旧約聖書には神は天地万物を創造され、最後に人間を創造されたが、この人間は抽象的な存在ではなく、全く具体的に男と女であったと書いてある。アダムとエバという固有の名前/人格を持つ男女として造られた。性そのものは醜くもないし、罪でもない。それは神が造られた美しさに属する。愛し合うふたりが共にあずかる性の喜びは神から与えられた祝福である。しかし性は容易に醜くもなりえるし、堕落しえる。真実の愛がないところで起こる性の結びつきは喜びでも祝福でもなく深い挫折感や時には憎しみを残し、ふたりの関係を破壊する。そんな危険を孕んでいるのに、神は人間をふたつの性に分けられた。それは何故か。簡単だ。愛し合うためである。キリスト教の考えには愛が絶対的な存在で、愛がなければ成り立たない。神を愛し、隣人を愛するということ、愛が生まれることを中心に私たちの日常の暮らしが位置付けられているのである。

、と、まあ、こんなかんじのを聖書のテストでの小論文に書く予定なのだけど我ながらひたすらに綺麗事だらけで笑える。やっぱりキリスト教はきらいだ。そもそも宗教そのものがあまりすきじゃない。(強いていうならわたしは武士道が好い。)more

ニルマル・ヒリダイ

12月4日 火曜日

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