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「狂犬ちゃーん」
「……」
「えっ! ちょっと無視!? 俺先輩だよ!?」
「俺、そんな変な名前じゃねぇっス」
「んもう〜、良いじゃん、先輩からの愛溢れるあだ名じゃん」
「……」
「あ、なんかゴメン。……あのね、狂犬ちゃん」

 及川はみょうじがビブスを洗いに行っている間に京谷に近付き、楽しそうな表情を浮かべる。そんな及川の好奇の目に気が付いているのか、京谷の眉根はいつも以上に寄っている。それでも尚、及川はその表情を止めず、目の前に居る後輩に声をかける。

「なまえちゃんて、結構人気あるの、知ってる?」
「……は?」
「ほら、あの子いっつもニコニコしてるじゃん? オマケに一生懸命で健気。お前が部活を離れてる間もお前の事気にかけてあげるような。可愛いよね、なまえちゃんって。だからさ、狂犬ちゃんがなまえちゃんの事良いなって思うのも、俺は頷ける訳よ」
「俺がいつアイツの事、」
「えー? さっきだって“デート”って言ったら明らかに照れてたじゃん」
「なっ!?」

 顰め面ばかりの後輩の表情がそれ以外の表情になるのが楽しくて仕方が無い。みょうじによってこんな表情も出来るのならば、この先俺達が居なくなっても京谷は大丈夫だろう。みょうじが京谷を連れ戻してくれて良かった。みょうじがこの部活に居てくれて良かった。そう安堵する気持ちも沸いて来る。

「なまえちゃん、マジで良い子だから、しっかり自分のものにするんだよ? 良い?」
「いや、まじで意味分かんねぇッス」
「はいはい。いずれ分かるから。よーし、じゃ、部活始めますか! おいで、狂犬ちゃん」
「……」
「ん? あれ? おーい?」
「おいこらボケ川! さっさと戻って来い! 京谷もだコラ!」
「……うす」
「ほらまただ! 何で俺の“おいで”には反応しないくせに岩ちゃんの“来い”には反応するのさ!……まったくもう〜」

 つまり結局の所、及川にとって、京谷もみょうじも可愛くて仕方がない後輩なのだ。



「京谷! 一緒に帰ろ!」
「は?」
「だって約束! ハミチキ! 食べて帰ろ!」
「別に要らねぇ」
「えぇ〜! だって京谷が言ったんじゃん! 絶対奢れって! それに私もうお腹空いちゃったし、ハミチキの口になってるんだけどなぁ。……本当に行かないの?」
「……行きゃいんだろ」
「わーい! じゃあ皆さん、お先に失礼します!」







「え、なんスか今の……。矢巾さん、あの2人って、」
「いやいやいや俺も知らねぇよ! 国見なんか知ってたか!?」
「金田一も矢巾さんも知らないのに、俺が知ってる訳ないじゃないですか。まぁでもあの感じだと付き合って「皆まで言うなアアア! 国見ィイイ!」……うわ、うるさっ」
「矢巾ほどじゃねぇけど…俺もちょっと衝撃だったわ。まっつん知ってたか?」
「いいや。俺も全然。でもあの京谷が言われるがままな姿なのにはさすがにビックリだわ」
「良い友達が出来て良かったな、アイツ」
「ぶはっ、岩ちゃんそれ見当違いも甚だしいから!」

 京谷を引き連れて去っていたみょうじはこんな話が部活内で繰り広げられているとは露程も知らない。



「ねー、京谷。本当に私が奢らなくて良かったのー?」
「良い。お前に奢って貰うとか、きもい」
「何でよ、私が京谷の新から強奪してるんだし、これじゃお詫びになんないじゃん」
「うぜぇ」

 ハミマに入ってレジで「チキン2つ下さい!」と威勢よく言った私が財布から小銭を取り出していると、ポケットからお金を出してそのまま袋を取って出て行く京谷の後を追って来た道。結局奢ってもらったような形になってしまっているこの状況に堪らずそんな事を聞くといつもの様にうざいとあしらいながら、袋を差し出してくる。その袋を受け取って、良い匂いをさせている揚げ物を見ると唾液が分泌されてくる。ああ、我慢出来ない。

「ゴチにナリマス……。今度、何か買ってくるね?」
「別に良い」

 私の分を取り出して、京谷の分も取り出してそれを差し出すと袋を破って、揚げ物にかぶりつく京谷。おお、美味しそうに食べますなぁ。

「ふはっ、美味しいっ!」

 京谷に触発されて私も思い切り齧り付くと口の中にお肉と肉汁が流れてきて、味覚が歓喜する。

「部活終わりのハミチキって反則級だよね。美味しすぎて笑えちゃう。ね?」

 口の端についた油を拭き取りながら京谷に顔を向けると、私の方を見ていた京谷とバッチリと目が合う。

「どうしたの?」
「うぜぇ」

 暫く見つめ合う状況に首を傾げるとまたうざいと言って顔を逸らされてしまう。なんか今日は一段とうざいって言われる気がするんですけど。

「ねぇ、今日一段と機嫌悪くない? 私何かした?」
「別に」
「そう? じゃあ今日の部活は楽しかった?」
「は?」
「言ったでしょ? 私、アンタの事引き戻した張本人だからさ、京谷が楽しいって思えるようにしたいって」
「……だから、何でそんなに一生懸命なんだよ」
「だって、私は皆の事が好きだから。好きな人の為だったら一生懸命になれるでしょ? そういう事だよ」
「じゃあお前は俺の事、」
「うん? 好きだよ、勿論。バレー部の人は漏れなく全員大好きだよ」

 部活前の時のように京谷の顔つきが変わる。心なしか赤いような……。

「京谷? どうしたの?」
「うざい」
「えっ、また? 何かダメだった?」
「ムカツクんだよ」
「えっ」

 京谷の顔が私の方を向く。その顔は何故か怒気を孕んでいて。京谷の言葉に体が固まる。

「他人の為に一生懸命で、俺からうざいって言われてもチームの為、とか言って引っ付いてくるし、俺みたいなヤツの事にも一生懸命で、楽しそうにヘラヘラしてるその顔がうぜぇ。見ててムカツク。全部うぜぇ」
「……ごめん、私、そんなに京谷の事イラつかせてたって知らなくて……。えっと、」

 自分がそこまで京谷の気持ちを不快にしてたなんて全然気が付かなくて、どうしようもなく情けない気持ちになってくる。ごめん、京谷。私、京谷にとって本当にうざい存在だったんだね。ごめん。

「……ごめん」
「……チッ」

 私の掠れるような謝罪に舌打ちで返してくる京谷に肩をビクつかせる。いつの間にか溜まっていた涙がその拍子に双眼から零れ落ちて、ハミチキを持つ手を伝っていく。

「私、今日は、帰るね……。ハミチキ、ありがとう。ごめんね」
「待て」

 京谷の顔を見れなくて、俯いたまま走り出そうとする私の手を京谷が掴む。

「えっ、」
「お前がそうやって泣くと、俺はどうすりゃ良いか分かんねぇ」
「……ご、ごめん」
「謝んな、うぜぇ」
「そんな……京谷、私だってどうしたら良いか分かんない」

 涙が少し残る瞳で京谷を見つめると、京谷がぼやけて映る。何を考えているのかが知りたくて、その顔を覗こうとするけれど、京谷の顔は俯いていて。ぼやけた姿と同じくらい、表情が読めない。京谷がどういう気持ちでこんな事をするのかが知りたい。私は、うざがられるかもしれないけど、やっぱり京谷と向かい合いたいんだ。

「京谷、」

 私が京谷に問い掛けると、京谷は頭をボリボリと掻いた後、意を決した様に私に向き合ってくれる。

「お前の一生懸命な所、うざいと思う。……けど、本当は、お前が楽しそうにしてる姿とか……笑ったときの顔とかは、その……、うざいと思う以上に、か、かわいい、とおも、ってる」
「へっ?」
「誰かと慣れ合うのは嫌いだ。でも、お前がそれを望むのなら、してやらなくも、ない」
「え、ほ、ほんと……?」
「期待はすんな」
「う、うん。……あの、京谷」
「あ?」
「1つ確認なんだけど……私の事……うざいって思ってる?」
「お前、俺の話聞いてたか?」
「聞いてた! 聞いてたからこそ! ちゃんと確認したくて! 私の事、“可愛い”って思ってくれてるの?」
「……何回も言わせんな、うぜぇ」
「ごめん、今うざいって言われても怖くないや。それに、その言い方だと肯定になるよ?」

 京谷の顔を覗き込むとほんのりと頬が赤くなる。その顔、照れてたんだ。どうしよう、京谷が、可愛い。

「すっごく嬉しい。ありがとう、京谷」
「……お前、泣いたり笑ったり。情緒不安定だな」
「それ、京谷のせいだよ」
「なぁ、お前って誰にでもああやって“好き”って言うのか?」
「ん? あれは仲間としての好きだから」
「……そうかよ」
「でも、京谷に対しては別の“好き”もある、かも」
「は!?」
「ハミチキ、冷めちゃう。食べよう!」
「お前、ほんとうざいな」
「はは。京谷が素直じゃないって事、忘れてた。これからは“うざい=可愛い”で変換するから。よろしく」
「……うぜぇ」
「えへへ、ありがとう」

 京谷がチームに向こうと努力しようとしてくれる事が嬉しい。でも、まずは。京谷と私、2人きりで向き合う事から始めてみようか。

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