隣接する愛たち

 大地と同棲を始めて3年が経った。高校から付き合い始め、大学までを共に宮城で過ごし、2人共東京に就職が決まった時にどちらからともなく一緒に住む事を意識して、そのまま部屋探しをして、借りたマンション。

 初めの頃は友達から「結婚前に同棲したらうまくいかないよ」とか、「何年間も付き合ってたカップルが同棲した途端別れた」とかそういう同棲にまつわるあまりよろしくない事ばかりを聞いていたから、同棲の話を進める傍らで、心のどこかに不安もあった。

 でも、大地と衣食住と共にして数年が経つ今、大地に対して何か不満はあるか? と聞かれてもこれといった不満は思いつかない。

 食費が馬鹿にならないくらい。でもその不満も大地の収入のおかげで幾分和らげてもらっている。そして、大地に対して同じ質問をしても、多分、恐らく、大地も不満は感じていないのだろうと思う。あれば大地は絶対に言ってくれる筈だし。同棲を始めたばかりの頃にお風呂が長いと心配された事があるくらいだ。でもそれも今では“女性はこういうもの”として理解してくれている。

 つまるところ、私達は周りの言い伝えに反して、上手く年月を重ねていけているという事だ。そして、そうして重ねた3年目の今年ももう今日で終わりを迎えようとしている。

「こっちは終わったけど、なまえどんな感じ?」
「こっちもオキシ漬け終わった」

 大晦日である今日は大地の誕生日でもある。そんな日くらいはゆっくりと過ごそうと毎年言っているにも関わらず、大地は掃除をしたがる。
 なんでも、「1年間雨風をしのいでくれた家を労うべきだ」というモットーがあるらしい。普段からこまめに掃除しているから大掃除、というよりかは普段手を出さない部分の掃除というレベルにはなるけれど。そしてそれは今年も例に漏れない。私はキッチン周りを、大地は浴室を。各々が担当区域を決めて掃除をこなし、ようやく一段落つく。

「今年も1年が終わるね」
「ほんとだな。東京に来て来年でもう4年か。早ぇな」
「ね。来年には26だよ、私」
「なまえが26になるのか。初めて会った時は16、17だったのにな」
「大地は良いよね。今日で25なんだもん。羨ましい」
「はは、そりゃどうも」

 ピカピカになったキッチンでコーヒーを淹れてテレビの前に置いてあるソファで寛ぐ。綺麗になった家で、エアコンが利いた状態で過ごす今年最後の日。大晦日の掃除を終わらせて、後は大地と2人でゆっくりと今日という日を味わうだけだ。

「飲み終わった?」
「うん」
「じゃあ、洗ってくる」
「いいのいいの。大地はもう今日は動かなくていいから」
「なんで」

 だって誕生日じゃん。今日は世間的には大晦日という日だけれど、私にとっては大晦日よりも“大地の誕生日”の方が特別だ。今日の主役は大地。だから、そんな大地に食器洗いなんてさせない。

「ありがとな。なまえ」
「いえいえ、これくらいなんのなんの」

 そう言って申し訳無さそうに頭を掻く大地をソファに残し、キッチンに立つ。オキシ漬けしたシンクは水垢が綺麗サッパリ無くなっていて、見ていて気持ちが良い。
 シンクにマグカップを置くゴトン、という音と同時に大地が座っている方向から電子的な笑い声が響いてくる。ちらりと顔を上げると、大地がテレビを付けたようだった。大地がリモコンでピコピコと画面を変えていく。時折混ざる大地の笑い声に私も自然と口角が上がる。
 寛ぎだした大地を尻目に、キッチンに立ったついでに冷蔵庫の中身を見る。明日から宮城に帰るから、あんまり大した物は入っていない。

「年越しそば、いつ食べる?」
「そろそろ腹減ったけどなー」
「でも今食べたら後でまたお腹空くんじゃない?」
「確かに」
「なんか適当に作っておくから、あれだったら先にお風呂行く?」
「うーん、そうだな」

 テレビの音声を交えながら大地と言葉を交わす。

「でも折角綺麗にしたし、1番風呂はなまえに入って貰いたいんだけどな」
「えぇ? 良いよ。誕生日なんだし。それに、私が入ったら長くなるし」
「女性はそういうものだろ?」
「ふふ、まぁそうなんだけど。大地が入ってる間に有り合わせの物で摘める物作っておくし。お風呂沸かすよ?」
「なんか至れり尽くせりで、申し訳ないな……」
「気にしないでよ。大地が毎年家を労うように、私だって大地を労いたいの」

 そう言って台所に設置してあるリモコンを操作していると大地がテレビを消してキッチンへと歩いてくる。テレビを消した大地を不思議に思い、顔を大地へと向けると大地も真っ直ぐと私を見つめていて。何か言いたそうなその顔に、「どうしたの?」と声をかけると「明日、」とやけにゆっくりと口を開く。

「明日がどうしたの?」

 明日、と言った先を中々言わない大地に痺れをきらし、こちらから大地の言葉を続けるとふぅ、と今度はやけに深く息を吐き出す大地。明日、の先にはどんな言葉が待っているのか。私には分からなくて、大地の言葉を待つしかない。

「……ごめん、こっちで良いか」
「? うん」

 冷蔵庫から取り出していたウィンナーの袋を作業台に置いて、大地の後ろに続き、先ほどまで大地が居た場所へと連れてこられる。「ここで待ってて」そう言って大地は居間から姿を消す。私を連れてきたり、大地はどこかへ行ったり。これは一体なんなんだろう? こんな行動は過去2回の大晦日では無かった。

「実は俺、来年度から主任になる事になった」
「え、本当!? それってめちゃくちゃ凄い事じゃん! 大地の会社大企業だし、3年目で主任って大抜擢じゃん! おめでとう!」
「ありがとう。まぁ、その分責任も重くなるけどな」
「そうだよねぇ」

 戻って来るなりラグに座って、ソファに座る私を見上げる大地。さっき言いかけた言葉の続きではない気がするけれど、たった今聞かされた事だってすっごく重要だ。高校時代から皆を引っ張ってたもんね。社会人になってもその本領が発揮出来てるんだろうね。さすが大地。自慢の彼氏だ。これからは社会人として責任のある立場になるんだから、仕事だってそれなりに増えるんだろう。私が支えてあげないと。

「それで、明日なんだけど」
「あ、うん。明日ね」

 昇進の話にすっかり気持ちがいっていて、さっきの言葉を続けようとした大地にハッとする。そう、明日。明日がどうしたんだろう?

「明日、もし良かったら俺もなまえの家に挨拶に行きたいんだけど」
「? お互いの家に挨拶はいっつも2日にしてたよね?」
「うん。だけど、今回はなまえの家に元旦に2人で行きたいんだ」
「もしかして、“主任になりました”って報告したい、とか?」

 過去に過ごしてきたお正月とは違う行動を取りたいという大地にさっき言われた話題を引っ張り出すと大地は少しだけ相好を崩す。「それもあるけど、」そして頭を掻いてみせる。大地が困ってる。なんで? どうして? 理由が分からなくて、私はとりあえず黙る。

「……ビシっと決めれないもんだなぁ。俺も。格好悪くてごめんな、なまえ」
「ん? 大地は全然格好悪くなんてないよ? 友達にも、会社の人にも自慢出来るよ」
「ははは、ありがとな。それじゃあここもしっかり決めて、今後この時の事を話す時になまえが自慢出来るようにしとかねぇといけないな」
「え? なに、どういうこと?」

 未だに答えが分からないでいる私に、大地は柔らかく笑って、私の両手を握る。そんな、愛おしそうに見つめられると、照れるんだけどなぁ。

「明日、なまえのご両親に結婚の許可を貰いに行かせてくれませんか」
「……け、結婚!?」
「社会人として、責任のある立場を任される男になれた。そんな俺ならなまえのご両親も納得してくれるんじゃないかなって。だから、決めてたんだ。役職を与えられるようになったら、なまえにプロポーズするって」
「うそ……、」
「本当だって。入社した時から決めてたんだ。……来年は今まで以上に仕事が忙しくなると思う。そんな俺の事をこれからもずっと、隣で支えて欲しい。出来れば、俺の奥さんとして。なまえ。俺と、結婚してくれませんか」

 どうしよう。目頭に力が篭る。唇が嬉しさで歪んじゃう。瞳がぼやけちゃう。泣き顔なんてぶっさいくに決まってる。歪んだ顔を見られたくなくて、手で覆いたいのに、私の両手は大地の大きな手に包まれてしまっている。

「うぅ……今顔見られたくない……」
「はは、大丈夫。可愛いよ」
「そんなの大地が私の事大好きだからそう見えるだけだもん」
「良いだろ。俺が可愛いって思ってれば。なまえはそれじゃ駄目か?」

 駄目じゃない。駄目なんかじゃない。むしろそれで良い。それで十分。と、いうか、貰い過ぎだ。溢れてしまってる。

「こんな泣き顔で返事なんてしたく無かったのにぃ。満面の笑みで頷きたかったのにぃ。涙が止まらないんだけどっ、……もう! 大地ぃ〜!」
「あはは。怒るか泣くか喜ぶか、どれかにしてくれよ」

 溢れ続ける幸せを、大地が指で掬ってくれる。その指が優しくて、私はまた幸せを実感して、絶えず涙は溢れ出る。本当に、止まらない。どうしよう、大地。

 縋るように体を大地へと傾けると、意図を汲んでくれた大地は私の背中へと手をまわして受け止めてくれる。「あんまり泣きすぎると疲れて年越し前に眠たくなるぞ」なんてあやす様に頭を撫でながら言われてしまう。一体誰のせいで泣いていると思ってるんだ。

「至らない所ばかりなのに、私が大地さんの奥さん枠貰って良いの?」
「あぁ。なまえにしかあげない」
「大好き……っ!」
「俺は、愛してる」

 大地から顔を離して、見つめ合う。

「なまえ。左手、出して」

 言われるがまま手を差し出すとポケットから出した小さな箱から更に小さな、けれども大きな幸せを纏った指輪が出てくる。その指輪を大事そうに取り出して、私の薬指にはめてくれる大地。ピッタリ。いつの間に準備したの。全然分からなかった。言ってくれてればもうちょっと節約したのに。そんな後悔に似た感情がちょっとだけ頭を過ぎるけど、左手で輝くそれを見ると、そんな気持ちはどこかへ吹き飛んでしまう。

「うん。似合ってる」
「大地の誕生日なのに、私がプレゼント貰っちゃった」
「良いんだよ。俺だって十分なプレゼント貰ったし」
「私から?」
「うん。これから続く日常を、なまえとずっと一緒に過ごす権利貰ったから。俺はもうそれで十分幸せだ」

 そう言って笑う大地は本当に嬉しそうで。あぁ、多分私も今同じ顔してるんだろうな。大地、さっき私、大好きって言ったけどね。大好きじゃないよ。

「大地、愛してる」

 こんなに愛おしいのは大地だけだよ。

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