遠い日を思えば
中学校時代
「よーちゃん! 遊ぼう!」
思えば、私は小さい時から洋ちゃんに引っ付いてばっかだった。小さい時は「おう、いーぜ!」なんて可愛い笑顔で返してくれていた。それが嬉しくて、私はいつも「洋ちゃん、洋ちゃん」って呼んでは後を追っていた。
洋ちゃんとは同じ団地に住んでいて、所謂“幼馴染”というものだった。ある時、団地の公園で遊んでいたら野球のボールが転がってきて、そのボールと一緒にやって来たのが洋ちゃんだった。
「悪い! なげて!」
少し遠くで待つ洋ちゃんに向かってボールを掴み、投げ返す。
「あ、」
「おい! お前どこなげてんだよー!」
まったくもー! なってねぇなー! なんてぶつぶつ文句を言いながら見当違いな方向へ転がって行ったボールを追いかける洋ちゃんに「ごめん、うまくなげれなくって……」と慌てて謝る。するとボールを素早く掴んだかと思いきや振り返るなり「いいかー? ボールってのはな、こうやってなげんだよ!」言い終えるが早いか、投げるが早いかのタイミングでボールをこっちに投げる洋ちゃん。そのボールは綺麗な放物線を描いて私の手元に落ちて来た。
「すごい! ボールが、来た」
この表現がピッタリ! ってくらい、洋ちゃんの投げるボールは私の手の中に届けられた。
「ヒャハ、まぁな!」
得意げな顔をする洋ちゃんに「私にも教えて!」と思わずお願いした私。そんな私に洋ちゃんは「いいぜ!」と眩しい笑顔を向けてくれた。それからずっと、2人で団地の公園でボールを投げ合って遊ぶのが日課になっていった。
「洋ちゃん!」
「だから、洋ちゃんって呼ぶの止めろって」
「あ、ごめん」
中学生になってから、洋ちゃんは私に“洋ちゃん”呼びを禁じた。なんでも「周りの目ってモンがあんだろーが」って事らしい。
私にはちょっと良く分かんなかったし、それが何で“洋ちゃん”って呼んじゃ駄目な理由になるのかも分からなかった。ただ、学校では洋ちゃんはイタズラが好きなやんちゃなグループとつるんでいたし、私は私でクラスの端に居るような、そんな地味な女の子だったからお喋りする回数も減っていってしまって、そこが少し寂しかった。
洋ちゃんはあれからずっと野球を続けていて、地元では結構名前の知れた選手となっていた。その事が人には言えないけれど、私も鼻高々な気分だった。そんな洋ちゃんと昔よくキャッチボールしてたんだよって。心の中でいつも自慢してた。本当は部活してる洋ちゃんの事、応援したり見てたりしたいけど洋ちゃんの怒った顔が浮かんでくるから、我慢してる。
だから、昔みたいに一緒に帰れる事も少なくなってしまって、そこも寂しい事の一つ。だけど部活が無い日は「帰んぞ」って声をかけてくれるから、テスト期間中は嫌いだけど好き。
「で、この間おばさんがね、」
「は、あんのババァ……! それは言うなって言ってたのに!」
「洋ちゃんの意外な一面だったな〜」
「お前なぁ!」
「あはは!」
下校中は“洋ちゃん”呼びをしても怒られないし、2人で何でもない話してると昔に戻ったみたいで楽しい。
「てか、洋ちゃん! 名門校から野球推薦の話来たって本当?」
「ん? あぁ」
「やっぱ凄いね、洋ちゃんは!」
「ヒャハ、まぁな!」
あの日見せてくれた眩しい程の笑みを浮かべる洋ちゃん。洋ちゃん、ほんと野球が好きなんだなぁ。
「行くの?」
「んーまぁ、行くとしたらそこだな」
「そっかぁ。あそこなら甲子園出場も夢じゃないもんね」
「ったりめーだろ。てか、俺が居る高校なら甲子園出場待ったなしだろ!」
「あはは、洋ちゃん強気〜!」
「稼頭央みたいになるには強気で行かねーと!」
そうやって笑う洋ちゃんは本当にキラキラしてて。洋ちゃんと野球の間に入る隙間なんて無いな……。野球に嫉妬するなんて、変かな。
「なまえさぁ、行きたい高校決まってないんだっけ?」
沈んだ気持ちと一緒に下がっていた顔を上げて洋ちゃんを見つめる。
「え? あ、うん。特には……」
「だったらよ、俺と一緒の高校行かね?」
「え?」
「甲子園、どんなモンか見てみたいって言ってたろ?」
それは昔、今日みたいに野球の話で盛り上がった時に私が何気なしに言った言葉で。まさか洋ちゃんが覚えてるなんて……。
「だから、俺と一緒の高校に来いよ。俺が見せてやる」
その言葉は真っ直ぐに私の心の中に響いてきて。なんていうんだろう、ぶわぁーって何かが湧き上がって来て。でも、そんな事洋ちゃんに言える訳なくて。
「……洋ちゃん、少女マンガでも読んだの?」
なんて可愛くない事を言ってしまった。
「はっ、ちっげーよ! バカ! そこは“うん”だろ!」
顔を真っ赤にして語気を強める洋ちゃん。
「あはは、ごめんごめん」
「で、どうすんだよ?」
「んー、あの高校目指すとなると倍率高いし、色々と大変だけど。洋ちゃんが甲子園に連れて行くって約束してくれるのなら。頑張ろうかな」
元々志望校の一つでもあったんだけど、少し厳しいかもと思っていた。だけど、洋ちゃんが一緒に行こうって言ってくれた。それだけで、頑張る理由としては充分だ。
「ヒャハ! 約束してやる!」
そう笑う洋ちゃんは夕日に照らされていつもより格好良く見えた。洋ちゃんなら絶対約束叶えてくれるって。そう信じて疑わなかった。
洋ちゃんの推薦の話が無くなったのを聞いたのはそれから数ヵ月後。なんでも洋ちゃんが他校の生徒に暴力を振るった事が原因らしい。絶対、何か理由がある。だけど洋ちゃんは何でそんな事したのか決して口を割らなかったらしい。そんなの、誰かを庇ってるに決まってる。
何で? 洋ちゃん。何で理由言わないの? 私はとても歯痒くて、だけど私にはどうする事も出来なくて。ただただ野球を取り上げられてしまった洋ちゃんを見ることしか出来なかった。
「洋ちゃ、」
帰り道、とぼとぼと歩いて帰る洋ちゃんを見つけて声をかけようと思ったけれど、なんと声をかけたらいいか分からなくて。何度もその後ろ姿を見送った。
洋ちゃんが東京の“青道”に行く事になったのはクラスの子伝いで耳に入って来た。良かった。洋ちゃん、また野球が出来るんだ。しかもあの青道でなんて。
その日の夜、コンビニに出かけようと外に出た時公園で素振りをしてる洋ちゃんを見かけて声をかけようとした。だけど、洋ちゃんの顔は前みたいにキラキラしていなくて。野球が続けられる様になったのに、どうしてか洋ちゃんの顔は険しくて。前みたいに野球が大好きで堪らない! って気持ちも伝わって来なくて。
知らない人になっちゃったみたいで、怖かった。だから私はまた洋ちゃんに気付かないフリして公園を通り過ぎた。
……今思い返せば、私は洋ちゃんから逃げていたんだと思う。あの時、きちんと声をかけていれば。こんな事にはならなかったのかな。
それから、卒業して東京に行ってしまうまで、洋ちゃんと私が話すことは無かった。