役立たずなサイドエフェクト
 学校は色んな性格を持った人間がほぼ強制的に密集する場所だ。絶対に相容れないと思う人物も、心から分かり合えそうだと思う人物も一堂に会する。面白いといえば面白いし、つまらないといえばつまらない。それでもここの生徒であるからには、決められた時間にはここに来なくてはいけない。今日も今日とてあまり興味の惹かれない授業を聞き流して、放課後を迎える。

 あぁ、早くボーダーに行きたい。早く太刀川さんとランク戦をやりたい。

 そこまで考えてハッとする。そうか、俺はもう太刀川さんとランク戦出来ないんだった。俺は、風刃を手に入れた。そうして黒トリガー使いとしてS級に昇格したのだ。……もう、ボーダーでも時間を忘れて楽しむなんて出来なくなったんだった。

 もう何もかもがつまらなくなってしまった。

 そう思うと、ボーダーにも行きたくないと思ってしまう。我ながら感情の起伏が激しいと苦笑してしまう。でも、仕方ない。それが事実なのだから。さて、行きたくないと思ってしまったからにはどうも腰が重たい。さっさと席を立つ為に忙しなく机の上を片していた手も手持無沙汰になってしまう。どうしたものかと、とりあえずその手をポケットに仕舞いこんで、ぼーっとしてみる。……このまま気が済むまでそうしてみるか。どうせつまらない時間を過ごすなら、こうしてただ時間が過ぎるのを待ってみても、大して変わらないだろう。

「みょうじさん、私これから彼氏とデートなんだよね。悪いけど日直任せて良い?」
「……うん。分かった」
「助かる! じゃあまた明日!」

 ぞろぞろと人が減っていく教室でそんな会話をする女子生徒が2人。彼女らは今日の日直だった2人だ。……といっても見た所片割れが今のような調子の良い言葉を言って、もう1人に任せっきりだったように見えるが。そして、もう1人、みょうじさんが今のように引き受けて何でも1人でしていたように思える。別に、それを見ていたからと言って俺が手を貸す義理も無いと思っていたからお互いがしたいようにさせていた。それが彼女らのコミュニティの中での生きていき方なんだろうと思ったから。そこに口を挟んでも良い事なんてなにも無いという事を見てきたから。関わらないようにしていた。

「……っ! 迅、くん。……えっと、ありがとう」
「いーえ」

 でも今この教室には俺とみょうじさんしか居ない。だから俺がこうやって黒板の上の方を消すのに苦戦しているみょうじさんに代わって黒板を消してあげても、誰かに見られて、みょうじさんが疎まれる事も無い。それに、ただぼーっと無意味な時間を過ごすよりかは、誰かの助けとなる行動をした方が気持ちが良い。そういう色んな利点が重なったから、俺は重たいと思っていた腰をスッと上げて、みょうじさんの隣に立ち、黒板に向かってみょうじさんへの返事をした。

「ちょっと意外だった」
「何が?」
「迅くんって、授業終わったら直ぐに教室から出て行くイメージだったから」
「まぁ、あながち間違いじゃ無いよね」
「それに、こうやって誰かに手を貸すイメージも無かった」

 結構な言われ様だと思い、思わず苦笑してしまうが、残念なことにみょうじさんの言っている事は的を射ている。人に手を貸さないのは意図してやっていた事なのだから。それを冷静に見られていただけの事。それならば、こっちだってみょうじさんに対するイメージを冷静に伝えようじゃないか。

「みょうじさんは逆だよね」
「?」
「貸さなくていい手を貸して、貸して貸して貸しまくって、自分の首を絞めてるイメージ」
「……」

 自分でも思ったよりキツイ言い方をしてしまったと思った。そんなに言葉を交わした事の無い男子生徒からこんな言い方をされたら、怒るかもしれない。少しだけ怖くなった俺はチラリと目線だけを横にズラしてみょうじさんを見下ろしてみる。でも、みょうじさんからは怒る姿は視えてこなかった。それどころか、みょうじさんは黒板消しを持つ手を降ろし、「迅くんって、人の事良く見えてるんだね」と微笑みを向けてきた。

「怒らないんだ」
「……怒らないよ。怒ったって、何にも良い事無いじゃん」

 そう言って顔に笑みを張り付けたみょうじさんからは確かに怒っている姿は視えない。…なんだかそれもつまらないと思った。平和に生きていくには、穏やかである事が1番だと思う。そして、みょうじさんはそれを実践しているだけの話。それなのに、何故か俺はみょうじさんを怒らせてみたいと思った。その行為をする事でみょうじさんが怒るのかどうか。視れば良いだけの話だったのに、俺は視るよりも先に体を動かしていた。

 俺の左手には黒板消しが握られている。そして、右手には柔らかいみょうじさんの左のお尻が握られている。

「ひゃっ!?」

 柔らかい。それが1番初めに浮かんだ感想。いつまでも触れていたくなるような、そういう心地の良い手触り。もう1回だけ緩めた手に力を込めてみたいと思ったが、その本能を実行するよりも前に理性が俺を正した。

「ごめんっ!」

 次に襲ってきたのは何をしているんだという後悔。怒らせてみたくなったからと言ってクラスメイトのお尻を握る馬鹿が居るか、普通。己の愚かさに顔面から血の気が引くのが分かる。怒った姿を見たいと思ったのは事実だが、その欲望の為にこんなセクハラ紛いの事をしてしまうなんて。怒る、いやそれどころか殴られるかもしれない。覚悟を決めてみょうじさんを向くと俺は別の意味で呆気にとられてしまった。

「だ、大丈夫……。ぜ、全然気にしてないっ」

 みょうじさんは必死にそんな言葉を紡いでいる。一生懸命笑顔を作ろうとしているが、出来ていない。頬を真っ赤に染めて、言葉に出来ない言葉達が出ていかないように口を噤んでいる。……こんな事をしても怒らないのか。それならば、行動に移す前にきちんとサイドエフェクトを使って視れば良かった。まぁ、こうなった今では俺のサイドエフェクトは役には立ってくれないのだけれど。

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