両親が転勤族であったなまえは幼少の頃、その理由を尋ねたことがある。
何もわからない小さな子供には正当に抱く疑問であろうが、彼女の場合は何ということはない。
友人達が「なんで」と問う為にそれに対する明確な答えを欲していただけで、他意はなかったのだ。しかし。

ごめんね。
仕方のないことなんだよ。

その度困ったように眉を下げて同じ言葉を吐く二人を見ていると、きっと聞いては都合の悪いことなのだろうと、それ以上何も言えなくなってしまうではないか。
子供心に「大人は狡い」と学んだ。
自分が子供であるが故に話しても理解できないだろうと思い込み、それで両親は言葉を濁すのだろう。
一度納得しかけたそんな仮説は、小学校に上がってから徐々に疑問へと変わってゆくこととなる。
補足だが、彼女の物事を推察する癖はこの時期の経験により芽を出したものでもある。

親が帰ってこない理由を考えてみたが、推測は推測でしかなく事実は結局分からぬままだ。
自身のことが嫌いなのだとか、子供を愛さない親なのだとか、感情論でしか物事を判断出来なくなってゆくのが貧しく思えてやめた。
なまえにとって幼き頃より"知らない"ことや、"分からない"ことは恐れの対象でしかなかった。
無知は自分が子供であるという烙印で、子供であるから大人は何も本当のことを教えてくれないのだと思い込んでいたからだ。
学校の教師は勉強は教えてはくれるが、教科書以上のことは教えてくれない。
無論、なぜ両親が帰ってこないのかなど聞いたところで困らせるだけだろう。

その点、だから千空は特別だったのだ。
聞けば知っていることは教えてくれたし、知らないことも調べて聞かせてくれた。
自分の足音が反響して後ろから誰かに追いかけられているような錯覚を起こす経験は、誰しも子供の頃にあるのではないだろうか。
それと同じように原理を知ればなにも怖くないのだ。そう教えてくれたのが、彼だった。



彼女が高校生になってからというもの、なまえの両親は海の向こうで忙しく働き回るようになっていった。
初めは徐々に父親か母親のどちらかが家を空けることが増えていったのだが、小学生の頃から家族三人が集まって食卓を囲んだ記憶というものが彼女にはない。
長期休暇に入るとなまえは幼馴染の家に世話になるのが毎年の慣習となり、いくら子供といってもそれなりに気を遣ったし、やはり本心肩身は狭かった。
それが小学生から中学を卒業するまでの約9年間続くことになったわけだが、高校に上がってから彼女はあまり彼の家に寄り付かなくなる。
アルバイトを始めたというのもあったし、いつまでも他人の家に世話になるというのも格好がつかなかった。
だが。百夜が兼ねてから口にしていた夢である宇宙飛行士に採用されてから、彼の家も慌ただしくなったことを理解していたからというのが一番の理由である。

毎日22時までアルバイトを入れ、食事はスーパーの値引き品の弁当で済ませ最低限の身の世話を済ませて眠るのが彼女の日常になった頃のある日のこと。
その日、いつものように帰宅した彼女は扉の出入り口に鍵を差し込み、すぐに違和感を覚えた。
どうやら既に開いているのだ。
まさか朝うっかり施錠を忘れてしまったのか、それとも泥棒にでも入られたのかと思ったが、ふと玄関先に脱ぎ捨ててあった見覚えのあるサンダルを見て警戒心を解いた。
来訪者と呼ぶよりは侵入者、というのが近いだろうか。
彼は我が物顔で広いリビングを占領し、私物の部品や道具などを持ち込んでなにやら科学工作に没頭している。
物音で家主が帰ってきたことを察した彼は手元の作業を止め、後ろを一瞥して一言。

「遅かったじゃねぇか」

俺が強盗だったらもぬけの殻だ、そう言って悪人さながらに歪ませた口元が、素直でない彼の癖であることはすぐにわかった。
暗にセキュリティが甘いのではないかとの忠告をしてくれているつもりなのだろう。
ひらりと見せた手中にある銀色はピッキングにでも使用した道具だろうかと一瞬目を疑ったが、常識を持ち合わせている彼が違法な事に手を出さないのはわかっている。
脅しだ、と確信するとなまえは安心してその隣に腰掛けた。

「合鍵?」
「おもちゃ同然だがな」

そう言って握らされたのは、確か千空がまだ小学生の頃にアルミ缶から作ったものだ。彼自身はおもちゃだと言うが、一見そうは見えない。
暫くそれを眺めていたが、再度工作に戻った彼の白衣のポケットに鍵をしまうとなまえはソファの上で膝を抱えなおした。

「どうして家来たの?」
「あ"あ、どうせ使ってねぇんなら俺の研究室にしてやろうと思ってな」

しれっと中々に自己中心的な主張を始めた彼に、なまえは部屋をちらと見渡した。
なるほど確かに彼女の家は広いにも関わらず必要最低限の家電や家具くらいしか置かれていない。
一人で生活するには広すぎる上、ほぼ人が不在のその部屋は掃除こそ行き届いているものの生活感がなさすぎた。

そこに千空の存在があるのが妙におかしくて、つい笑みが溢れる。
何か用があるわけでないのだろうことは、初めからなんとなく分かっていた。とはいえ、合理性を重視する彼が手間を掛けてわざわざ荷物を運び込んだのだ。
尋ねながらその実、なまえは頑なに本心を語らないこの男が自分の様子ひとつを見る為だけに来たのだろうことに気付いていた。

確か、彼の父親も仕事の為に何日か家を空けている。一見彼女と似た境遇に思えるが、時間を見つけてはきちんと家に帰ってくる点で決定的に異なっている。
また、千空自身も家に親がいようがいまいが然程気にすることなく研究に没頭しているのだから、妙な親子だ。
そのときふと自然と湧き上がった疑問がなまえの口から零れ落ちた。

「…千空は寂しくないの?」

小さな呟きだったからか、彼は視線を落としたまま何事もないように手を動かしている。
三分経った頃、徐に千空が口を開いた。

「そんなこと思ってる暇もねぇよ、俺は科学に唆りまくりなもんでな」

元々彼らは血縁関係のない親子だが、例え血が繋がっていたとしても千空の何より科学を最優先する姿勢は揺るがないだろう。
そしてそれは、ニヒルに笑みを浮かべた彼だけではない。

「テメェにもあんだろうが、唆るもんがよ」

千空にとっての科学が、なまえにとっての哲学が、百夜にとっての夢だ。
ならばそれと同じように、両親にとっては恐らく仕事がそうなのだと、彼の励ましはそんな意味を持っている。
勿論その意図はすぐ彼女にも伝わって、瞬間胸に支えていた蟠りが解けたような気がした。

「…なんだ、そっか」

そんな簡単なことを今まで解らずにいたのが不思議で、なまえはソファの背もたれに項垂れた。
子供より、仕事が好きなのだと言うのなら別にそれで構わなかったのだ。
なまえとて生来、血縁だの親だのに固執するような性質でもない。
彼女は、何も教えられぬまま自分を置きざりにした彼らが、嫌われていると妄想する自分が、それらしい推測すら浮かばぬことが、何も知らないことがただひたすらに恐ろしかっただけなのだ。
もはや彼の導き出した答えに対する真偽などどうでもよくて、千空がそうだと言えばなまえはそうかも知れないと納得できてしまう。
自分が何年も解けずにいた問いを、こうもあっさり解けてしまう幼馴染がほんの少し憎らしくて、それでもやはり誇らしかった。

余韻に浸りながら閉ざした瞳の向こうからなにか聴こえたような気がしたが、彼女は心地よさすら感じられる微睡みの中にゆっくり意識を沈めた。

crybaby

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