てたかと思った」

 平然を繕いながら見上げた先に待っていたのは、整った顔にやや不気味な微笑みを浮かばせたいつもの犬飼だった。

「で、どうなの。バイト」
「あー、それね。今日新しいとこに面接行くんだ」
「なんだ、そっか。ちなみにどこ?」
「私の家の近くにあるお好み焼き屋」
「お好み焼き?」
「うん。地元で美味しいって有名な所でね。電話したら“人手が足りないから今日にでも!”って話が進んでさ。多分、形だけの面接で即採用になるんじゃないかな。電話口でもそんな感じで言われたし」
「そっか。良かったじゃん」
「うん。……なに、もしかして犬飼、心配してくれてたとか??」

 同じように不気味なまでに口角を歪めて見つめ返してやると、犬飼も負けじと爽やかな笑顔を張り付けながら口を開く。

「まぁ、どこにも貰い手が居なかったらボーダーに頼んで一般職員のバイトでも紹介しようかと思ってたんだけどね。そしたらなまえのこと色々使えただろうし」
「まぁ。それはそれはそれは。大変、ありがたいことで!」

 こめかみに力を入れて慇懃な微笑みを継続してみせれば、「あはは。なまえ顔怖い」と無邪気に笑われてしまった。

 なんというか……犬飼は本当に喰えないヤツだ。



「いらっしゃい! わざわざ来てもらってごめんなさいね! それで、いつから来れる?」
「明日からでも大丈夫です!」
「あらそれは助かるわ! じゃあみょうじちゃん。明日学校終わったらまた来てちょうだい。基本的なことは明日教えるから」
「はい、よろしくお願いします」

 以上、面接終了。即、採用。
 というか、顔を合わせた瞬間には既に私はここのバイトとして働くことが決まっていたかのような口ぶりで話を進められた。まぁでも、電話で感じていた“かげうら”のママさんの朗らかさは実際に会っても変わらないし、ここも良い職場になりそうだ。人間関係も安心出来そうだし、何より接客業を生業としているからか、愛想抜群で話しているととても安心する。
 やっぱり接客業にはこれぐらいの愛想が必要不可欠なんだろう。

「あ、そうだ! なんなら賄いとしてお好み焼き出すから食べてって! みょうじちゃんも自分が働くお店の味、知っておいた方が良いしね!」
「いいんですか!? ここのお好み焼き、美味しいって有名だから嬉しいです!」
「まぁ、それは嬉しいわ! ちょっと待っててね! 直ぐに持ってくるから」

 面接場であったテーブルはすぐさま本来の使用場所に様変わり。鉄板に火を付けて厨房へと戻って行ったママさんを見送って、まだ人気のない店内をグルリと見渡していると、店先の引き戸がガラガラと音を立て向こう側からの光を取り入れる。

「あら雅人。珍しいね、非番の日にこっちから帰ってくるなんて」
「腹減った。なんか食べれるモンあるか?」

 ママさんが我が物顔でズカズカと入って来たマスク姿の男の人に慣れ親しんだ様子で声をかけ、雅人と呼ばれた男の人も何食わぬ顔で言葉を返している。
 第一高の制服を着ているし、もしかするとここの息子さんだろうか? 雅人くんを見ながらそんな推測をしていると、私の視線を感じ取ったらしい雅人くんがマスクを下ろしながら私をチラリと見て、すぐさまママさんへと視線を戻す。

「おいババア。コイツ誰だよ?」
「こら雅人! コイツとか言わないの! バイトでうちに入ってくれるようになったみょうじちゃん。……そうだ! あんた、一緒にみょうじちゃんとそこで食べなさいよ。そしたら鉄板1つで済むし。ついでにみょうじちゃんに焼き方レクチャーしてあげてよ。ね? 一石二鳥じゃない!」

 じゃあちょっと待っててね〜! と雅人くんの反論なんて聞く耳持たずの様子で再度厨房へと戻って行ったママさん。取り残された私と雅人くん。……うん、気まずい。
 さてどうしたものかと逡巡する私を他所に、雅人くんは頭を掻きながらもドカっと反対側のソファに腰掛けた。……あ、食べるんだ。……いやいんだけど。余程お腹が減っているんだろう。

「あの、今度からここでお世話になります。みょうじなまえです」
「影浦。高3」
「……ふふっ」
「あ?」
「あ、ごめん。ここの息子さんなら、名字が“影浦”なのは当たり前だよなぁって思って……ごめんなさい。……あの、雅人くんって呼んでも良い?」
「……好きにしろ」

 そう言って顎の辺りまで下ろしていたマスクを付け直す雅人くんは少し――いや、かなり粗暴な人柄に見えて、怖そうな人だと思った。



「あっ、ばっか違ぇって! 空気を含ませんだよ!」
「こう?」
「あんま混ぜすぎんなよ! ふっくら焼けねぇ!」
「もうひっくり返しても良い頃かな?」
「おう、もう良いぞ」
「わ、すごい! ね、こんなに綺麗に焼けたの初めてかも!」
「だろ? お好み焼き1つにも鉄板の温度から混ぜ方まで気を遣う必要があんだよ」
「へー! 奥が深いんだね、お飲み焼きって!」
「まぁな!」

 怖いと思っていた印象はお好み焼きの材料が届いて、一緒に焼き始めると直ぐに焦げ散ってしまっていた。だって雅人くん、お好み焼き焼いてる時の顔、大好きなものを目の前にした少年そのものだったから。

「はー美味しかった……! 明日からこんなに美味しいお好み焼きを提供する側になれるんだと思うと、テンション上がるなぁ」
「へっ、そうかよ。単純なんだな、お前」

 俺が片づけておくと役割を買って出てくれた雅人くんにお礼を言って、厨房に居たママさんパパさんに改めてお礼と挨拶をすると、2人とも柔らかく笑ってくれる。

「雅人くん。焼き方教えてくれてありがとう! 本当に美味しかった!」
「……これからうちのこと、よろしく頼む」
「はい! 頑張らせて頂きます」

 じゃあまたね、と手を振ると、不愛想だけど、きちんと手を上げてくれる雅人くん。……うん。やっぱり雅人くんはかげうらの息子だ。
 
 ……早く明日にならないかな。またここに来たい。そう思わせるのは、この店の人柄か。それとも、この美味しそうな匂いなのか。

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