月面下交渉

「おいなまえ。もうその辺にしとけよ」
「うるさいこのヒゲおとこ……。あんたは遠征に行けるんだから良いじゃん」
「えぇ……これ俺が連れて帰んの? 無理だろこれ」
「あぁ?」

 頭がぽーっとする。フワフワとした浮遊感。それが意識的なものなのか、それとも物理的なものなのか。よく分からないくらいに私は酩酊している。ただ分かっているのは、とても寂しいということ。

「みんなと、風間隊のみんなと遠征行けるの楽しみだったの〜……」
「あーハイハイ。それ5回目な」
「せっかく風間さんに指導してもらってるのに、遠征行けないんじゃ意味ないじゃん……」
「そんなことねぇって……て、もうこれ6回言ったな。……はぁ、だめだ」

 太刀川の襟元を掴んで揺すりながらうわ言を繰り返していると、太刀川が片手でスマホを操作しているのが目に入った。ちょっと。いくら私が酔っ払ってるからって、スマホは良くない。人が話しているんだ。ながらスマホやめろ。

「たちかわぁ〜! 聞いてんのぉ!?」
「あー、聞いてる聞いてる。まぁまぁ。飲んで飲んで」
「うぅ〜……風間隊のみんなと行きたかったぁ〜……」

 透明な液体が入ったコップを渡され、それを口に咥えながら太刀川にしなだれる。もうこれがお酒なのかお冷なのかも分からない。私の中に広がるのは、悲しみの味だけだ。

「お前、いつの間にそんなに風間隊のこと好きになってんだよ」
「だって、みんな良い人なんだもん。……風間さんも厳しいけどスコーピオンの扱いは本当に凄いし、尊敬出来る所沢山あるし、菊地原くんも口の悪い弟みたいで可愛いし、歌川くんも歌歩ちゃんも癒しだし。みんな大好き。だから私は、風間隊のみんなと遠征に行くの楽しみにしてたの。なのに……私だけ行けないなんて……寂しい。……悲しい」

 かさついた気持ちを吐き出している途中で浮遊感が全体を覆いだす。意識の遠くでピロンと電子音がした気がしたけれど、それがなんの音なのか尋ねる前に私の意識は夢の中へと旅立って行った。



「太刀川」
「おー、風間さん。コイツ、頼むわ」
「潰したのはお前だろう。お前が最後まで面倒見ろ……と言いたい所だが。今回ばかりは俺が引き受けるべきだな」

 なまえが俺の肩を枕代わりにして眠ること数分。呼びつけた人物の思ったより早い登場に、風間さんも必死だと思わず口角が上がりそうになる。連絡を受けてすぐにここまで来たのだろう。涼しそうな顔して座敷に上がってくるその額には薄っすらと汗が浮かび上がっている。果たして、その後に送り付けた動画は見ただろうか。

「にしても風間さん。よくもまぁこの狂犬をここまで手懐けられたもんだよな」
「手懐けた記憶はないが。みょうじの腕を見込んで指導しているまでだ。それに、懐くという言葉を使うのなら、今のお前の状態の方がよっぽどふさわしいだろう」
「あぁ、これか? これは、別に」

 友達として――そう続けようと思ったが、風間さんの瞳に薄っすらと浮かぶおもしろそうな感情に言葉を噤む。風間さんも言ったように、ここから先は風間さんがどうにかするべきだ。

「どうして会議で反論しなかったんだ?」
「妥当だと思ったからだ」
「それを受けたらなまえがこうなるって分かってたのに?」
「あぁ、そうだ」
「へぇ。どこまでも城戸さん派ってことね」

 風間さんの瞳がなまえから俺へと移る。俺の顔から感情を読み取ろうとしているのだろう。それならそれで構わない。別に、読み取られて困る感情は俺にはない。

「お前が俺の判断に一物抱えているのは分かる。お前とみょうじは似ているからな。けれど、俺とみょうじは違う。違うからこそ、俺は判断せねばならない。そこに後悔はない」
「そう。んじゃ、そういう判断をした責任をしっかり果たしてやれよ。なまえに」
「あぁ、そうだな。俺にはその義務があるからな」

 風間さんは例え年下でも、正論だと感じた進言には耳を貸す。そういう所は隊長として見習うべき所だと思う。だからこそ、なまえを風間さんに任せようと思える。

「連絡、感謝する」

 けれど、俺の肩にしなだれるなまえを引き剥がし、自分の背中におぶるその姿を見習えるかと訊かれれば、それはノーだ。

「……ありゃ動画ぜってぇ見てるな」

 俺はそこまで他人に対して必死にはなれない。だけど、その姿を見習えないとしても羨ましいとは思う。俺も自分の部下が大変な時、あそこまで親身になれるだろうか。……出水や国近にはなれたとしても、唯我には無理だろうな。

 先ほど撮影したなまえの風間隊に対するノロケ動画を再生してみる。

「……というかまず、俺がここまで慕われる隊長かが怪しいな」

 なまえの引き渡しも無事に完了した所でようやく味わう酒。それは何故だかちょっとだけ寂しい味がした。

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