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 また飛雄君に嘘を付いてしまった。帰れそうにない、という言葉は本当。だけど、仕事ではない。病院の真っ白なベッドで真っ白な天井の1点だけを見つめて、またそうやって私は後悔を1つ募らせた。

 声が枯れていても不思議と歌えなくはなかった。しんどいと思っても声はちゃんと出るし、先生にも「それが1番よく分からないんだよ。不思議だな」って驚かれたっけ。だからもしかしたら、がんとは言えそんなに酷いものではないんじゃないか、治療すれば意外と簡単に治ってしまうのではないかとも思っていたのに、腫瘍は声帯の所に2つ6cm程のもので、声帯ごと取らないと治らないと言われてしまったのだ。そんなのってない。…そんなのってないよ。だってまだ私はこうやって生きているというのに、「もう死んでいるんだよ」って言われたみたいで悲しくてたまらなかった。

 あの日、先生に言われたことが信じられなくてむしゃくしゃして気持ち悪くて現実だって思いたくなくて、全速力で飛雄君に会いに行った。何も知られたくないと思う反面、知ってほしくてたまらなかったけど、それを知った彼が一体どうするか。彼は優しいから、全力で守ってくれるのかもしれないし、頑張って一緒に治療をしようと言ってくれるとも思う。だけどやっぱりできない。‥つまるところこれは、私の我儘なのだ。





「手術してほしい」

 病室にある、1つだけある木目の椅子に座っていたのは治だった。そして、彼のその言葉は既に3回目の発言である。永田さんの話しも、侑の話しも、まだ冷静でいてくれていた治から全てを聞いた。侑は目に見えて怒っているし、永田さんは前回のこともあり、少し参ってしまっているらしい。以前仕事で一緒になった、永田さんと長年の付き合いがあるという女の人が言っていた言葉の意味が今なら理解できる。彼女は懸念していたのだ、またあんなことがあったら、と。

「…治」
「なあ、歌えへんくてもええやん。お前は良い曲だって書けるし良い詩だって書ける、命投げ出すなんてどんだけのファンを悲しませると思っとんのや」
「そうだね…」
「手術すんなら早い方がええ、臓器に転移なんてしてもうたら遅いんやぞ」
「もう遅いかも、」
「なまえ!」
「治、ごめん。…ほんとに私手術なんてする気ないの」

 治の大きな声は、多分私が知る限りでは聞いたことがない。侑が怒っているとは言っていたけど、治だって充分怒っているじゃないかってつい笑ってしまえるくらいに、自分の中での決意は全く揺るがないのだ。

 侑や治や永田さんや、閃光≠好きでいてくれているファンの皆が悲しんでくれるのだとしても、…例え飛雄君が泣いて悲しむのだとしても、こればかりは私の人生である。声を無くすということは、私にとって死ぬのと同じことで、価値がないとすら思えることなのだ。そのきっかけを作ってくれたのは紛れもなく飛雄君だから、治の言葉に対して、頑なに首を横に振ることしかできない。皆に大事なものがあるように、皆に譲れないものがあるように。私にだってある。そしてそれは人によって全然違うから、どうしてもそれを分かってほしかった。

「今までそこにおった奴がいなくなる感覚はまだ俺は知らん、けど、…考えただけで恐ろしいってことくらい分かるやろ…?」
「うん」
「なまえ、親失くした時どうやった」
「…痛かった。会えないんだなって思ったら…辛かったよ」
「俺らは今、それと同じ思いしてんのやで」
「でも覚悟はできるよ」
「…」
「お願い。一緒に覚悟してほしい。私最後までちゃんと歌いたいの、…じゃないと、なんにも届かないじゃない…」

 泣くのはお門違いだと思いながらも、ぱたっと1つ布団に落ちた。女の涙に男は弱いと言うけれど、それを試している訳じゃないのは既にもう理解しているだろう。だって、呆れるくらいの濃い期間を彼等と共に過ごしたのだから。
 ふと顔を上げたそこには、右手で顔を覆い隠して同じように布団に水滴を落とす治がいた。聞こえてくる嗚咽は僅かだが、もうごめんねとは言いたくはない。泣かないでも、言えない。最後まで一緒に奏でてほしいから、…侑のことも永田さんのことも、

「…一緒に説得して」

 伸びてきた左手が私の後頭部に触れて、思い切り引き寄せられた。この力加減は決して恋人同士のそれではないけれど、少しだけ飛雄君に対しての罪悪感を持つ。でもこれが最後だから。飛雄君以外の男の人に抱き締められるのは。

「ほんまに、…自分勝手な女やわ…」

 ぎゅううと痛むくらいに背中を掴まれて、声を上げそうになった。だけど、絶対にそんなことは言わないよ。きっと痛いのは、侑も永田さんも、‥目の前にいる治も同じなんだから。

2019.04.20