それはいつしか私を守るもの

 鳥のさえずる声がどこかでしている。……もう朝か。いつもだったら何も思わない鳥の鳴き声にさえ苛々して、またじんわりと目元が熱くなる。あぁもう嫌だ。

 昨日、いつまでも澤村先輩を引き留める訳にもいかないと思って、無理矢理涙を引っ込めた私を澤村先輩は尚も悲痛な表情で見つめてきた。その視線には気付かないフリをして「帰ります」とだけ言い残して立ち去って、駆け足で戻った自宅。そのまま鞄と買い物袋を乱雑に置いて化粧も落とさず、お風呂にも入らず、ベッドにダイブして枕に顔を押し付けて気が済むまで泣き続けた。そうして気が付けば朝がやって来ていた。

「……酷い顔」

 洗面化粧台の前に立って自分自身を見つめてみる。顔はむくんで、目尻には化粧の後と涙の跡。髪の毛もぐちゃぐちゃ。部屋には鞄と買い物袋から飛び出した道具や洋服たち。…もう何もかも滅茶苦茶だ。洗面台のボウル部分に手をかけてしゃがみ込む。

……あぁ、もう。全てが嫌だ。誰か助けて。

――何かあったら私や澤村くんに言って。みょうじさんの味方だから。
――それでも、何か不安が残ってるんなら、俺が話聞いてやるから。


 助けを求めたくなった時、浮かんだのはあの2人の顔だった。……澤村先輩に、昨日まともに謝罪もお礼も言えていないのに。私はまた頼ろうとしている。それでも、私は2人に縋りたくて堪らない。

 スマホを何時間ぶりかに取り出すと、思い浮かべていた2人から膨大な数の着信とラインが届いており、心配させていた事を実感する。この2人なら、こんな厚かましい私を受け入れてくれるんじゃないか。そんな救いの気持ちが芽生えて、1番上に通知があった真矢先輩に電話をかける。

「もしもしっ!? みょうじさん!? 澤村くんから話は訊いてるわ。今どこ?」
「す、すみません……」

 2コール目の途中で反応があったその向こうで真矢先輩の慌てた声が矢継ぎ早に飛んでくる。その勢いに気圧されて、反射的に謝罪の言葉を口にすると「そんなのは良いの!」と切り捨てられてしまい、二の句が継げなくなってしまう。

「みょうじさんが謝る事なんて、何も無いの……。……みょうじさん、今家に居る?」
「……はい」

 何をどう言えば良いのか分からなくなってしまった私に、真矢先輩の声色が柔らかいモノに変わり、慈しむ様な声で質問される。あぁ、真矢先輩だ。変な所で真矢先輩らしさを実感し、また泣きだしそうになるのを必死に抑える。

「分かった。……昨日から何も食べれてないでしょ? 今からそっちに行くわ」
「えっ、で、でも……っ」
「助けて欲しいから電話して来たんでしょ?」
「っ、……はい」
「じゃあ頼ってよ。その方が私も嬉しいの」
「ありがとう、ございます」
「みょうじさん、お風呂入った?」
「……いえ、まだ入れてません」
「じゃあ私買い物してそっち行くから。その間にゆっくり湯舟に浸かりなさい。良い?」
「はい、分かりました」

 そう答えて真矢先輩との通話を終える。真矢先輩に指摘されて、昨日から感情を溢れ出させるだけで、体に何も入れていなかった事を自覚する。
 自覚するとそこでようやくお腹が控えめに空腹を訴えてくる。……白米が食べたい。それかラーメン。そうぼんやりと思って、いつか澤村先輩が「俺はいっつもラーメンか白ご飯だ」なんて言っていたのを思い出す。
 その言葉が何故か私の気持ちを押し上げてくれた気がして、私は足に力を入れてぐっと立ち上がる。……澤村先輩には落ち着いた状態できちんと話をしよう。だからまずは言われた通り、お風呂に入って、真矢先輩を待とう。

「頑張るべ」

 何をどう頑張れば良いのか今はまだ分からないけれど。これは私を前へと進めてくれる魔法の呪文だから。いつだってこの言葉は私のお守りなのだ。

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