持たざる者

コレの続き(単品でも読めると思います)


 時の政府に勤める者が時代に疎くあってはならない――。政府の意向によって定期的に行われる政府職員現代研修。時間遡行軍と戦う世界線は、確かに戦が程遠いものとなった時代とはかけ離れている。なので今の時世を知ろうとするのは良いことだと思う。だけど、“会場までは各自公共交通機関を使うこと”なんて縛りまで課さなくて良いのにとは思う。しかもタクシーは不可とあらかじめ注意喚起されている。

「疲れた……既に疲れた」
「着いたばかりだよ」
「別に良くない? タクシー使ったってさぁ」

 タクシーだって立派な今時の交通事情だろう。どうしてわざわざ駅から1時間に1本しか出ていないバスを使わせるのか。しかもそこから更に30分も歩かないと辿り着けない会場って。どんだけひっそりと建ってるんだ。もはや現世である必要もないと思うんですけど。

「さぁ、行こう」
「なんでそんな涼しい顔してんの? 山姥切、体力あり過ぎでは?」
「君と違って俺は鍛えているからね」
「私だって鍛えて……ンンッ」

 いや、鍛えてはないな。山姥切は言葉通り空いた時間を使ってちゃんと鍛錬している。その傍らで私が何をしているかといえば、今みたいに「疲れた」と言ってぐうたらしているだけ。その差が今こうして目に見えているというわけだ。思えば道中も山姥切は私のペースに合わせてくれたというのに、私はこんなにもへばっている。……よくもまぁこんな情けない女を自分の恋人として選んだよなぁ。

「捨てられるのも時間の問題?」
「また君は変な方向に走る。まったく、バカなのかな」
「バッ……そこまで言わなくても良いじゃん! そういう山姥切のがバカだから!」
「はいはい。良いから、行くよ」
「……ばーか。…………すみませんごめんなさい」

 負けたくなくて、おまけのバカを呟くとそれには鋭い眼差しを向けられた。反射的に謝れば溜息と共に前を向いて歩き出す山姥切。いつの間にか手綱を握られているような気がするけど、多分きっとそれは昔からそうだったのだろう。



「終わった〜! 帰ろ〜!!」
「騒ぐんじゃない」
「無理無理! だって私今めちゃくちゃハッピーだもん!」

 長いこと私の気持ちを沈めていた行事がやっと終わったのだ。研修の意義は分かるけど、やっぱり“研修”と銘打たれた行事の堅苦しさは苦手だ。それが終わった今、得る解放感は大きい。

「今日ビール冷やしてきたんだよね」
「だからと言って、夜道をふらふらと歩くのはいただけないな」
「わっ」

 人目を憚るように建つ施設。それゆえ道に立つ街灯の数も少ない。そんな道でふらふらと歩けば地面のちょっとした割れ目に足を取られるのも当然の話。私が歩く先に割れ目があるのに山姥切は気付いていたらしく、私の腕をサッと掴みぐらつく体を支えてくれた。

「これ以上騒ぐようなら横抱きで連行するからね」
「大人しくします」
「ふっ。それが賢明な判断だと思うよ」

 同じ道をちらほらと政府職員が歩いている。いくら暗い夜道と言えども、お姫様抱っこをされればさすがに目立つ。そんな目立ち方をしたら次の日から私は職員たちの中で好奇の目に晒されるに違いない。それは山姥切だって同じ話だけれど、相手はこの山姥切だ。そんな視線、痛くも痒くもないのだろう。対する私はそういうわけにもいかない。山姥切がお姫様抱っこをするのはこの私だ。……私なんて、お姫様抱っこに相応しい人間なんかじゃない。きっとみんなも「え、アイツが?」的な視線で私を見るに違いない。

「お酒は俺の分もあるのかな?」
「うん。一緒に飲もう」
「あぁ。ならば早く帰らないといけないな」
「……うん!」

 でももし。みんながそういう目線で私のことを見たとしても、それならそれで構わない。だって、私のことを選んでくれたのは他の誰でもない山姥切だから。……ん? ということは――。

「お姫様抱っこしてもらった方が楽なのでは?」
「君がそれをお望みなら叶えてあげるけど。そうやって甘えた結果、体重計の上で悩む現状に繋がっているんじゃないかな」
「うぐっ……」
 
 センシティブな問題によくもズバっと切り込んできたな……。とはいえ、山姥切の言っていることは事実だ。ここは大人しく歩くことにしよう。

「ビールの為に」
「ははっ。それが褒美ならば、歩く意味もあまりないような気がするね」
「それは言わなーい!」



「運休……」

 バスに間に合わないからと最後の数分は山姥切に手を引かれ、全速力で走ってどうにかバスに乗ったというのに。辿り着いた駅でまさかの足止めを喰らうことになるとは。しかも運転再開のめどは立っていないらしい。さすがにこの緊急事態だ。政府に戻る為の転送地点をどこか近くに設定してくれるだろう。

「ダメだ。どこにも目星がつかないらしい」
「ハァ? なんでよ」
「ここは中心街だからね。どこに設定しても人の目を避けられないらしい」
「ポンコツ政府!」
「今の発言はいただけない……が、手際が悪いと言わざるを得ないかな」

 人目を避けないといけないというのならば、尚のこと現世で研修を開く必要なんてなかったのではないか。開くにしても公共交通機関に乱れが生じることはあり得ることなんだから、事前に策を打っておくべきだろう。だからポンコツな私にポンコツと言われるのだ。

「仕方ない。どこか泊まれる場所を探そう」
「えぇ? 予約もなしに泊まれる?」
「分からないが、探すしかないだろう」
「だね……」

 久しぶりに肺が痛くなるくらい走ったせいで汗もたくさんかいた。出来ることならこの汗を流してサッパリしたいけど、ここは大都会だ。観光目的で訪れる人だって大勢居る。そんな街で予約もなしに泊まれる宿なんて残っているだろうか。最悪野宿でもきっと私は襲われることはないだろう。どちらかといえば山姥切の方が心配だ。

「せめて山姥切が泊まる場所くらいは確保しないとね」
「また君は下らない考えを巡らせているようだね」
「下らなくはない。山姥切の心配をしてるんだから」
「君が俺を心配してくれるように、俺も君を心配するとは思わないのかな」
「……山姥切、」

 ポっと染まる頬。付き合うようになってから、山姥切は時々こうやって甘い言葉を贈ってくれる。その言葉に柄にもなく照れていると「時間が勿体ない。早く探そう」なんて言葉でぶった切られてスンッと顔から照れが抜け落ちた。……仰る通りです。



「1室でしたらどうにか、」
「ほんとですか! 良かったぁ……」

 何件か断られ、ようやく見つけたホテル。少し値段は張るけれど、今回の宿泊代は経費で落としてもらえるし良いだろう。空きがあると言われ山姥切の顔を見つめれば山姥切も首を縦に振ってくれた。その反応を見て「お願いします!」と勢い良く返事をする。そうして無事に部屋のキーを受け取りエレベーターへと歩き出した時、「すみません。まだ空いてる部屋ありますか?」と入れ違いで入って来た女性が受付の人に尋ねる声がした。……あの子、確か今日の研修に居たような――。

「すみません。今日は満室でございまして」
「そうですか……」
「あの、良かったら私たちの部屋使ってください」
「えっ?」

 見た所私より年下だ。こんな若い子がこんな時間に路頭に迷うだなんて、さすがに心配が過ぎる。しかも1人と来た。何かあってからでは遅い。キーを渡し受付の人に「すみません。私たちの代わりにこの方に部屋の手配をお願いします」と告げる。

「で、でも」
「大丈夫です。私には山姥切が居ますので」
「……ありがとうございます!」

 もし万が一私に何かあっても山姥切がどうにかしてくれる。見た目は私より何倍も綺麗でも、彼は刀剣男士だ。強さだって私なんか足元にも及ばない。その意味を彼女も汲み取ってくれたらしい。礼を述べる表情に安堵を浮かべたのを見て私も笑う。そうして彼女に手を振りながらホテルを出れば、今まで無言だった山姥切が「……それで?」と言葉を発した。

「君には当てがあるのかな」
「……ないけど。最悪漫画喫茶とか、カラオケとかはある」
「そんなところで体を休ませるつもりか?」

 ぐっと山姥切の眉が寄る。言う前から分かっていたけど、山姥切はそういう場所を好まない。ですよね……と思いつつ口角をヒクつかせていると、深めの溜息が山姥切から吐き出された。

「君は他人に甘い」
「だってぇ……。あの子1人だったし」
「泊まる場所がないのは俺たちだって同じだよ」
「でも私には山姥切が居るから……」
「だから大丈夫って? 君は俺に信頼を寄せ過ぎではないかな」
「だって大丈夫でしょ?」
「……まぁ。その信頼に応えられるだけの男士ではあると思っているよ」
「ほらぁ!」
「どうして君が勝ち誇るのかな」

 ふふふ、と笑い合う。私たちは宿無しだというのに、どうしてだか山姥切と一緒に居ると楽しさが勝つ。どういう状況になっても山姥切が居れば大丈夫だと思えるのは、ものすごく心強い。

「こうなっては仕方ない」
「ん?」
「なるべく選びたくはなかったけれど。行こうか」
「どこに?」
「あそこ」
「……えっ」

 まだ当たってないだろう? そう言いながら指差された場所はカップルが主に利用者であるホテル……つまりラブホだ。いやまぁ私と山姥切はそういう仲だけど……! メインターゲットとして当てはまるけど……! でもまだそういう事はまだ……! あっでもこういうことがキッカケでっていうのはあり得るか……! あり得るよね!? アッ私今日下着どうした!? 上下揃ってるよね!? あれ、どうだ!? いや普段からちゃんと揃えてるし、今日に限って――なんてことはないはず……!

「あだっ」
「不埒な考えはそこまでだ」
「なっ……!」
「あくまでも宿泊が目的だよ」
「わ、分かってるし! 別に何も変なこと考えてないし!」
「ふふっ。なら良いけど。さぁ、行こうか」

 またからかわれた……! またからかわれた……! なんなのもうっ! 山姥切のバーーカ!! スタスタと歩き出した背中に向かって怨念をぶつけていると「それとも。お望みだったのかな」と振り返りながらにっこりと問われる。……むっかつく!! いつかその余裕の笑みを剥がしてやる!!



「たっか……」

 展示されるパネルの前で思わず出た声。さっきのホテルも大概だったけど、こっちに比べると可愛いもんだった。時間的に宿泊のプランしか選べないし、となると値段もそれなりになるわけで。しかも予約なしなので選べるグレードはだいぶ限られている。さすがにラブホの宿泊費を経費で落とすなんて出来ないし、ここは自腹を切るしかないわけだけど……。ちらりと見上げた先で、山姥切はなんの相談も迷いもなくギョッとする値段が表示されているパネルをタッチしてみせた。

「えっ」
「狭苦しい部屋はごめんだからね」
「そうだけど……」
「安心しなよ。割り勘なんて真似はしないから」
「そこは別に、」
「良いから。ほら、行こう」
「あ、はい」

 相手、神だよね? いやだからか? だからこういう場所に来てもこんな凛々しく居られるのか? 神様がラブホの部屋を選ぶって……なんだろう、すごい罪悪感というか背徳感というか……もぞもぞする。……待った、落ち着け私。さっき山姥切にからかわれたばかりじゃないか。ここは仕方なく選んだホテルで、名称に“ラブ”が付きはするけど私たちはあくまでもラブ“ホテル”を目的にやって来たんだ。何も後ろめたいことはない。

「終わったよ。行こうか」
「っ!」

 いつの間にか手続きを終えていた山姥切の手が私の腰を掴む。……えっ、別に深い意味はないんだよね? 普段腰を抱かれることなんてないけど、別にコレに深い意味なんてないんだよね? だってさっき“宿泊が目的”って言われたし! 違うんだよ! だから変な方向に走るな私の思考!

「ふふっ。たまには君の暴走する思考を見て楽しむのも悪くないね」
「……わざと! わざとだ!!」
「シッ。皆の迷惑だよ」
「ふんぐぬぅ……!」

 私の唇に人差し指を押し当て笑う山姥切。その表情の蠱惑さたるや。余裕綽々な態度はいつまで経っても崩せそうもない。振り返ってみれば想いが通じ合ってからというもの、私はただの1度だって山姥切に勝てた試しがない。





 
「すっごい……! 綺麗……!」

 選んだ部屋は全体を黒で揃えた作りで、そこに暖色のライトが灯されシックで落ち着いた雰囲気を放っていた。ここ、普通にそこら辺のホテルよりお洒落なのでは? 設定金額に恥じない雰囲気を誇る部屋に、思わず感嘆の声が上がる。そうやってはしゃぎながら部屋を見て回る私をよそに、山姥切はソファに腰掛け「チェックアウトは10時か」と冷静に明日のことを確認している。

「見てみて山姥切! お風呂! 凄い!」

 お風呂場にテレビまである。浴槽だって全身浸かってもまだ余裕がありそうなくらい広い。身1つで来てしまったけど、アメニティも充実しているしこれならどうにかなりそうだ。

「このお風呂、1人で使うの勿体ないくらいだね」
「それはお誘いかな?」
「違っ、そんなんじゃなくって……!」
「なんだ、残念」
「もう! お風呂入るから早くどっか行って!」
「はいはい」

 さっきの言葉は確かにそう捉えられても仕方ないよなと反省しつつ、山姥切を追い払いシャワーを浴びる。それだけで夜道を走り抜けた疲労が洗い流される気がして心地良い。そうして匂いの良いシャンプーで髪を洗い、お湯を張っておいた浴槽に体を浸からせれば、もうこのまま眠れそうな程の安心感に身を包まれる。

「やばい……」

 こんな極楽を味わえるのならば、現世研修の頻度を増やしても良いかもしれない……なんて。まぁこれだけの贅沢は滅多に出来ないから、たっぷりとこの時間を味わうことにしよう。
 全身で味わうようにゆっくりと湯船に浸かり、頭が少しクラっとし始めた辺りで浴槽から出る。そこで見つめ合う鏡越しの裸体。…………脱毛してるし、大丈夫。……いや何がってことはないんだけど。

「ステイステェイ」

 自身の思考に待ったをかけながら温めのシャワーを浴び、タオルで体を拭く。後は寝るだけ。そう、寝るだけ。自身に暗示をかけたくせに、スキンケアを行う手がやけに丁寧だったことは否めない。

「お先いただきました」
「死んでるのかと思ったよ」
「山姥切もどうぞ。どうぞ! ごゆっっくり!!」
「そうさせてもらおう」

 浸かった後の湯舟、入れ直さずそのままにしておけば良かった。それかめちゃくちゃ熱湯にしてやれば良かった。そんな思いで顔をしかめていると「俺が上がるまで待っていてくれるよね?」なんて囁かれピシっと固まる体。え、ね、寝るだけだよね……? 待つ必要、ある……?

「ええっと……」
「まだまだお楽しみは残っているだろう?」

 まだ少し湿る私の髪の毛を掬い、スッと鼻を当てる山姥切。……分かんない、えっこれどっちの意味……? からかわれてる? それとも本気……? 無理無理、ギブ! 教えて山姥切!

「ふふっ。それじゃあ、俺もゆっくりと湯浴みを楽しむとしよう」

 曖昧な笑みを浮かべ浴室に向かって行った山姥切。入れ替わりに取り残された部屋で、ついさっきまで山姥切が座っていたソファに腰掛ける。しばらくボーっとした後、ガバっと頭を抱え掻き乱す。……コレはどうするのが正解なんだ――!?






「なるほど。そう来たか」
「これで合っているでしょうか」
「ちゃんと起きていたことは偉いね。ただ、どうして跪坐しているのかな」
「な、なんとなく……起きると寝るの間かなって」

 色んな場所に座ったり寝たりを繰り返し、辿り着いた結果。山姥切をベッドの上で跪坐しながら出迎えることを選んだ。……いやなんで? 冷静に考えなくても不思議だけど、この部屋代を払ってくれた相手を待たずに寝るのも確かに失礼だろう。その気持ちがこうさせた。

「ふふっ。君は本当に面白いね」
「も、もう寝よ? ねっ?」
「おや、お楽しみがまだだよ」
「もうないよ! 後は寝るだけだよ!」
「そんなことを言って良いのかな」
「わ、わわっ」

 ドライヤーを使わなかったのか、山姥切の髪はまだ湿り気を帯びている。その水分を肩にかけたタオルに吸い取らせながらこちらに歩いて来る山姥切の妖艶さを、私は初めて知る。もし今山姥切に押し倒されでもしたら――。そのシーンを想像してギュッと瞑った瞳。その目をしばらく閉じていると「もう開けて良いよ」なんておかしそうに笑う山姥切の声が離れた場所から聞こえてきた。

「ワイン……!」
「君が入っている間に頼んでおいたんだ」
「お楽しみってコレかぁ……!」

 ベッドに横たわり深い溜息を吐く。なんだよもう、山姥切のバカ。大好き。ガバッと起き上がり用意されたグラスに手を添える。そうして互いのグラスにワインを注ぎ合い「お疲れ様」と労いながら仕事終わりの一杯を楽しむ。今日は最高の夜だ。こんな贅沢、人生で初めてかもしれない。

「はぁ〜……最高」
「ふふ。たまには良いだろう」
「うん! ありがとう、山姥切! 大好き!」
「……へぇ。君、俺のこと大好きなんだ」
「え、うん。好きだよ?」

 当たり前じゃないか。私たち付き合ってるんだし。今更な言葉に引っ掛かるなぁと不思議に思えば「君の気持ちを言葉にされるのは初めてだよ」と私の疑問を読み取った山姥切が口にする。……嘘。私、今までただの1度も山姥切に“好き”って言わなかった……?

「あまりにも言わないから、意地でも張っているのかと思った」
「別にそういうわけじゃないけど……言わなくても分かるかなって」
「分かっているのと、実際口にされるのとではわけが違うだろう」
「……えでも。私も山姥切に好きって言われたことないよ?」

 ふと冷静に考えてみれば。あの夏祭りでキスはされたし、想いも伝えてもらった。でも“好き”は言われてない。これはお互い様なのでは? その思いを再び表情に乗せると、「おいで」と手招きされる。大人しく従えば山姥切の膝の上に座らされ、あの時以来の距離感がやって来た。

「好きだよ」
「……アハイ」
「ふふっ。君が望んだんじゃないか」
「あの、その、……ッス」
「君は本当に可愛いね」
「分かった、もう分かった」
「足りないな」
「足りた! めっちゃ足りた! お釣り来るくらい!」
「おや、お釣りはどこだろう」

 まじまじと見つめられる気配がする。山姥切の言うお釣りが、何を指すかは言われなくとも分かる。ふぅ、と息を吐き、味わう余裕もないままワインを飲み干し「山姥切のこと、私も好きだよ」と目を見てきちんと伝える。……恥ずかしい。待ってどうしよう、キスした時より恥ずかしいかも。
 数秒と見つめ合えず逸らした視線。もう良いだろうと山姥切から離れようとすれば、それを阻まれた。思わず見上げた先には「さっきは“大好き”だったような気がするんだけれど」と悪戯な笑みが待っていた。この男士が言う本当のお楽しみは、ここにあったのだ――。そう気付いた時には既に遅く、ワインボトルを空にするまで私は何度も「大好き」と言わされるはめになった。

「さ、飲み終わったことだし。歯を磨いて寝ることにしよう」
「もう疲れた……」
「ダメだよ。自身の手入れを怠っては」
「はぁい」

 ボトルの大半は山姥切が飲んだというのに、私の方が酔ってしまったようだ。少しふらつく体を引かれながら洗面台で一緒に歯を磨き、今度こそ眠るだけになった。さぁ、ここからがラブホテルの本番だ――なんてぼやける頭で覚悟していたというのに。

「じゃあ俺はこっちのベッドで寝ようかな」

 思わず閉じかけていた瞼を開き「エッ」と驚きの声を漏らしてしまう。確かにこの部屋には広いベッドが2台あるけれども。それぞれのベッドで寝るんだ? 私はてっきり――「一緒に寝て欲しいのかな?」……寝て欲しいとかそんなんじゃ……。いや、嘘だ。

「一緒に寝たい、です」
「なっ……」

 あ、山姥切の驚いた顔、やっと見れた。なるほど。山姥切のこういう顔を見るには、自分自身の気持ちを素直に伝えれば良いのか。山姥切に使える有効打を1つ知れた出来たことが嬉しくて、更に山姥切のガウンを掴んで「ダメ?」と追い打ちをかける。……うわ、山姥切、顔真っ赤。

「君は、今自分が言っている言葉の意味が分かっているのか?」
「寝るんだよね? 一緒に」
「……あぁそうだ」

 どうなっても知らないからな――そうボソリと呟いたかと思えば、私の体を横抱きにしてゆっくりとベッドに横たわらせる山姥切。すぐに自身も私に覆いかぶさるようにベッドに乗り上げ「本当に、良いんだね?」と最終確認してくる。その言葉に頷くとともに目を伏せると、ゆっくりと口付けられた。

「んっ、」

 啄むようなキスを数回され、その後はじっくりと唇同士が合わさるキスを落とされた。最後に下唇をじゅっと吸われ離れてゆく山姥切の顔。前の時も思ったけど、山姥切のキスはとても優しい。そして、気持ち良くて堪らない。

「ずいぶんふやけた顔になったね」
「山姥切……、」
「ずっと思っていたんだけれど。俺のことは山姥切と呼び続けるつもりか?」
「え? だって……山姥切は、」
「あの時は“長義”と呼んだだろう」
「あの時は……国広さんが居たから、」

 山姥切の言うあの時とは、諸事情で数日本丸を留守にする審神者の為に代理運営を請け負った時の話だ。そこの本丸の初期刀が山姥切国広で、山姥切との呼び分けをどうしようと悩んでいると「そう呼んでもらって構わない」と国広さん呼びを許してくれたのだ。だというのに、山姥切はそれをよしとせず「これだと俺が心の狭いヤツみたいじゃないか」と言い出し、結果として山姥切も本丸に居る間は“長義”と呼ぶことになった。その時の話をまさか今ここで持ちだされるとは。

「それに山姥切は“山姥切であること”に重きを置いてるでしょ?」
「それはそうだ。けれど君は、俺のことを“山姥切”と呼ぶことでしか俺が本歌であると証明出来ないのか?」
「そういうわけじゃないけど、」
「俺が君にとって唯一であることは充分承知している」

 多分きっと、これは愛おしい人に下の名前で呼んで欲しいと願うことと同じだろう。山姥切にとって “山姥切であること”も大切だけど、それを踏まえた上で“長義”と呼んで欲しいと願われるのは、私に対する信頼の現れともいえる。

「長義……長義」
「あぁ、もっと」
「ちょ、うぎ……! んっ、ちょう、ぎっ、」

 もっと名前を呼んで欲しいと願うくせに。紡ぐ唇を何度も何度も塞ぐ長義。遂にはぬるりと潜りこんできた舌のせいで、まともな言葉を紡ぐことも出来なくなった。それでも長義が望む名を呼ぼうと必死に声帯を震わせる私と、長義の荒い息遣いだけが部屋にこだまする。
 一体どれだけの時間そうしていたのだろう。長義の唇が離れ、体を覆っていた圧迫感もなくなる。握り締められていた手も解放され、それを合図に体を弛緩させながら呼吸を整えれば、一気に気怠さが襲ってきた。

「待て、寝るな」
「無理……もう限界」
「まだ終わってないぞ」

 研修をみっちりと受け、全力疾走させられ、ホテル探しに奔走し、疲れた体を豪華な部屋で癒し、ワインまで飲んだ。そこに長義との長くて気持ち良いキスまで付け加えられたらもう私の体力と気力は限界だった。眠たくて堪らない。既に半分とびかけている。

「……くそっ! 帰ったら基礎の鍛錬からみっちり叩き込んでやる!」

 薄れゆく意識の向こうで恐ろしい言葉が聞こえたような気がするけれど。多分きっと、私の聞き間違いだろう。

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