月欠けのバラッド

 こんなに全速力で走ったのは一体いつぶりだろう。時間に換算するとほんの数分だけど、肺がはちきれそうな程痛い。鼻からじゃ物足りないと口がぜぇぜぇと短い呼吸を繰り返す。
 やっぱり私は運動に向いていない。だけど、さっきまで聞こえていた鈴音の悲しい声はもう聞こえてこない。鈴音大丈夫かな……。あんな風に切羽詰まった鈴音の声、初めて聞いた。

「掴まえた!」
「徹くん!? なんで……」
「なんではこっちのセリフ。どうしたの?」
「な、んでも……ないよ」
「嘘。泣いてた」
「な、泣いてないよ? ちょっと睫毛が目に入っただけ」
「嘘、下手クソだねぇ」
「……っ、」

 しゃがみこんで呼吸を整えていた私の腕をギュッと握りしめたのは汗1つ掻いてない徹くんで。なんで、どうしてって混乱する私の横に腰を下ろし「鈴音から頼まれた」とここに来た理由を教えてくれた。

「琴音ならここに来るだろうって。“及川! お願い”ってあんな必死な鈴音初めて見た」

 あ、見たっていうより、聞いた? と目線を上に向けて考えるフリをする徹くん。そのまま目線を夜空へと向けたまま、ポツリと「鈴音も酷だよね」と小さくて短い本音を零した。

「……違う。鈴音は優しいよ」
「そっか。……そうだね」

 あの時、タオルを見つめる鈴音の顔は誰よりも可愛らしくて。あぁ、鈴音は一生懸命徹くんに恋してるんだなぁって。のんびり屋な私ですら痛いくらいに理解出来た。そして鈴音はその気持ちをずっとひた隠しにして、多分、何度もなくそうとしたと思う。だけど、それが出来なくて。ずっと、ずっと苦しい思いをさせてきた。……ごめんね、鈴音。同じ人を好きになっちゃってごめん。

「私ね、徹くんが好き」
「……うん」
「だけど、徹くんが好きなのは、鈴音だよね?」
「……ごめん、琴音」
「ううん。いいの。私、応援する」
「……出来るの?」
「それは――難しい。……でも、鈴音の幸せがそこにあるのなら、それを願いたい」

 出来るの? と問うたその瞳はどこか試すような、疑うような。それでいて、気遣うような優しさを滲ませて。徹くんもこういう気持ちになったこと、あるのかな。

「琴音は鈴音のことになると逞しいんだね」
「そう? 鈴音みたいになれるかな」
「なれなくてもいいんじゃない? それが琴音なんだから」
「そう、だね」

 徹くんは優しい。だからどうして。こんなこと言えちゃうのかな。

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