不滅

 なまえが姿を消した。俺の世話に愛想を尽かしたのだろう。それならそれで構わねぇ。あとは好きにやってくれ。

 上っ面に浮かべた言葉と、心臓の中心を渦巻く感情の乖離が激しくて吐き気を催す。……あぁ、胸糞悪ぃ。



 鬼の暴走を聞きつけ、出向いた家で見たのは嫌に懐かしい風景。……チクショウ。どうして俺ら人間がコイツらなんかに喰われねぇといけねェんだ。殺すくらいならテメェが死にやがれ。

 鬼を前に滾る怒気。それらを抱え見据えた先で、新たなる犠牲者を生み出そうとしている鬼に迷いなく刃を向けた。間一髪の所で救いだした女は、まるで死んだような顔をしていて。慌てて生死の確認を取ると「あ、あ……」と言葉にならない声を発した。

 とにかく生きていたことに安堵し、未だに混乱している女に声を張ると途端に咽び泣きだした。……あぁ、どうして。どうして俺やコイツがこんな思いをしないといけない? ただ、仲睦まじくひっそりと生きてきただけなのに。どうして大切な人の無残な姿を見ないといけない? どうしてそれを受け入れなければならない?

 女の泣き声に共鳴するかのように俺の中で悲痛な声が叫び出す。……けれど。だからこそ、決めたんじゃねぇか。

 俺が鬼を狩って狩って狩りまくって。玄弥に、平穏な生活を贈ってやるのだと。お兄ちゃんが――俺が、鬼は狩ってやるから。

「大丈夫だから。もう大丈夫だ」

 だから、お前も大丈夫だ。



 俺の屋敷に来てからもなまえはずっと浮かない顔をしていた。あの時は救うことが出来なかったけれど、今度はどうにか救うことが出来た命。決して取りこぼすことのないように。そう願いを込めて脅した言葉はなまえにきちんと効いたらしい。

 それからも暗い表情を浮かべる日々が続いたが、鬼殺隊のやつらと接していくうちに明るくなっていくなまえにやけに安堵する自分が居た。

 なまえは俺が帰る度に作る傷を見ては悲しそうな顔をした。いい加減慣れろとも思ったが、コイツがそんなことを言っても変わらないくらいに優しいヤツだということは、早々に気が付いている。

 鬼の存在を滅殺出来るのならば、俺の命なんざくれてやる。そんな思いで鬼狩りをしている身からすれば、なまえの優しさはいやに擽ったいものだった。

「おいなまえ」
「はい、なんでしょう」
「コレやる」

 懐に入っていた包みを渡すと、遠慮がちに受け取り、その中身を見た途端ぱあっと顔を輝かせた。やっぱり。好きなら好きだと言えば、もっと与えてやったというのに。俺がおはぎを食べる時、いつも羨ましそうにこちらを見ていたのを思い出し、思わず緩みそうになった頬。

「……あぁ、妹たちにも食べさせてやりたい」

 しかし、それはなまえの言葉によって半端な位置で止まった。その言葉が兄弟たちの顔を思い出させた。……俺も、アイツらに食べさせてやりてぇ。玄弥は今元気にやれているのだろうか。…………あぁ、アイツらに会いたい。

 こみ上げてくる感情を抑え込むように唇を噛み締め、その足を道場へと向ける。……1体でも多く、1日でも早く。なまえや玄弥に健やかな時が訪れるように。俺は強くならねぇと。



 久々に死を覚悟する死闘だった。死を覚悟した時、いつも頭に浮かぶ人が居る。お袋や弟や妹、匡近、玄弥。――そしてそこになまえの姿が加わった。

 あぁ、そうか。俺はなまえのことを好いてんのか。

 ぼんやりとそのことを自覚した途端、腕に力が戻って鬼の首を掻き切っていた。そのままなまえに会いたいという衝動を抱えながら戻った屋敷でなまえの姿を見た時、もう堪らなかった。

 欲望をそのままぶつけるような行為であったのに、なまえはやさしく慈しむような声で俺の名前を呼び続けた。人に名前を呼ばれるだけでこんなにも甘美な気持ちになるのだと、俺はその時初めて知った。

 なまえが姿を消したのはそれから数か月後のことである。

 いつものように帰って来たらそこに居るハズのなまえが居ない。思いつく場所全て探しても見当たらない。最後になまえの部屋に行くと「ありがとうございました」と短い言葉だけが記された紙があった。

 それをグシャグシャと丸め、床に叩きつけた。それから今日に至るまで、毎日心が波立っている。あの日、グシャグシャにした紙のように、心もグシャグシャになったみたいだ。……あぁ、胸糞悪ぃ。

 甘味処に寄ってもどこかになまえが居ないかと視線を這わしてしまう。せっかく買ったおはぎでさえ何も味がしない。……俺はもう、至上の甘味を知ってしまったから。それに飢えて飢えて、おかしくなりそうだ。

「…………こんなの、鬼と一緒じゃねェか」

 言葉にしたらけたたましい勢いで嫌悪が駆け上がってきた。こんな自覚、絶対ぇしたくねぇ。あぁもういい。なまえが幸せならそれで。

 小さく吐き出した吐息が、人知れず渦を巻く。その渦を見守るようにボーっと街中を眺めていると、見慣れた後ろ姿が弾かれるように動き、慌ててそこに焦点をあてた。

「…………嘘だろ。オイ」

 幻覚を見ているのか、と逸る気持ちを抑えながらその姿を追う。そうして捕まえた肩。ぐいっと引いた先に居たのはなまえと――赤子。

「実弥様……」
「……こっちに来い」

 俺を見上げるなり泣きそうな顔をしたなまえ。一体いつどこで。誰と。――そんなの訊かなくても分かる。あの一夜だけは、忘れたくても忘れることなんて出来ないのだから。



「も、申し訳ありません……」
「なんで姿を消しやがった」
「それは……」
「コイツが出来たからか」
「…………申し訳ございません」
「ハァ?」

 なんで謝るのか、その意味が全く分からない。分からないことに不快感を覚え語気を強めるとなまえの肩が強張る。……なんで俺をそんなに拒否するんだ。……俺が、無理矢理抱いたからか?

「実弥様の子を身籠ったと知った時、嬉しかったのです」
「……あ?」
「実弥様にとって、ただ欲望を吐き出すだけの行為だったと承知しております」
「は、」
「だけど私は実弥様に抱いて頂けて嬉しかった。そして、あろうことか実弥様の子を孕んだ。本来ならばこの命は諦めるべきなのでしょう。ですが、私にはそんなこと出来なかった」
「……だから、姿をくらましたのか?」
「この子は私だけで育てます。ですからどうか、見逃して頂けないでしょうか」
「……お前、俺のことそんなヤツだと思ってんのか?」

 勝手に想いを告げ、勝手に散らし、勝手に決めつけて。なまえはこんなにもふざけたことを抜かすヤツだったのか? なんだコイツ。なんにも分かってねぇ。俺がどれだけの想いで日々を過ごしたか。分かろうともしてねぇ。

「いいえ。……実弥様はお優しい方です。ですから、子供が出来たと知ったら責任を取ろうとなされるでしょう? そして、私達という非力な存在を抱えることで実弥様に弱さが出来てしまう。……私は、それだけは……嫌なのです」
「……なまえ」
「実弥様はご自分を傷付けることに戸惑いがない。そこに、守るべきものを加えたら今以上の無理をご自分に課すのでしょう。そんなこと、実弥様にさせたくない」
「だから、姿を消したっていうのか……」

 もう1度小さく謝罪を口にするなまえ。伏せた瞳は腕で寝息を立てる赤子に向いている。その姿が家族と過ごしたあの日々を呼び起こす。……なんて美しいのだろう。なんて慈しいのだろう。――こんなにも愛おしい存在を、手放せるものか。

「さっ、実弥様っ!?」
「……好きでもねぇ女に手ェ出すかよ」
「えっ」
「好きなんだ。なまえ」
「実弥様……」
「戻って来てくれ」

 赤子ごとなまえを抱き締める。人を抱くという行為は優しい力でないと駄目なのだ。それはどの鬼を狩ることよりも難しい。それでいて、どの行為よりも心が満たされる。

「よいのですか……? 私なんかが……、」
「俺がお前も赤ん坊も守ってみせるから」
「っ、」
「だからもう、どこにも行くな」
「……はいっ」

 なぁなまえ。赤ん坊の名前、もう決めたのか? もし、まだだったら一緒に考えよう。

prev

BACK
- ナノ -