愛しき日常

これの続き(単品でも読めます)


 私の名前がみょうじなまえから澤村なまえに変わって、2年が経った。
 東京に来て衣食住を共にしだしてもう5年。あっという間だったなぁという思いもあれば、こんなにも沢山の思い出を大地と共にしてきたんだという感慨もある。

 なにはともあれ、今年の大晦日も変わらずに家への労いをこめて大掃除を行い、それもひと段落。高い所は大地が率先してやってくれるから、いつも以上に助かった。

 大地と同居していて、不満を抱いたことは5年経った今でも特にない。それはやっぱり大地の優しさが大きいのだと思う。大地のおかげで、毎日大地のことが好きだと思える。

 私はなんて良い人と結婚出来たんだろう。こんなにも幸せな気分で年末を迎えることが出来るのは、今日が愛おしい旦那様の誕生日だからだろうか。それとも――いや。理由なんて大地の手にかかればいくらでも挙げられる。

「だいちー?」
「ん?……んん、」
「眠たい?」
「いや、大丈夫」

 ただ1つ。困りごとは出来た。それは昇進に伴って大地の仕事が忙しくなったこと。もちろん、それ自体はとても喜ばしい。昔は少し頭を悩ませた食費だって、今はもう悩まない。
 困っているのは大地の疲労。仕事に割く時間は増えているし、責任だってある。そういう役職に就いているからこそ、家に帰り着いた時にはクタクタなんてザラ。
 大地は昔からみんなを引っ張っていくことには長けていたし、今だって楽しくやれているようではある。だけど、今みたいにこうしてソファで寝落ちされると、蓄積した疲労だってうまく癒せない。
 高校生の時みたいな無尽蔵な体力ではないのだ。一家の主なんだし、体はなによりの資本。
 それに、大地にはずっと健康な体で居て欲しい。だから何度も体を揺すって起こそうとするのに、大地は中々起きない。そうして翌朝には腰に手を当てながら会社に出勤する姿を、何度心配になりながら見送ったことか。

「年末休みに入ってるんだし、今日くらいゆっくり休んだら?」
「いや。今日だからこそ起きる」
「……ほう。珍しい。大地があの状態から覚醒するなんて」
「だってなまえとゆっくり過ごせる時間だろ」
「あはは。自分の誕生日だから、とかじゃないんだ」
「小学生か」
「ふふっ。でも愛おしい奥さんと一緒にゆっくりしたい、って理由も中々だよ?」
「……悪いか」
「ううん。私もおんなじ考えです」
「だべ?」
「はい」

 2人して微笑み合って、ソファの上で身を寄せ合って。大地のぬくもりに縋るように肩に頭を置けば、エアコンの温風が頬を撫でてくる。“幸せ”を具現化したら多分、こういう時間のことをいうんじゃないかな。

「あ。そうだ。コーヒー飲む?」
「あぁ。ありがとう」

 色違いのコップを準備し、それぞれから香ばしいを匂い漂わせ大地のもとに戻る。1つを大地に渡しながら隣に腰掛け、余った1つを両手で抱えながら中身を啜る。流し込んだ温かい液体は、喉元を伝って体全体をじんわりと温めていく。

 コップを膝元に降ろした時、「なまえの、コーヒーじゃないのか?」と鼻腔に匂いが届いたのか、大地がコップを覗き込んできた。その仕草に耐え切れず口角を上げると、大地の顔には不思議さの割合が増す。

「これ、麦茶なんだ」
「えっ、麦茶?」
「そう。ホット麦茶」
「緑茶じゃなくて?」
「うん。だって緑茶はカフェインあるから」
「? あったらダメなのか?」

 唇を内側から噛んで、上がり続ける口角をどうにか抑えこむ。大地は未だに首を傾げている。まだ、理解出来てないみたい。

「明日の里帰り、先に私の実家に寄ってもいい?」
「う、ん。それは良いけど……」
「その後大地の実家にも行こう」
「? 良いけど、どうしてだ?」
「……ふふっ。大地って結構鈍いなぁ」
「……。……待った。待って。……え?」

 言うのを勿体ぶっていると、ようやく1つの考えが頭に浮かんだらしい。大地の口元がわなわなと震えだす。そうして「待って、」とか「え?」とかずっと同じ言葉を吐き続け、ようやく落ち着くことが出来たらしい。

 ソファの上で正座をしたかと思えば、そのまま私に向き、「……本当なのか?」と確かめるように尋ねてくる大地。その顔には隠しきれない高揚が見てとれて、その高揚が私の表情さえも動かす。

「最近、体が怠いなぁって思ってて。そしたら予定日過ぎても来ないから、もしかして……と思って」

 数日前に診てもらったら、妊娠2ヶ月目だと告げられた――その言葉を続けている途中で抱き締められて、最後の方は大地の服でもごついてしまった。

「……ありがとう。ありがとう……!」
「ふふっ。うん。……うん。大地、お父さんになるんだよ」
「あぁ。……俺、父ちゃんだ。……なまえ、俺、父親になるんだ……!」

 嬉しくて、早く言いたくて。鈍感な大地をさっきまで笑っていたハズなのに。いつしか眉根が寄って、気が付けば私の瞳からはボタボタと涙が溢れ出ていた。

「だいち、」
「なまえ。本当に、ありがとう」
「良い誕生日プレゼントになったかな?」
「あぁ。一生忘れられない」
「えへへ。良かった」

 見つめ合うと大地の目尻にも涙が見えた。プロポーズしてくれた日、大地がそうしてくれたように、目尻に指を当てて拭ってみせると大地の顔が緩む。

 あぁ。この人今、幸せなんだろうなぁ。

 そう思うと、私の口角はまたしても上がってきて、泣き笑いみたいな状態になる。大地、私たちにとって大晦日は1番忙しい日だね。

「なまえ」
「ん?」
「俺と結婚してくれて、ありがとう」
「……こちらこそ。ねぇ、大地」
「ん?」
「私と出会ってくれてありがとう。私を大地の奥さんにしてくれてありがとう。私とこの子を出会わせてくれてありがとう。――生まれてきてくれて、ありがとう」
「俺の方こそ。……今度は、生まれてくる子供に、言ってあげたいな」
「うん。そうだね」

 愛おしい日々を、愛おしい人と共に積み重ねていけること。これを幸せと呼ばずしてなんて呼ぼうか。

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