そこはどこまでも薄暗く、冷え冷えとしていた。
なにをしていたのだったか、彼女が記憶を遡ろうとした途端に目を刺したのは灯りだった。

「あ、起きたぁ!」

目を覚ましたみょうじの視界に飛び込んで来たのは、なにが面白いのか無邪気な子供のように目を細めて喜ぶ同い年くらいの少女の姿だった。
その顔に見覚えがあることに気が付いて、サッとみょうじの顔が青ざめる。
彼女は、連合の。
慌てて状況を確認すればバーのような内装の、恐らくそこはヴィラン連合の潜伏場所だった。

「私、トガです!あなた可愛いねえ、お友達になろう」
「おい、うるせえ」

荼毘の声がトガを制するが、そんなことには構わず彼女はみょうじに絶え間無く話しかけている。
みょうじには友達になる気も質問に答える気もなかったが、そこでふ、と攫われる前のことを思い出した。

「爆豪くん…は…」
「ここだわ節穴か」

聴き覚えのある声が隣から聞こえて来ると、そこには一緒に攫われた爆豪がいる。
案外すぐ側に居た彼の姿に胸を下ろしたが、二人とも椅子に身体を拘束され身動きは取れなかった。
身体が元に戻っているところを見るともう日付は変わっている筈だが、正確な日時は分からない。
煉瓦造りの壁のどこにも窓らしいものは見当たらないし、時計も設置されてはいない。
テレビからニュースが流れているが、普段テレビを見ない彼女にはそれが朝の番組なのか、昼のものなのか、はたまた夜なのか判断はつかなかった。
不満げな爆豪の顔が彼女をちらと見て舌打ちすると、それからまた眉間の皺を濃くした。

「、ごめん…」

目を伏せたみょうじの前へやって来る足があって、彼女は視線を上げる。
その顔を見て身体の血の気が引いて行くのを感じた。冷や汗が背筋を伝って体温を更に奪って行く。
USJ事件の主犯、死柄木弔。
表情は伺えないが、前髪の隙間から覗いたその瞳はどこまでも悪意に満ちていた。

「みょうじなまえ…」
「…っオイ!」

その掌が彼女の眼前に迫り来る。左右の頬を右手が包み込んだが、人差し指だけはみょうじの肌に触れない。

「先生のモルモット」

死柄木の言葉の意味はみょうじには理解し兼ねたが、その単語がやけに胸に引っかかる。
先生、とは誰のことだろうか。
触れていた指を一度離して、そのまま指甲から第二関節までを頬に滑らせた。その手は酷くひんやりと感じられる。

「…じゃなけりゃ、今すぐにでも壊してやるのに」

言葉と共にその一瞬、ぞっとするほどの憎悪が鋭く細められた瞳の奥に宿っているのを感じて、みょうじは戦慄した。心臓が早鐘を打ち始め、気をしっかり持たねばまた意識を失ってしまいそうだ。
USJ事件の時には遠目から見ていただけだったが、明らかにどこか雰囲気が違うと感じた。
言葉で明確に表現するのは難しい。以前まではまるでぼやけたレンズ越しに見ていたようだったその輪郭がくっきりと浮かび上がってくるような、そんな感覚だ。
勿論距離の話ではなく、言うなればそれは死柄木の気の持ち方であった。
瞳から滲み出したそれがみょうじの心にじんわりと染みを作り、向けられた敵意が静かに浸透していく。

命払いしたな。言いながらバーカウンターの一席へと引っ込んで行く死柄木は、徐ろにトランプタワーの制作に取り掛かる。
点け放しにされたテレビの向こうでは、雄英高校に対する批判が取り沙汰されていた。
それから拉致被害に遭った生徒について。体育祭で一位となった爆豪のことは勿論、みょうじのことも。


先日ヴィラン連合を名乗る集団に拉致されたとみられる雄英高校ヒーロー科1年A組の二名の生徒、爆豪勝己くん、みょうじなまえさんについて……

爆豪くんは体育祭でも粗暴さが見られ……みょうじさんですが、10年前に起きたヒーロー一家心中事件で奇跡的に一命を取り留めた少女であったことが分かっており……この件に関して△△さんはどう思われますか。

酷い事件でした。子供まで道連れに……ヒーローとは思えない…

…それ以前に、親としての人間性を疑わざるを得ませんね。……彼女には両親とは違い立派なヒーローになって頂きたいですが……

ありがとうございます。それではここで臨床心理士の××さんにお話を伺いましょう。

…爆豪くんに関しましては………
それからみょうじさん、彼女は10年前の事件直後精神に影響が見られたそうで…….…ですからいずれも精神面の不安定さは懸念材料のひとつ………考えたくはないですが、彼らが悪の道に勾引かされる可能性もゼロとは言い切れないでしょう。


そんな内容を聞きながら、隣の爆豪が瞬間見たことのない表情を浮かべているのを見てみょうじは視線を落とした。
適当なことを言うマスコミ。
偽善者ぶるコメンテーター。
過去の事件を引っ張り出して、まるで当時と同じことを吐き出す彼らのことがみょうじは嫌いだった。

なにも、知らないくせに。
拘束された手には力が込められないが、全身が強張り肩が震える。やり場の無い憤りが唇を強く噛み締めると、やがて鉄の味が舌を掠めた。

「同情するぜ、みょうじ」

自身で築き上げたタワーを崩しながら、その声がみょうじに話し掛ける。
涙の滲んだ瞳が死柄木を睨みつけるが、相手はつまらなそうに一瞥すると再度カードを一枚ずつ手に取った。
右手に摘んだそれを眺め、その角のひとつでみょうじを指し示しながら言葉が紡がれる。

「奴ら自分が正しいと思ってやがる。正義面して正論叩いて、そんで良い事したつもりでへらへら笑ってんだぜ。…お前の気持ちを踏み躙ってることも知らずにさ」

死柄木の言葉に、彼女は何も答えられなかった。まるで自分の内心を代弁されているかのようで、しかし敵の言葉に耳を傾けてはいけないのだと必死に自らへ言い聞かせる。
彼の声を聞かないようにじっと足元を見つめていたみょうじの顔が、乱暴に上向かされた。
そこには先と同じ顔がこちらを見ている。

「奴らとオールマイト。何が違う」

こんな世の中、間違ってんだよ。
そう呟いた瞳の奥に少しだけ、ほんの少しだけ。
自分と同じ悲しみを垣間見て、瞳の表面に張っていた涙が頬を伝って流れ落ちた。

わたしと 同じ、孤独なひと。
ずっと一人で抱えてきた孤独を、たった今初めて他人に理解され共有したことが、その相手が自分とは対極の立場にあったことが何よりも悲しかった。

「…離れやがれクソヴィラン」

隣から聴こえてきた低い声が彼女の意識を引き戻した。
徐ろに爆豪のほうを向いた死柄木にそれまで静観していた黒霧が挙動を見せたが、彼はみょうじの顎から手を引くとまるで気にせずに元いた場所へと戻っていく。

「…爆豪、くん」

半ば独り言のように確かめたその名に、普段よりも鋭さを持たない彼の眼がみょうじに向けられた。

「同じとか、思ってんじゃねえぞ」

爆豪の言葉の裏に込められた様々な意味を感じて、みょうじは首を強く縦に振った。
一瞬でも彼の存在を忘れてしまった自分を恥じながら、必ず二人で無事にヴィラン達の元から生還するのだと決意する。

死柄木がオールマイトを憎む理由がみょうじには少しだけ理解できたが、それでも決して受け入れてはならなかった。
類似しているその二つの孤独の原点はどちらも悲しみであるに違いない。が、何かが決定的に大きく違う。
この時の彼女にはそれを上手く形容する言葉が見当たらなかったが、これだけは断言できた。
死柄木の思い描く世界に、そこに人々の笑顔など存在しないのだと。

ほうどう

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