渋々ながら応の答えをくれてやれば、なまえは満足げに目を細めた。
その隙のない笑みは、天下二兵衛などと謳われた嘗ての片割れを想起させる。

彼女の教育を始めたのは、確か半兵衛だった。
女子どもに兵法や剣術を学ばせるなど始めは渋ったが、いざなまえと対面してみると、彼女には軍の中でしか生きる道が残されていないのだと悟った。
自らの知識を分け与えた少女が、もはや自分の嫌いな軍師と同じ顔を作るようになってしまったことは、嘆かわしくも変えようのない事実である。
時とはこれ程までに残酷なものだろうか。

いや、しかし。それでも昔に見た彼女は、 もっと穏やかな顔をしていたように思う。
そうだ。あの頃は大半の時間を利休の弟子として過ごしていた。
いくら才があるといえ、剣を振るうより戦の勝ち方を知るよりずっと、彼の所作や茶を学んでいる彼女の方が黒田の目には望ましい生き方に映ったのだ。

「利休はどうした」

黒田がそんな結論に辿り着くのと、何気ない疑問を彼女にぶつけるのはほぼ同時であった。
一瞬、彼女の瞳が強張り狼狽えるのを、長い前髪の向こうは捉えただろうか。

「せん…千利休は数年前に豊臣を追われて以来、行方知れずとなっている」

なまえの口から出てきた言葉に、黒田は驚きが隠せない。温厚そうな利休が、一体どんな粗相を仕出かして豊臣を追われるというのか。
しかし一方で、豊臣から離反した黒田にしてみれば秀吉を半ば神の如く崇める忠臣達と比べれば、利休の其れはいくらか正常な判断だとも思えた。

「へぇ、利休がね。…それで」
「と、いうのは?」

何を尋ねられたのか、その真意を伺うなまえの態度はどこか胡散臭い。
仮にも軍師を名乗っていた己を、舐めてもらっては困る。お前さんは、そう前置きをしてもう一度尋ねた。

「秀吉のやり方に納得してんのか?」

どうせ弱さだの何だのと利休に難癖を付けたのだろう、そう予想した彼の推測は果たして当たらずとも遠からずといった具合であったが、なまえの本心を炙り出すには充分すぎる材料であった。

彼女と似たような境遇に三成がいる。彼は非常に熱狂的な秀吉信者で、己に生きる術と意味を与えた主君を信じて疑わない。良く言えば義理堅く真っ直ぐな、悪く言えば主君しか見えていない視野の狭い男だ。
しかし、ならばなまえはどうか。同じく豊臣に拾われたとはいえ、三成ほど主君一筋で生きている訳ではない。
恩は感じているのだろうが、常に一歩引いて全体を見渡しているような冷静さを持っている。
そんな性質こそが彼女を豊臣の重臣足らしめる所以なのだろうが、そのなまえが師である利休への情を捨てきれずにいることは確かだ。
勿論心の中が読める訳ではないが、黒田の勘ともいえる何かがそう叫んでいた。
一切の言い逃れを許さないような雰囲気に飲まれかけたなまえは、開いた口を一度閉ざして、ひとつ瞬きをするのと同時に再び口を開いた。

「一度落とした命。拾ってくれたのが秀吉様なら、秀吉様の為に生きるのが私の道だ」

ゆっくりと言葉を紡ぎながら、まるで自身にそう言い聞かせるような物言いに黒田は戦慄を覚えた。
こちらを真っ直ぐに見据える瞳には先までの迷いがひとつも見当たらない。
彼女は今までにもこうして、何度も自分を偽り殺してきたのだろうか。
数えきれないほどの同じ姿をした屍の上に立っているのが、みょうじなまえという人間なのだとすれば。
この勝負、まるで勝機がない。
思わず一歩後ずさった自らが滑稽で、黒田は苦笑を漏らした。

「ま、もし秀吉を叩きたくなったら小生は手を貸すぞ」

気圧されたことを誤魔化すように背を向け、最後に駄目押しの一言を吐き捨てる様は捨て台詞のようで格好がつかなかったが。
急に黙り込んだなまえの妙な沈黙が続き、その後ぽつりと独り言のように返された言葉はうまく聞き取れなかった。

「万が一、私が豊臣を敵に回すようなことがあるとすれば、それは……」

あの子が豊臣を敵に回す時だけだ。

剣の弟子から言伝に聞いている限り、それは億が一にもあるまい。
生産性のない仮定の話をなまえは好まなかった。ほぼ皆無の可能性に賭ける決意など、きっと犬も食わないだろう。
無論、博打好きな彼女の弟さえ。

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