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 家族を鬼に喰われた。

 鬼。そんな存在が実在するだなんて数十年生きて初めて知った。“夜になったら鬼が出る”お母さんから夜更けが近付くとそう脅され、妹たちときゃあきゃあ言いながら布団に潜り込んだ日々。

 数十年と続いた愛おしい日々は、呆気なく崩れた。

 ぴゅうと吹きすさぶ隙間風が頬を撫ぜ、ぬるりとした不快感に目を瞬かせると、目の前には変わり果てた妹の姿。もう1つ瞬きをし、視線を這わせた先では目を見開いたまま動かない母親の姿。家族の変わり果てた姿を双眼に落とし込み、もう1度見つめた先に居たのは見知らぬ誰か……いや、なにか。

 そのなにかが妹を吐き捨て、ゆっくり体を私へと向ける。
 なにか――“鬼”が一歩、また一歩と私の布団へと歩みを進める。まだ体のどこも損傷などしていないのに、動いてくれない私の体。あぁ、私も妹やお母さんのように食べられるのだ。

 やけに冷静な頭でそう思ったら、ぎゅっと瞳を閉じていた。別に覚悟なんてしていた訳もない。ただ、時間が足りなかっただけなのだ。数十年の日常が終わる、その覚悟が。

 しかし、私はこうして怪我なく今を生きている。







「いつまで突っ立てんだよオイ」
「あ。……お帰りなさいませ」

 ふん、と鼻を鳴らしながら廊下を乱雑に歩くお方――不死川実弥様に間一髪のところで助けて頂いたからだ。

 あの時、閉じた瞳の向こうで「死ねゴラァ!」と粗暴な怒声がつんざき、慌てて開いた瞳の先に首を切り落とされた鬼の姿があった。
 怒涛に訪れる非日常に、脳が完全に固まっていた。布団に横たわったまま、全く動けないでいる私を「オイ。生きてんのかオイ」と怒声の中に少し焦燥を滲ませた声が抱き起こした。

「あ、あ……」
「怪我は?」
「う、あ、あぁ」
「……しっかりしろ!」
「っ! い、いやっ、やぁ!!」

 実弥様の喝で塞き止めていた現実が一気に脳内へと流れ込み、途端に溢れ出た悲惨な状況。錯乱状態に陥った私を「大丈夫だから。もう大丈夫だ」と優しい声で抱き締めてくれたのも実弥様だった。



 こうして一夜にして天涯孤独の身となった私を、実弥様がご自身の屋敷で雇ってくださった。はじめは、愛する者が1人として残っていないこの世に身を置いた所で……と腑抜けた面構えをしていた。しかし、「俺が救ってやったんだ。犬死しようなんざ考えんじゃねぇぞォ」と実弥様に凄まれてしまえば自害など早々に選択肢から外した。

 数週間は本当に辛い日々だった。けれど、ここに居て同じような境遇を抱えたうえで鬼に立ち向かおうとする鬼殺隊の方々を見ていると、私も生きねばと勇気を貰えた。そして、それが遺された私の義務なのだと。

 掃除や食事の準備など、実弥様の身の回りのお世話をこなしていると、実弥様のお人柄が必然的に伝わってくる。意外と昆虫採集するのがお好きであったり、間食におはぎを作ると口に運ぶ回数が増えたり。
 人に向ける態度は粗野であれど、その実傍若無人という訳ではない。獣のように恐ろしく見えた実弥様が、実は誰よりも人間らしいのだと気付くのに、それ程の時間は要さなかった。

「実弥様、お風呂の……その前に傷の手当を致しましょう」
「こんくれぇの傷、日常茶飯事だろうが」
「そう、ですね……」

 実弥様の言う通り、普段から実弥様の体には傷がついている。古い物から真新しい物まで。そして、そのほとんどはご自身が付けられた物である。実弥様の血液は稀血と呼ばれる稀有なものらしく、その血液を使って鬼狩りをなされているらしい。
 だから、実弥様の言った通りこれくらいの傷は日常茶飯事なのだ。実弥様ご本人は気にもされない程には繰り返されている習慣。……痛くないハズないのに。

 実弥様はどこか自分という存在をないがしろにしている気がする。他人に向ける態度や言葉は横暴であれど、その芯には温かさを感じるのに。ご自身について仰る言葉には冷たさを感じるのだ。私にはそれが痛くてしょうがない。けれど、それに触れる権利もなければ、立場でもない。

 だから今日も言われた通りの行為をこなすことに徹底し、自分の気持ちをも押し殺す。本当はその傷全てを手当てしてあげたい衝動を抑え込みながら。私の命の救って頂いたのは実弥様なのだから。

「おいなまえ」
「はい、なんでしょう」
「コレやる」
「え。あ、ありがとうございます。でも、」
「なんだ? いらねぇのか」
「い、いえっ。ありがたく!」

 お辞儀をして下がろうとした私を呼び止め、差し出したのは実弥様がお気に入りのおはぎで。こんな貴重な物を頂いていいのか――そう戸惑う私に半ば強引に押し付けてきた。それを両手で抱える私と、その場から尚も動こうとしない実弥様。……“この場で食せ”ということなのだろう。開いた包みにちょこんと居座る2つのおはぎ。そのうちの1つを手に取り口に含むと、あんこの粒のしっとりとした食感、おもちの弾力のある柔らかさ、それらが口の中で混ざって甘い味覚となって体を駆け巡る。

「おいしい……」
「ハッ。そら良かったな」
「はい! 実弥様、こんなに高価な物を……本当にありがとうございます!」
「んな大袈裟な」
「いえ。私はなんと幸せなのでしょうか。……あぁ、妹たちにも食べさせてやりたい」
「……そうだな」

 思わず漏らした本音を実弥様は静かに受け止め、そのまま廊下を立ち去ってしまった。……いつもそうだ。実弥様と関わると温かくて、冷たい感覚が体を襲う。それが寂しくて、少し切ない。それはまるでおはぎの甘さを打ち消してしまえるくらいの、そんな辛さだ。



「実弥様!?」
「……」

 その日の実弥様はいつも以上に傷を負った状態で屋敷に戻ってこられた。目を血走らせ、鼻息も荒い実弥様に慌てて駆け寄るとそのままぐいっと抱き寄せられた。瞬く間の出来事に目を白黒させていると「抱かせろ」と唸るような低さで実弥様の声が耳元でする。

「だ、そ、それは……わ、私を、ということでしょうか?」
「あァ。今すぐ。抱かせろ」
「…………はい」

 忘れてはならない。私の命を救ったのは実弥様だ。その実弥様から言われた言葉は絶対なのだ。拒否なんてできない。二文字を返すまでの間に覚悟を決め、それを発するとすぐさま横抱きに抱え込まれ、半分投げつけるような所作で布団に押し倒された。

「……うっ、ふっ、」
「我慢すんな」
「さ、実弥さま……」

 そうして掻き抱くようにして行われた行為は、痛くて、きつくて、どうしようもなくて。けれど、とても優しくて。本当の実弥様を見ることが出来たような気がして、凄く嬉しかった。……私はこの日のことを決して忘れないのだと思う。もちろん、宝のような時間として。

 どうしようもなく実弥様が好きなのだと実感した日でもあるのだから。

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