豊満に一人呼び出されたみょうじがやってくると、彼は自分のデスクの前に雑に置いてあった椅子を指して腰掛けるよう促した。

「どうしたの、ファットさん」

みょうじから呼ばれるその呼び名が落ち着かないのか、豊満は普通でいいと告げながら本題に入る。

「先に言っとくけど、別に今回甘やかしで呼んだ訳やないで」

まさしくそれは、指名を受けたことを知った時に彼女が真っ先に考えたことだ。

「能力もやけど人柄とか、そういうとこ引っくるめて指名したっちゅうわけや」
「…うん」
「なまえのことやから気にしとるんやないかと思ってな」

相澤からも言われたことだったが、本人から面と向かって言われると本音が垣間見えた。
彼の言葉に頷きながら、じんわりと視界がぼやけて涙が溢れそうになる。
豊満の大きな手が彼女の頭に伸びて雑に掻き回した。雑ではあるが暖かさが感じられた。
みょうじにとっては久方ぶりに触れる、家族の温もりに近いもの。

見知らぬ土地で一人暮らしを始めたこと。
全国一のトップ校へ通い始めたこと。
ヴィランからの襲撃を受けたこと。
クラスメイト達との差を感じたこと。

ずっと孤独に抱えていた、不安で一杯になっていた心の緊張の糸が切れる。
ぼろぼろ溢れる涙は留まるところを知らず、ずっと彼女の頭を撫で続けていた優しさが更にそれを助長した。

涙も止まる頃ぐずぐずと鼻水をすすりながら、みょうじは今の今まで聞かずにいたことを尋ねた。

「おばあちゃん、元気?」
「おう、こないだ会うたわ」

アメちゃんもろた、と言って笑う豊満に、みょうじの心を覆っていた雲がようやく晴れる。
今となってはたった一人の家族である祖母を残して一人暮らしを始めることを、彼女は当初からずっと心配していたからだ。

そうして安心が押し寄せた途端、忘れかけていた言葉が頭を過った。

"僕たち、昔この辺りで会ってない?"

暫く真剣な顔をして黙りこくっているみょうじに、豊満はどうかしたのかと声をかける。

「……太志おにいちゃん」
「ん」
「10年前のあの日、…私本当にこっちにいたのかな」

みょうじが発した言葉に、豊満の顔からは笑みが失せる。
彼女の表情からは何か気になることがあるような、それを確かめるかのような色が伺えて、彼はその真意を探った。

「どういうことや」
「緑谷くん……クラスメイトに、"昔会ったことないか"って聞かれた」

10年前、みょうじの両親は他界した。
近隣住民や同僚であったヒーロー達へは何も告げず行方を晦ました一家は、その日山中にて遺体で発見される。
不幸中の幸いとして夫婦の娘の意識が確認され、一命をとりとめた。
警察の調べでは第三者の関与は見られず、この事件は"ヒーロー一家心中事件"として世間に報道されたのだ。
その日は奇しくも彼女の5歳の誕生日だった。

ここまでがマスメディアに公開された内容である。
実際に警察の取り調べで供述した彼女の証言は、事件の精神的ショックによる"子供の妄言"として警察に処理された。

「せやけど、…なまえはあん時」
「…うん」

何度考えてみても、やはり堂々巡りだった。
彼女の記憶は、証言として述べるにはあまりに不確かで不鮮明だ。

「けど……」
「…なまえ」

膝の上で手を握り締めながら唇を噛んで俯くみょうじに、大きな手が伸びる。
頭を優しく撫でられたかと思えば、拓けた視界の先にはいつもの優しい顔をした豊満が居た。

「飯食いに行こか」

環呼んできてくれるか、そう言う彼に、みょうじは先までの不安を払拭するように笑顔を作った。



翌日、早朝5時に起床したみょうじは稽古場で自主トレーニングに励んで居た。
彼女の30分後にやって来て様子を眺めている豊満は、昨日も夜遅くまで仕事をしていたというのに溌剌としている。

「なまえ、もうちょい脇締め」
「ん!」
「…二人とも早いな」

6時前に怠そうにやって来た寝ぼけ眼の天喰を小突くと、豊満は彼に顔を洗ってくるよう促す。

「環も見習いや」
「朝から当たりが強い…痛い…」
「先輩、おはようございます」

午前中は稽古として豊満から近接格闘術や身のこなしについて指南を受ける。
午後は昼食を兼ねたパトロールをしながら事務所へ帰り書類仕事や来客対応、その後夕食を摂った。その殆どが昼の余り物であったが。

「今日からは俺と夜間パトロール行ってみよか」

職場体験の一週間はこの夜間パトロールをみょうじと天喰の交代制で、豊満と二人で行うらしい。
天喰にとっては日々の校外活動の中で行なっていることだったが、本日はみょうじが加わる為に三人で行くという。

昼間にパトロールで通った道も、暗くなってから見るとまた全く違う街のように見えた。
みょうじには慣れないネオンの通りを、先を行く二人に続いて歩いて行く。

「最近この辺も物騒やからな」

最近よく報道各紙で目にする"ヒーロー殺し"。
この街にはやって来ていないが、飯田の兄であるインゲニウムが被害に遭ったことをみょうじは考えていた。

そんな時だ。
まだ夜も浅く人通りの多い路上から悲鳴が上がった。先まで平穏に時が過ぎていた筈の歓楽街がざわざわとパニックに陥る。

「ヒーロー殺しだ!」

そんな一つの叫びが聞こえて、奥から見えたのは赤のマフラーとバンダナ。男は目元を包帯で隠しており、そしてその手には刃物が光る。

「環、なまえ、避難誘導!」

豊満の指示で即座に天喰が指先で蛸足を再現すると、市民とヴィランとの間を隔てて行く。
混乱する人々を見て一瞬気後れするみょうじに気が付いて、天喰が声を掛けた。

「みょうじさん、落ち着いて。…全員じゃがいもだと思うんだ」
「じゃが…」

天喰の口から出て来た単語に思わず呆気にとられたみょうじは、その瞬間緊張が解けて行くのを感じた。
どう見ても逃げ惑う彼らをじゃがいもだとは思えなかったが、その顔に恐怖と不安を浮かべた市民達を守らなければという気持ちが湧き上がった。

避難を進めながら彼女が様子を伺うと、豊満と対峙したヴィランが叫びながら彼に猛進した。その手には凶器がある。

「太志おにいちゃ…っ」

反射的に目を瞑ってしまうみょうじであったが、恐る恐る目を開けるとそこには腹部に犯人を沈めて不服そうな顔を浮かべる豊満の姿があった。

「なんやこのお騒がせヴィラン…」

そのあまりの手応えの無さに、これが件のヒーロー殺しな訳がないと感じたのだろう。
すぐにやって来た警察に引き渡しを終えると、やはり犯人はヒーロー殺しに扮した愉快犯であったことが分かる。
幸い怪我人もなく事件は幕を降ろした。

事務所へ戻って緑谷から謎の位置情報が送られて来ていた事に気が付いたみょうじであったが、この時、緑谷、飯田、轟が本物のヒーロー殺しと遭遇していたことを翌日のニュースで知ることになるとは思ってもいない。



こうして一週間の職場体験はあっという間に過ぎ、最終日を迎えた。

「なまえ、今日はヒーローはお休みや」
「えっ」

最終日であるから気を引き締めて稽古場へ向かうと、既にそこに居座っていた豊満が言う。
何故かと噛み付く彼女を宥めつつ、豊満が笑った。

「ばあちゃんに顔見せたれ。それに父ちゃん母ちゃんにも会いに行ったらなあかんやろ」
「で、でも…今は…」

確かに今はあくまで授業の一環として来ている訳だが、今日までの六日間でも充分実のある体験をさせているからと豊満はみょうじを言いくるめる。
なんならついでに環も連れて行けと、まだ起床してもいない天喰のスケジュールまで変更してしまった。



「ごめんなさい、付き合わせちゃって」
「いや、…構わない」

広い霊園の敷地内、みょうじと天喰はベンチに腰掛けながら缶コーヒーを手にしていた。
聞いても良いものかずっと思案していた天喰は、しかし聞かない方が失礼かと口を開く。

「…ご両親、亡くしていたのか」

天喰の言葉に頷くと、みょうじは珈琲を一口含む。飲み込むのを忘れて、数秒してから喉に通した。

「でも私、大丈夫ですよ。おばあちゃんもいるし」

諦めたような顔をしたみょうじは、天喰を向くその瞬間笑顔を貼り付ける。
天喰はすべてを悟ってしまった。
きっと彼女が、いつもこうして人知れず耐え続けて来たことを。他人に悟られぬよう常に仮面を被っていることを。
そして彼女の悲しみが、自分には抱えきれないほど大きなものであるということを。
そんな彼女に、"凄い"だなどと軽々しく口にしてしまった自分はどうかしていた。

「………やっぱり俺は駄目だ…」

情けなさや不甲斐なさからつい伏せた目に、溢れた弱音。
それを拾ったみょうじが、そんなことはないと言う。

「このあいだ私、天喰先輩に救われました」

先輩が居たから落ち着けました。
そう言いながら先までの作り笑いとは違う、どこまでも純粋に微笑う彼女に、天喰は思ってしまう。

俺は救われることしか出来ないのか。

じゃあそれならせめて。これだけは伝えなければならないと彼の口がひとりでに音を紡いだ。

「…俺もきみに救われてる」

彼女の瞳が微かに揺らめいて、この気持ちが届いたのか、届いていないのか。
掴み所のないその笑顔が、少し歪んだ。

この言葉が、少しでもきみの救いになるように。

たいけん

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