目に入るは一面の黒々しい土壁。とはいえ、塗り固め整備された"壁"ではなく、言葉通り"土"と云うのが此処では正しい。

彼女の付き人が掲げる提灯の灯りが真っ暗な洞窟を仄かに照らしていたが、足元が微かに確認できるか否かという程度の其れに進路を任せるのは些か心許ない気がした。
段々と暗闇にも目が慣れてきた頃、蟻巣のように何者かの手によって掘り進められた洞窟の奥に位置する開けた空間から、一際明るく照らされている灯りが漏れてきた。

火に集る羽虫の気分とはこういうものだろうか。内心、ほんの少しの安堵を覚えた自らを嘲りながらなまえはそちらへ足を進める。

其処では一人の大男が、こちらに背を向け何やら忙しなく絡繰を弄っている。なまえにも多少は絡繰に関する知識があったが、専門家でない彼女にはどういう仕組みでそれらが機能しているのか興味があった。
暫く黙って丸まった背を眺めていれば、ああでもない、こうでもないと独り言ちていた声が唐突にこちらへ投げられた。

「見ての通り小生は忙しいんだ。半兵衛の遣いだか刑部の遣いだか知らんが、あいつらに関わるとロクなことがない。大人しく帰っちゃくれないか」

尤も、コイツの鍵でも持ってんなら話は別だが。
呟きながら掲げた腕には頑丈な手枷が掛けられている。太い鎖から伸びた先にはこれまた大袈裟なほどに巨大な鉄球がぶら下がっていた。
こちらには一瞥もくれず、それだけ言うと再度自分の世界に没入してしまう彼に肩を竦めながら、なまえは彼の手作業の傍に積み上げられた木材や鉄材を見る。
よくもまぁこれ程多くの資材を一体何処から調達したのか、その伝手が気になるところだが、そこは黒田の人の良さ故といえば腑に落ちる。
どれほど運は悪かろうが、周りに人を惹きつける性質が彼の人柄の良さを物語っているのだ。
地下深くに幽閉された黒田軍のほとんどが今も彼に付き従っている事実こそが、その証でもあった。

どうにも彼は豊臣を目の敵にしているらしい。彼の事情を鑑みれば無理もないが、その恨み辛みの元凶の大半は大仰な手枷を付けてくれた大谷へ向いているようだ。
元を正せば黒田が先に裏切りを働いたというのは、言うだけ野暮というものであろう。
とはいえ、自らが仕える軍師殿から任された務めを果たさねばなるまい。なまえはつとめて軽口を開いた。

「残念だが、黒田殿。そんな返答を持ち帰っては私が叱られてしまうのだ」

まさか、背後から聴こえてきた声が予想していたものとは違ったらしい。
弾かれたように振り向いた顔は、伸びた前髪で目元こそ隠れていたが、それでも驚愕していることだけは確かだった。

「お前さん…なまえか!?久し振りじゃあないか!少し背も伸びたか?」

まるで興味がない体を装っていたのが嘘のように、手にしていた絡繰を放り投げると黒田は邪魔そうな鉄球を引き摺りながら歩み寄ってきた。

最後に顔を合わせたのは黒田が豊臣から追放されるよりも前だ。元々頻繁に顔を合わせる程関わりのなかった為か、彼の記憶の中では未だ十代であった頃のなまえで成長が止まっているらしかった。
無論、その頃に比べてみれば"少し"どころではなく大分背も伸びているのだが、体格の良い黒田にとっては大差ない程度だろう。
それでも彼がなまえを気に掛けるのは、かつて彼女が黒田からも兵法を学んだからである。
理解と呑み込みの早い子どもであったが、年相応とは懸け離れた雰囲気を持つ娘であったと、彼は記憶している。

「それで、お前さんが何の用だ?…どうせろくな用事じゃねえんだろうけど」

つい用件を訪ねてから、頭と口の良く回る豊臣の軍師と、あの小賢しい石田の軍師の顔が脳裏にちらついて頭を掻き回した。

「今度の戦で力を貸して頂きたい」

やはり、思った通りの面倒ごとであったと黒田は盛大な溜息を溢した。その遣いにわざわざなまえを寄越したのも、恐らく策略の内なのだろう。
自分の扱いを随分と心得ているじゃあないか。此処でどうするかと悩むくらいなら、既に答えは決まっていた。

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