愛の正体

コレの前の話(単品でも読めます)



 この人の髪型は一生を賭けても解明出来ないだろうなと思う。昨日は確かにぺたっとしていたはずなのに、何故今隣でうつ伏せ状態で眠る鉄朗の髪の毛はこんなにも意思を持っているのか。枕で両サイドから頭を押し付ける寝方も中々にクセがあるとは思うけれど、だからといってここまでのクセが付くか? とも思う。鉄朗曰く、男子バレー部の合宿時には色んな寝癖男子が居たらしい。だとしても優勝は鉄朗だろう。
 寝室には鉄朗でも足を伸ばして眠れる大きさのベッドが1つ。枕は2人に対して3つ。そのうちの2つを使用しぐぅっと寝息を立てる鉄朗の後頭部を見つめ深く鼻息を吐く。真っ黒な髪の毛を見ているとまるで大きな黒猫が眠っているみたいだと思う。最近まで海外出張に行ったり、その後処理に奔走したりしていたし、かなりお疲れのご様子。ようやく落ち着いたと昨日は帰宅するなりソファに体を預けていたし、今日はゆっくり寝かせておいてあげよう。……にしては昨日は中々解放してもらえなかったけれども。まぁ、そこは触れないでおこう。鉄朗にそれを言おうものなら何倍もの言葉で揶揄われ返されるのが目に見えている。言葉を喉元で押し留め体を起こそうとベッドに手を付いた瞬間、その動作を遮るかのように腕を掴まれ鉄朗の腕の中に巻き込まれてしまった。

「ちょ、鉄朗」
「んん」

 “起きるぞ”と意気込んだ気持ちを無下にされ思わず反抗するも、腕の主はフニャフニャと気の抜けた声を発するのみ。とはいえその腕は明らかに髪の毛と同じくらいの意思を持っていて、鉄朗が起きているのは明白だ。猫のような男のクセに、狸寝入りをかましているらしい。その手には乗らぬと腕を叩いてみせても、そんな私の意思はまるっきり無視されてしまう。

「朝ごはん作るから。離して」
「俺は今眠っています」
「じゃあ起きて」
「残念ながら睡眠中の人間になまえさんの声は届かないのです」
「ご飯要らないんだね?」
「要ります。けど今はまだ寝てたい」
「会話成立してますが?」

 鉄朗の体がうつ伏せから横たわるような姿勢に変わる。だからといって私の体が解放されるわけではない。逆に鉄朗の顔を肩口に押し付けられ余計に密着するような体勢になる。こうなればもうこちらも抵抗する気をなくし、体を弛緩させ鉄朗の体温を受け入れる。普段は色んな仕事をしなやかに捌いている男が唯一甘えられる相手。鉄朗にとって私はそういう存在なのだと思うと、これくらいのワガママは許してあげたくなってしまう。休みの日くらい一緒にだらけてあげるとするか。

「こないだのちびっ子教室、大盛況だったみたいだね」
「そー。木兎のキッズ人気えげつない」
「良いな〜。私も参加したかった」
「運動音痴ななまえでも楽しめたかもネ」
「朝ごはん要らないみたいだね?」
「要りますごめんなさい許してください」

 運動音痴であることをいじられたとして。それは事実だし別に恥ずかしがることじゃない。けれど鉄朗がこうやって茶化す為に言うのなら。こっちにだって武器はある。私にとって最強の切り札。そう、私は鉄朗の胃袋を掴んでいる。そんな相手から切り出される“食”は鉄朗にとって問答無用の降参ワードだ。とはいえ向こうも負けじと抵抗することも時にはあるけれども。そうして時折訪れる痴話喧嘩は、大抵取り返しのつかない事態に陥る前に鉄朗がうまく立ち回ってくれる。私たち夫婦がうまくやれているのは、そういう鉄朗の気遣いによる部分がかなり大きい。仕事でも家庭でも無意識のうちに気を遣う鉄朗だからこそ、そんな人から甘えられることが嬉しいし、誇らしささえ抱いていることは鉄朗に内緒だ。

「そろそろ起きるね。愛おしい奥様に抱きついていたい気持ちは分かるけど、離して」
「ん〜。まだ寝てて良いって。なまえも愛おしい旦那様に抱き締められてたいデショ」
「鉄朗は寝てて良いよ」
「唐突な素」
「ふふっ。いやでもほんと、寝てて良いから。お昼からは買い物に連れて行ってもらうし」
「それはなまえもじゃん。買い出し行かないといけないのはお互い様」
「そうだけど。鉄朗はまだちょっとだけ協会の仕事残ってるんでしょ? 忙しさが違うし、ゆっくり寝てて」
「1人で? 鉄朗寂しい」
「じゃあハイ」

 華奢でもない手を顔の前に持って来て瞳をうるうるさせる大男。さすがにそんな姿にあざとさは感じられないので、溜息混じりに私が使っていた枕を鉄朗に押し付ける。そうして私の代わりを与え鉄朗の腕から抜け出せば、鉄朗は油断していたことに気付き「アッ」と声をあげてみせた。運動音痴だなんだと言われるけど、私も一応音駒の出なので。ふふん、と鼻を鳴らし鉄朗の頭を撫でるように何度か往復させてみせれば、鉄朗は目を閉じ私の撫でる手を受け入れる。まるで猫だな。その様子に再び笑みを溢し仕上げにポンポンと頭の上で手を跳ねさせようやくベッドから起き上がる。
 毎日ネットを下げるべく頑張っている鉄朗の為に、今日は魚でも焼いてあげよう。そしたら鉄朗は起こしに行く前に匂いにつられて顔を覗かせるはず。そしてその姿に私は「猫みたい」と笑うのだ。そうして2人して手を合わせて朝ごはんを食べて、ちょっとダラダラしてから買い物へと出掛ける。出先で「あと何が要るんだっけ」だの、「コレめっちゃ安い。2個買っとこ」だのと主婦同士みたいな会話して、戻りは夕陽がチラつく頃になって。そしたら今度は夜ご飯を作って2人で食べて。その間に色んな会話をしては笑って。「おやすみ」と言って同じベッドで朝を迎える。それが私たちの日常。似たような日々だけど、私はそんな毎日を“幸せ”と呼ぶ。それはきっと、鉄朗も同じはずだ。

「良い匂い〜。何魚?」
「ふふっ。やっぱり匂いで釣れた」
「人を魚みたいに言わないでもらえます?」
「魚を食べる側だから、猫だよ」
「あぁ、確かに。いや人間だわ」

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