進化したきみは静寂を忘れた

コレの続き(単品でも読めます)


 ペンギンがいつぞやに上陸した島で買ったというシャンプー。私がそれを目敏く見つけ、ペンギンに強請りお揃いにしてから数日。良い匂いというものには、飽きがこない。ペンギンがこんなに良いシャンプーを使ってたなんて知らなかった。もっと早く知ってたら私ももっと早くに出会えてたのに。そう思うのは今現在の私にしか出来ないことで、そのチャンスは過去にしかない。――つまり、どうしようもない。だから、今知れたと思えばそれで良い。

「ペンギーン。居る〜?」
「あいあい」

 物置部屋に顔を覗かせるとペンギンは思惑通りそこに居て、1人で資料や素材の片付けを行っている最中だった。こういう所にペンギンという人間の性格が表れている。誰に頼まれたわけでもないけど、ペンギンは率先して整理整頓を行う。そういう部分は別に医療うんぬん関係なく、人として尊敬する。

「手伝おうか?」
「んや、あとちょいで終わるし大丈夫。ありがとう」
「了解」

 動き易くする為か、ペンギンはつなぎを脱ぎ腰の位置で袖を括っていた。いつもは隠されたタンクトップ姿をひっそりと眺めてから自身の手に握られたメモに視線を落とす。そうすればペンギンも私の用事がそのメモの中にあると察し、抱えていた木箱を端に置いて近付いて来る。

「この素材があったら欲しいってキャプテンが言ってるんだけど、どこにあるか知ってる?」
「確かコレとコレはさっき片した箱にあったような……」

 同じ方向を向くような形でメモを覗き込むペンギン。身長的にちょうどペンギンの肩が目の高さに来て思わず凝視する。やっぱペンギンって普段はつなぎを着ているから分かりにくいけど、結構鍛えてるんだよな。武器も振り回す系の物が多いし、膂力はウチの中でイチ、ニを争うんじゃないか。背もキャプテンと同じくらいあるし、普段は隠されてる目もそれがまた魅力的に思えるというか。おまけに香りのセンスも良い……アレ?

「ペンギン、シャンプー変えた?」
「あー……まァ。うん」

 ポリポリと掻く頬。その行為は痒みではない別の何かを隠している。その証拠といわんばかりに誰も居ない天井へと逸らされる視線。まただ。私はまたペンギンに隠しごとをされるのか。仲間だというのに。こないだの一件はシャチとペンギンによるバカな男子のバカ騒ぎだと思ったけれど。やっぱり仲間外れにされたような気になるから気分はあまりよろしくない。

「しかもまた良い匂いのヤツ」
「っ、なくなりそうだったからさ。なまえに貸してる方」
「そうなの? ごめん、私が借り続けてるせいだ」
「良いって。言ったろ、なまえにはいつでも貸すって」

 ふわりと香った匂いを辿るように背伸びをして首筋に鼻を近付ける。そうしたらそうした分だけペンギンは体をのけ反らせ私から距離を取る。シャンプーを貸すことを快諾してくれた(というかさせたというか)けれど、生活用品は消耗品でもある。利用者が1人から2人に増えれば消費率ももちろん上がる。だからペンギンは気遣って別のシャンプーを使っていたということか。だとしたら私はかなり厚かましい女だ。今更ながら辿り着いた考えに、自分の至らなさを知る。申し訳なくなって項垂れた私に、ペンギンの「本当に大丈夫だから」と優しくて少し困ったような声が降って来る。……ペンギンって、優しさもハートの海賊団イチ、ニを争う男なんじゃないか。

「今度島着いたら一杯奢るね」
「マジ? それ最高。今回の潜水長かったもんなァ」
「だからペンギンが今使ってるシャンプー、教えて。今度は自分で買う」
「あー……」

 間延びした声のあと、ペンギンが「うん」と言ったのか「嫌だ」と言ったのか。よく分からないままペンギンはメモを取り箱の中を漁り出してしまった。……なんか最近、ペンギンから距離を取られてる気がするんだけど。気のせいか?



「ペンギンどこ?」
「あー……」

 いつぞやの船内で聞いた言い淀んだ声。それを絞り出すように放つシャチの視線は、私ではないどこかを浮遊している。喧騒の地である酒場には、その原因である音楽や人が溢れかえっている。シャチは私の尋ね人を探してくれているのかもしれないけれど、私だってある程度探し回った上でシャチに尋ねているのだ。そしてお目当ての人が居ないからこうしてペンギンと1番つるんでいるシャチに訊いているというのに。シャチの所に居ないということは――つまり。そういうことだ。シャチが口にするより先にペンギンの行き先に見当をつけ溜息を吐く。そうしてシャチの隣に腰掛けシャチが飲んでいたボトルを奪えば、シャチのワンテンポ遅れた「あっ」という間抜けな声が零れた。

「なまえって大胆だよな」
「海賊相手に何言ってんの? 他のクルーなんて男や女を買ってるんだよ」
「まァ、そうだな。確かに」

 酒を奢る約束を果たそうとした私なんてまだ健気な方だ。シャチがグラスに小分けして飲んでいた酒をボトルから直飲みする。別にペンギンがどう過ごそうと構わない。私たちは海賊だし、純朴な少年少女でもない。仲間だけど詮索しないことは大事だ。だけど、最近のペンギンはどうも私を遠ざけている気がしてならない。考えてみたらペンギンはいつもやたら私の頭を撫でてきた。なのに、こないだ話した時だって一切私に触れようとしなかったし、なんなら私から距離を取ろうとしてみせた。メモを見る為に近付きはしたけれど、前だったら私の肩に腕を置くくらいのことはしてたはず。詮索しないことは大事。仲間と言えど距離感は必要。……でも、離れすぎるのも複雑。

「なまえはさ、ペンギンのこと、純朴少年とでも思ってる?」
「は? なんで」
「じゃあ自分に魅力がないって思ってるとか」
「これでも一応、それなりの経験はありますけど」

 言い換えれば私をそういう対象として見てくれた相手が居るということ。突然の不躾な問いにムッとしつつ言葉を返せば、酒場の主人から新しい酒を貰ったシャチがそれに口付けながら「じゃあやっぱバカなんだ」と失礼を重ねてみせた。

「喧嘩なら買ってやるわよ」
「悪いけどおれはなまえのこと妹みてェだって思ってるからアレだけどさ」
「告白したっけ? 私今」

 会話の成立しなさにぎゅっと眉が寄る。私だってシャチを兄みたいだと思ってますけど。じゃあ両思いじゃん。なんだそれ。いやなんだこれ。気持ち悪いな。

「アイツがなまえにどれだけ気遣ってるか、ちゃんと気付いてやれよ。そろそろ」
「そろそろ?」
「小さい箱ん中で生活してる中で、なまえがアイツと対等に居られるのはペンギンがそうしてるからだぞ」
「何、ナメてんの? 私にだって戦う力はあるけど」
「でも身体能力は違うだろ。男と女とじゃどうしたって」

 思い浮かべるのはペンギンの筋肉質な体。私にはどう足掻いたって得ることの出来ないもの。それを持つ相手は、1度たりともその力を私に対して暴力的に振るったことはない。だからつい最近まで認識さえしなかった。でもそれは、ペンギンがそんなことをする人じゃないっていう証明でもある。

「仲間内で同意もなくぶつけんのは男以前に人間としてアウトだけどよ、抑えるのも大変なんだぞ」
「シャチの言いたいことが分かんない」
「だからアホなんだよ。鈍感女」
「右頬を差し出せ。そのあと左頬だ」
「さすが海賊」

 口ではこう言うものの。なんとなく私の中に罪悪感がうまれている。多分、シャチの言わんとすることがぼんやり理解出来たからだ。この前のシャンプーの件はただの戯言だと思って深く気に留めてなかったけれど、もしそこにペンギンの本当の想いが秘められていたのだとしたら。私はあまりにも無遠慮だったのではないか。ペンギンが過剰に距離を取ってるわけじゃなく、私が踏み込み過ぎていた。それを察知してしまった今、自分自身の浅はかさに絶望したくなる。

「ペンギンが戻って来てもいつも通り接してやれよ」
「……うん」

 ポン、と乗せられる大きな手のひら。ガシガシと撫でまわされる手にはペンギンのような優しさはなくて、その無遠慮さにムッとする。けれどその行為を文句言わず受け入れたのは、シャチの思いやりを感じたから。シャチはシャチなりにペンギンのことも、私のことをも見守ってくれている。正に兄のような存在だ。



「ぺ、んぎん」
「わ……なまえ、もう戻ってたんだ?」
「ペンギンこそ……その、早かった、ね」
「あー……」

 何度目だろう。こうしてペンギンの口から淀んだ言葉が吐き出されるのは。こんなことになるくらいなら、シャンプーなんて借りなければ良かった。そしたら、髪が揺れる度に匂いにときめくことも、ペンギンを思い出すこともなかったのに。ペンギンの想いにも気付かずにいられた――こんなことを考えるなんて。私はどこまで自己中なんだ。ペンギンの想いを踏みにじるも同然じゃないか。

「ジャンバールと船番変わってやろうかと思って」
「あ、じゃあ私が変わるよ。他のみんなもまだ島に居るし、シャチも酒場でまだ飲むって言ってたよ。ペンギンも行ってきたら?」
「今日はちょっと……そういう気分になれないというか」

 ちらりと見上げるペンギンの顔。その視線はやはり上に逸らされていて、私を捉えることはない。女を買ったにしてはあまりにも早い帰船。日々溜まる三大欲求のうちの1つを、ペンギンはうまく吐き出すことが出来なかったのだろうか。鬱憤ともいえるそれを清算しないことがどれだけ健康に害を及ぼすか、ハートの海賊団クルーである彼が知らないわけない。知っていてなお発散出来ないのは、きっと私のせいだ。

「ねえペンギン、」
「ん?」
「キス、する?」
「…………は?」

 お酒は強い方だ。だからこの言葉は酔いに任せて言ったわけじゃない。少し先の高い位置にあるペンギンのカサついた唇を見つめ、もう1度「キスくらいなら、良いよ」と放つ。シャチやキャプテンのことは兄みたいな仲間だと思っている。だけどどうしてかペンギンのことは兄と思っていない。どちらかというと友達……男の友達って感覚だった。だから、シャチとバカ騒ぎしているペンギンのことを“幼稚な男子がバカやってる”くらいに思っていた。けど今目の前に居るペンギンは、体格もしっかりしていて、戦場を経験した逞しさもあって、優しさだってある――男だ。今ならハッキリ思う。私はペンギンのことを異性として意識している。ペンギンも私にずっと同じ気持ちを持っていたのだとしたら。

「女の人買えなかったんでしょ? だったら私が代わりに「代わりにしようとして出来なかったんだよ」……えっ」

 今まで取られた距離を埋めるようにペンギンが近付いて来る。勢いに気圧されて後ずさりする私に構わず歩みを詰め、気が付けば端に追いやられ逃げ場がなくなっていた。視線の先には逞しい胸板があって、思わず視線を逸らす。カァっと染まる頬に、ペンギンの視線が刺さる。そして頬だけではないと指摘されるように髪を耳に掛けられ剥き出しにされる真っ赤な耳。その耳に大きな手が触れ、思わず跳ね上がる肩。ただ触られているだけなのに、なんなんだこの恥ずかしさは。こういうことが初めてというわけでもないのに。

「ぺんぎ、ん」
「好きだなまえ」
「っ、」

 耳に触れていた手が首まで降りたかと思ったら、今度はペンギンの顔が耳元に降ってきた。そうして囁かれた言葉は、今まで散々耳にしてきたペンギンの声色とはまったく違うもので、思わず目をぎゅっと閉じる。目を閉じたら、ペンギンの匂いを鋭く捕まえてしまった。……いけない、この距離はまずい。ペンギンが人を抱く時、こんな風に甘い声を出すんだと実感してしまう。

「わ、」
「ほんとにキス、して良いの?」

 防衛本能のように反対側に逃げた顔を、大きな手で捕まえられ真正面に戻される。言ったのは私だ。嫌じゃないから言ったし、私自身、そうしたいと思った。だから言った。でも、きっと、キスされたら私はもうペンギンとこれまで通りではいられなくなる。ペンギンが守り続けてくれた距離感を、私はきっと守れない。

「私はペンギンとキスしたい。……ペンギンは? 良いの?」

 ゆっくり開いた瞳の先で、ペンギンの瞳が待っていた。普段あまり見ることの叶わない双眸は、自分の中にある欲を必死に抑えているようだった。ペンギンは今だってきっと勢いに任せてしまいたいと思っている。それをせずに私を待ってくれているのだと思ったら、ボッと自分の中に熱が灯るのが分かった。太い首に腕をまわし手前に引いたら、思ったより軽い力で抱き寄せることが出来た。

「んっ、」
「はっ、ん、」

 キスだけで終われないかも――。ぶつけた熱と同じくらいの熱量を持つ唇。その熱を感じようと何度も唇を合わせ、それに物足りなさを感じ中に居る舌を求めた時。肩を押され強制的に隙間を作られた。……がっつき過ぎた。

「ごめん、」

 謝るのは私の方だというのに。ペンギンはもう1度「ほんとごめん、」と言って自身の顔を覆ってみせる。そんなペンギンを見ていると、自分の身勝手さを実感して泣きそうになった。散々ペンギンの気持ちを無視して、呑気に過ごして、ようやく気付いたと思ったらキスして。こんなの、ペンギンからしてみたら押し付けられているとしか思えない。

「私の方こそごめんなさい」
「違う、そうじゃねェんだ」
「違うって?」
「これ以上は、止めらんない」

 ペンギンが生みだした距離を、私を抱き締めることでなくすペンギン。押し付けられた固い胸板の向こうでドクドクと正常とは呼べぬ心音が鳴り響く。その音に手を這わせれば、大きな体にぴくりと力が籠る。さっき私が“キスくらいなら”と言ったのを気にかけてくれているのかな。でもごめんペンギン。私ももうキスくらいじゃ止まれない。

「部屋行こ?」
「あー……」

 肩口に押し当てられた唇から深い溜息が聞こえる。今のは言い淀むとかじゃない、溢れ出る感情を押し留めているといった感じだ。私の言葉や行為でこんなにも揺れ動く様子は見ていて少しおもしろい。

「おれね、女買おうとしたの」
「今言わなくて良い」
「ううん。言っとかないとなまえを抱けねェ」
「……じゃあ聞く」

 逞しい背中に腕をまわし胸に擦り寄る。本当は頭でも撫でて返して欲しかったけど、ペンギンは触れることなく「でも無理だった」と結末を口にしてみせる。まあ、そうだったから今ここに居るんだろうけど。

「もっと白状すると、なまえがおれと同じ匂いさせるようになってから、おれ我慢出来なくて」
「そうなんだ?」
「で、その……なまえをオカズに1人でヌいちまって」
「そ、う……なんだ」

 どう受け止めたら良いか分からない告白に、一瞬息を呑む。なんと返せば良いのか。“ありがとう”なのかな、ここは。いやなんに対してのありがとうなんだ? 恐縮ですとか?

「そしたら今度は自分からする匂いにも危なくなっちまって……」
「だから変えたんだ、シャンプー。……じゃあその辺りで私を、」
「そこは詮索しないで」
「そ、そうだね。ごめん」

 これは私が無粋だ。素直に謝るとペンギンも「おれのがごめんだわ」と申し訳なさそうに謝ってくる。言わないなら言わないままでやり過ごせたかもしれないのに。きちんと言ってくれたことは嬉しいと思う。その気持ちを背中にまわした手にこめれば、ペンギンも私の背中を優しく撫でてくれた。

「もうこれ以上はヤベェと思って酒場に居た本職のおねいさん抱こうとしたんだけどさ、もうおれ、なまえじゃないと勃たなくて」
「あー……」

 言い淀むとは、こういう心情の時に陥るのか。聞きたくないような、知りたくないような、知れて嬉しいような恥ずかしいような。とにかくいろんな気持ちが渦巻いて、言語化するのが難しい。

「だから正直、なまえとキスしちゃった今、もうだいぶ限界突破してる」
「え、でも今別に」
「さっきヤバかったの」

 さっきとはおそらく、私がキス以上を求めた瞬間だ。ペンギンも同じ気持ちだったことが分かって思わず頬が緩む。ペンギンには散々我慢させたし、気も遣わせてしまった。だけど、今の私たちは同じ気持ちなのだ。そこに我慢をする必要はもうない。

「ごめんペンギン」
「いや……だからおれのがごめんなんだって」
「部屋じゃなくって、ホテル行こう」
「はぇ……」
「そっちのが心置きなくできるかなって」
「ヒョワ」

 理解不能な鳴き声をあげるペンギンを笑い、少し高い位置にある頬に唇を添える。ホテルに置かれてる安いシャンプーで同じ匂いを身に纏って、一緒に朝を迎えよう。そう告げれば、ペンギンは頬を真っ赤にしながら「優しくしてください」なんて返事を小声で寄越すから。私は思いっきり吹きだして「任せろ」と満面の笑みで言葉を返してあげておいた。

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