13理由がないなら、行動すまじ
親善試合が終わってしばらくは、その内容の話で隊内はもちきりだった。そこはやはり、剣術に自信や熱意がある人の集団だからか、誰の試合が素晴らしいとか教えを請いたいとか。逆に、もっとこうした方がいとか、武士としてこうあるべきだ、とか。
そしてそれは私も例外ではなかったようで、手合わせをしてほしいとか銃弾の防ぎ方を教えてくれとか、毎日誰かしらから声をかけられる日が続いた。物好きな人もいるもんだ、と感心しつつものらりくらりとかわす日々である。
そんな毎日と並行して、幹部の間では新選組の屯所移転の計画が議論されていた。そのために私をはじめ山崎君や島田君が駆り出され、屯所移転の情報収集を行っていた。
有力な候補は西本願寺なのだが、「僧侶を無理やり従わせるのは……」と反対意見を押し切れずに、平行線を辿っている。
「あなたのような方も、新選組を大きくしていく上では必要だと思いますし、」
今日も平行線なのかな、と欠伸を噛み殺しながら参加していた会議で、伊東さんが山南さんへ話し始めるが、含みのある言い方にその場にいた全員が渋い顔をした。
それに気づいているのかそうではないのか、彼はそのまま話を続ける。
「たとえ、左腕が使い物にならなくとも、その才覚と学識は隊の為に大いに役立つ筈ですわ」
喧嘩を売られたのだと思った。山南さんをけなすということが、新選組幹部に喧嘩を売るということだと、気づかないほど伊東さんもバカではないだろう。
そして売られた喧嘩を買ったのは―――土方さんだった。
「伊東さん、今のはどういう意味だ?」
喧嘩を買ったのが土方さんだったことに、驚きを隠せない様子の伊東さんに、
「山南さんは優秀な論客だ。だがな、剣客としてもこの新選組に必要な人なんだよ!」
と言い放つ。
「ごめんあそばせ。私としたことが失言でしたね」
他の隊士もそう思っていればいいのですけど。付け加えられた言葉に、ついに山南さんが席を立った。暗い顔で、そのまま部屋を出ていく。
誰も、その人を呼び止めることができなかった。
『伊東さん、私と手合わせしたいって言ってましたよね』
静まり返った部屋の中で伊東さんへ声をかけると、「ええ、申しましたとも」と何事もなかったかのように返答があった。
『手合わせしましょう。……私は山南さんから手ほどきを受けて育ってきました』
「ええ、そうみたいね」
『私があなたに勝てば、山南さんは剣客として、隊士育成のために必要な存在ってことですよね』
そこまで言うと、相変わらずの涼しい顔で、「楽しみにしていますわ」と。
「西本願寺に屯所を移すことができれば、広さも十分ありますし、また練習試合をすることもできるのではないかしら」
「そうですな。……伊東さん、この後お付き合いを願えますかな? 先ほどの件で詳しい話をお聞きしたいので―――」
伊東さんを連れて、近藤さんが部屋を後にする。緊迫した空気をどうにか回収してくれたのだろう。武田さんと三木も同時に退室し、気心が知れた面々だけがその場に残る。
しばらくみんなだんまりだったが、総司がくすくすと笑いながら会話を始める。
「それにしても、珍しく怒ってたね、なつめ」
『……気に食わなかった』
「ま、僕なら斬っちゃってたよ」
次の試合まで待ってあげるなんて、優しいよね。と見当違いの優しさを褒められる。
「私闘は厳禁だからな、総司」
冗談だとは思うが、冗談なのか本心なのかわからなかったためか、土方さんが局中法度の存在を示唆する。はいはい、わかってますよ、と総司。
「山南さん、あんまり思い詰めないといいが、」
左之さんの言葉に、しかし誰も返すことはできず、ただただため息が漏れるばかりであった。
そんなことがあった日の夜。
日も沈み、そろそろ眠ろうかと支度をしていたのだが。どうしても山南さんの様子が気になった。
『千鶴ちゃん、ちょっと山南さんの様子見てくるから、先に寝てて』
そう言い残し、部屋を出て、広間の方へ歩いていると―――深刻そうな顔をした山南さんを見かけた。
彼の向かう先にあるのは―――変若水の研究部屋がある。
まさかね。
綱道さんがいなくなってから、研究を引き継いでいたのは山南さんだったから、その研究のために向かうのだろう。
そう言い聞かせつつ、それが事実かどうかを確かめるために後を追った。
そして―――
「見つかってしまいましたか」
窓から差し込む月明かりに照らされ、怪しい笑みをたたえた山南さんの姿が目に入る。右手には、同じく怪しく光る赤い水―――変若水が握られている。
『山南さん……研究を、してるんだよね?』
肯定してもらいたくてそう質問したけど。
聞きたかった答えは返って来なくて。
「あなたならもう、察しがついているのではありませんか?」
そうして変若水の蓋を開ける。
『山南さんが飲む必要ない!』
だって山南さんが羅刹になって正気を失くしたら―――斬り殺さなくてはならない。
羅刹を殺すには、首をはねるか、心臓を一突きにするか。
私の場合は、首をはねる力がないから心臓を一突きにするしかない。
もう何度も羅刹を殺した。心臓を突き刺す感触は、今でも手に残っている。
その気持ちを察したのか、山南さんは慰めるように、大丈夫ですよと言う。
「これは、綱道さんがいなくなった後、私が研究を引き継いで改良したものです」
羅刹には、肉体強化・治癒能力の強化の代わりに、血に触れると気が狂う・日の下では活動できないといった副作用がある。
その副作用を改良したと言っている。
『……本当に失敗しないの?』
「ええ。理論上は」
『でもやっぱり、そんなの飲まなくても―――』
「こんなものを飲まなければ! 私は戦えないのですよ」
今までに聞いたことのないような怒気をはらんだ声に、肩がびくりとはねた。
何年も前から一緒にいるけど、こんな感情をあらわにした山南さんは―――知らない。
「剣客として死んだのなら、人としても死なせてください」
『だめっ―――』
制止の声は届かず、右手の変若水を一気に飲み干した。
からん、と空の瓶が床に転がる。
一瞬の後―――その一瞬がとても長く感じた―――、山南さんが胸のあたりを抑えて苦しみ始める。髪は白く染まり、髪の間から覗く瞳は真っ赤変化した。
『山南さん、しっかりして』
薬は改良した、理論上は失敗しないと山南さんは言った。その可能性を信じて、必死に背中をさすっていると、次第に苦しむ声が消えていた。
「なつめさん、もう、大丈夫ですよ、」
いつもの穏やかな声だ。
『良かった』と安堵すると、急に足の力が抜け、倒れるようにその場にしゃがみこんでいた。自分が思っている以上に、この状況に―――山南さんが羅刹となってしまうかもしれないという状況に―――緊張していたようだ。
しかし、次の瞬間に。
『っ……山南、さ、?』
首元をつかまれ、そのまま首を絞め殺すように宙に掲げられた。何が起きたのかすぐには理解できなかった。
「血、」
山南さんが、私の腰に刺した刀に手を伸ばす。
「っ―――失敗です、」
不意に山南さんが意識を取り戻す。しかしだいぶ苦しそうだ。
「私の、理性があるうちに……殺してください、」
そうして私の刀を抜こうとするのを、なんとか抑える。
『嫌だ、殺したくない、』
これまで、何人も人を殺してきた。新選組の隊士の粛清も行ってきたのは確かだ。
でもそれは、局中法度に背いたという明確な理由があった、だから斬ることができた。
でも山南さんは? 私に彼を斬る理由がない。
「あなたが、死んで、しまう―――」
私が死なないために、山南さんを殺すのか。
刀を握る手に力を込めると。
今まで山南さんと過ごした日々がよみがえり、ほろほろと涙がこぼれた。
涙なんていつぶりだろか。たくさんの人を殺して、もう枯れてしまったのだと思っていた。
まだ枯れてなかったんだな。
殺したくないと思った。私が山南さんを殺す理由は、やっぱりない。
「なつめ、さん、っ―――」
そこで山南さんの理性もぷつりと切れたらしい。私ののどをつかむ手の力が強くなる。
息が苦しい。死ぬのかもしれない。
でも。
山南さんを、仲間を理由もなく殺すよりかは、殺された方が後悔は残らないと思う。
ああもう息が続かない。
そうしてゆっくりと目を閉じる。
そういえば、千鶴ちゃんから問われた、新選組を出たらどこに行きたい、という問いに、結局答えは見つけられなかったなあ、と。
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