烏の濡れ羽色

 北信介とは、と尋ねるとほとんどの人物が“完璧”や“隙がない”だの“機械のような人”という言葉で彼を表すのだろう。しかし、北本人は周りからそう言われていようがいまいが、そんなことは気にせず、自分のやりたいようにするのだ。

――“結果”はただの副産物にすぎん。

 北が常日頃から思っている考えである。例えば今こうやって図書室へと立ち寄り、今日の授業の復習の為に参考書を借りようとしている事も毎日ちゃんとしていれば、試験前に慌てる事も無いからそうしている訳であって。“反復・継続・丁寧”これをこなす事は気持ちが良い。だから、もしそれを周りが完璧だというのなら、それは――

「また難しい事考えとんのやろ」

 図書室へと続く道中で考えていた内容を隣を歩く尾白アランによってぶった切られてしまう。

「いや、別に。難しい事は考えてへんよ。それにしても珍しいなぁ。アランまで図書室に来たがるんは」

 自分が考えていた事を中断し、目の前に居る尾白との会話へと移ると話を振られた尾白の顔が固まるのが分かった。

「い、いや、なんていうんやろな? 俺も次の試験に向けて頑張ろー思てな? いや別に……その……」

 ただジッと尾白の事を見つめていただけなのに、尾白は言葉を詰まらせていき、最終的には顔を俯かせてしまう。尾白がこういう態度を取る時は大抵後ろめたい事がある時だと北は知っている。

「赤点取りそうなんやろ?」
「うっ……! そうや。やから北頼む! 教えて!」
「まぁ、ええよ」
「ほんまか! 助かるわ!」

 人に教えるという事は自分の復習も出来るという事でもある。それに赤点を取りそうな状況をなんとかしようとする事自体は咎める事でもない。それでも尾白は北から何か言われるのではないかという恐怖心が心のどこかにあったのだ。しかし、事の真相を言ってみたところで、北からのお咎めはなかった。その事に尾白は心のつっかえが取れたかのように次から次へと口から雑多な話題を出して見せた。その話を「へぇ」「そうか」などの言葉で返しながら図書室へと辿り着き、中に入る。

「俺、教えて貰いたいとこの参考書取ってくる」
「おん。んじゃ俺も参考書取ってきたらここら辺に座っとくわ」

 そう言って尾白と別れ、目当てとしていた参考書が置いてあるコーナーへと向かう。

「あ、北くん! こないだの試合、私行ってんけど、やっぱウチって強いんやなぁ!」
「なぁ侑くんとか治くんって今彼女居んの?」

 道すがら、バレー部のファンらしき女子生徒達に見つかり、こんな風に絡まれてしまう。バレー部は輝かしい成績を収めている部活であり、学校内で自分が知らない相手からもこうやって話しかけられるという事は日常茶飯事であった。

――ここ図書室やで。場を弁えんかい

 北はこの日常茶飯事を起こす女子生徒達にそう思いつつも、適当にあしらっておけば直ぐにどこかへ行くだろう。そんな事を思いながら棚へと辿り着き、目当ての参考書へと手を伸ばした時。自分の手が参考書に触れるよりも先に、白く細い手によってその参考書が本棚から抜き取られしまう。その白い手の先を見やるとそこには黒く長い髪を真っ直ぐに伸ばし、その黒髪に負けない、意思の強そうな凛とした瞳を持った女子生徒が居た。

「あっ、ちょお! アンタ! 北くんが借りよ思っとったヤツやん! なんで取んの!」
「せや! 北くんに返しぃや!」

 空を彷徨った手を大人しく自分の元へと戻していると先ほどから絡んできている女子生徒達が黒髪の生徒に絡む。しかし、その発言は聞いている北自身も不条理だと思った。さすがに見ず知らずの女子生徒が自分のせいで謂れもないやっかみを受けるのは申し訳ない。

「あのな、「なんで?」

 北が口を開いたと同時にその女子生徒から言葉が放たれる。

「なんで? これ、そこ居る男子生徒のもんなん? ちゃうやろ? これは学校のもんやん。それを私が早く借りたいうだけの事やん。なんでそれを返せとか、言われなあかんの?」

 その場に居た全員が口を噤むのが分かった。彼女の言っている事が痛いほど正論だったからだ。そして、その言葉は今しがた北自身が発しようとしていた内容とほぼ同じだった。その言葉が黒髪の生徒の口から出た事で北は思わず笑いそうになる。

「は……なんでて……そ、そら北くんがバレー部やからやろ!」
「北くんはバレーも頑張ってんねん。やから、参考書やって北くんが優先されるべきやろ」

 負けてたまるかという気持ちからなのか、なおも苦しい理屈を通そうとする女子生徒達。

「ふっ。あんたら自分が言うてる事のおかしさが分からへんの? あほらし。やっとられんわ」
「なっ……!」
「あんたなぁ!」
「そこら辺にしとってや」

 鼻で笑って相手にしていない黒髪生徒に突っかかろうとした女子生徒達を堪らず北が制す。

「変な事言うとるん、自分らも分かっとるやろ? そこの黒髪さんが言うとる事が正しいわ」
「なんやの……私ら北くんの為思うて……」
「別に、そんなの要らん」
「……もぉ良いって。行こ」

 北にまで制された事でばつが悪くなったのか、そそくさと図書室から出ていく女子生徒達。その姿を見届け、ようやく静けさが戻って来た図書室で黒髪の生徒へと向き直る。

「……すまんな。その本、借ったってや」
「なぁ、黒髪さんって私の事?」

 2人きりになった事で北はその女子生徒の視線を一心に受ける事になっていた。そして、彼女の瞳はしっかりの北の事を捕らえている。その事に北は少しばかりの気恥ずかしさを感じて、視線を逸らす。

「悪い。その、名前知らんかったから」
「みょうじ。みょうじなまえ。謝らんでええよ。私もさっきまで君の名前の知らんやったし」
「あ、俺は「北さん、バレー部、やろ?」

 名乗ろうとした北の言葉を遮って「さっきの女子生徒が言うてた。大変やな。バレー部いうんは」と労う言葉と共に凛とした瞳を細めてみせる。さっきの冷たい表情とは打って変わって、柔らかくなった表情に北は呆気に取られてしまう。

「俺のせいで、悪いな。巻き込まれてしもうた」
「ああ、気にしてへんよ。私、言いたい事ハッキリ言うてまう性格やし。やから、あんまり腹には溜まってへん」
「そっか。それなら良かったわ」
「おん。んなら、これ、悪いけど借りてくな」
「おお、気が済むまで使うてええから」
「はは、その発言は北さんのモン借りとるみたいやわ」
「それもせやな」
「やんな! んじゃ、またな」

 そう言って、参考書を腕に抱えてカウンターへと向かっていく黒髪さん改め、みょうじさんの背中を北はジッと見つめた後、自分も尾白が待っているであろう席に向かう事にした。

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