ひとつ、胸に手を当て深呼吸を落とす。
緊張に凝り固まった心はただの一呼吸では解れてはくれなかった。
ロッカーに仕舞おうとした携帯端末にたった今一件の新着メッセージが届いて、相手を確認しつつも返信はせずにロッカーを閉じる。ほんの僅かに緊張が和らぐのを実感してみょうじは口許を緩めた。

本日は雄英体育祭だ。
雄英高校の体育祭といえば毎年大々的にテレビ中継されているが、今年は中でも異例で全国からプロヒーローが観覧にやって来る。
ヴィランによる襲撃を受けた直後での開催については世間でも賛否両論あったようだが、敢えて多くのヒーローを呼ぶことで防犯も兼ねた上で体育祭を決行することになったのだ。
即ち、それだけより多くのプロヒーローの目に留まる機会が増えるということ。
ヒーロー科の生徒らはもちろん皆勝つ気で臨んでいるが、みょうじも負ける気は毛頭ない。
彼女にも譲れない未来があった。



ヒーロー科入試一位であった爆豪の、選手宣誓という名の優勝宣言から始まった体育祭。
ヒーロー科への大ブーイングの嵐の中で戦いの火蓋は切られた。

第一種目は障害物競争。
とはいえ、ここは雄英だ。網潜りや大玉転がしなどのありふれた障害は用意されていない。
開始の合図を待ち構える生徒達の中で、誰が障害になり得るかなど分からないのだ。
周囲に警戒しながらみょうじが唾を飲み下した時、聴こえてきた開始の合図と共に冷気が肌を撫ぜた。
半ば反射的に跳躍してみれば、思った通りそれは轟の仕業である。

足元が凍てついて身動きの取れない人の隙間を縫って進もうとするが、その間も己の個性を生かして次々と乗り越えてゆくクラスメイト達の姿を見て彼女は焦れた。

「勿体ぶっていられない…!」

個性で少女の姿に変化すると、彼女は動きようのない生徒達の肩を踏み台にして飛ぶように駆けて行く。
身体の細い女子生徒では足場が安定しないため、男子生徒で且つ出来るだけ負荷に耐えられそうなしっかりした肩を瞬時に選別しながら進むのは、日々の写生の習慣によって目の鍛えられたみょうじだから出来ることであった。
存外耐えてくれた幾つかの"踏み台"に内心感謝を述べつつ、やはり罪悪感だけは拭えずそのひとつひとつに謝罪しながら突き進んだ。

スタート地点から数十メートル進んだ所で、ようやく始めて障害物の顔を拝むことが出来た。待ち構えていたのは、ヒーロー科入学試験時の仮想ヴィランだ。
その中には0ポイントの巨大ヴィランも在り、つい口から感嘆を吐くのと共に瞬間足が止まってしまった。

先頭を行く轟が氷結でその動きを止める。が、敢えて自分が通れるだけの微妙なバランスで保っていた巨体は彼が足元を通って行った途端すぐに崩れ、後ろを行く彼女達の前に立ちはだかる。
為すすべなく立ち尽くす生徒達の中で迷いひとつなく前を行く姿は、無論ヒーロー科の生徒達だ。
爆豪を始めとして常闇や瀬呂が巨体を乗り越えてゆくのを見て、彼女はそれに倣うことにする。
彼らの個性には敵わないが、それでも破壊するよりは確実に速かった。
装甲の上に足場を探しながら、時には腕力も使ってとんとんと階段の要領で登って行く。

更にその奥では比較的小さな仮想ヴィラン達が数体待ち構えている。みょうじは関節を狙うように攻撃を繰り出した。
筋力が増幅するとはいえ生身には変わりないので、常日頃から最小限で最大のダメージを与えられるよう心掛けているのだ。
慣れない相手に対敵すればどうしても身体より頭を先に動かさなければならないみょうじは、少々遅れを取った。

その先に待ち構えていた"綱渡り"は懸垂の要領で難なくクリアしたが、やはりクラスメイト達が先を急ぐのが見えると立ち止まってはいられなかった。
"地雷原"は皆が自分のペースでまばらに進んで行くので、先のように人を踏み台にするのは難しそうだ。
万が一踏み台にした相手がタイミング悪く地雷を踏んでしまえば共倒れになってしまう。
仕方なく足元を確認しながら進んでいると、後ろから物凄い爆音が聞こえて思わず彼女は振り返った。

先まで地雷原の入り口で何やら土を掘り返していた緑谷が、爆風により凄い速さで前方へと吹き飛んで行ったのだ。

「緑谷くん、すご…」

みるみるうちに先頭の爆豪と轟に距離を詰めて行って、遂に追い越してしまった。
呆気にとられている場合ではない、そう思いながらみょうじも再度止まった足を進めるのだった。



障害物競争の1位に輝いたのは緑谷だ。
個性を使わずに勝利した彼のその機転を見習いたいものだと、第一種目での反省を踏まえつつみょうじは息を整える。
一先ずは第一関門を突破したのだ。

ほんの僅かなインターバルの後、ミッドナイトにより次の種目の説明がなされる。
個性を発動していることにより呼吸をしているだけでも少しずつ疲労が蓄積されてしまうみょうじは、騎馬戦で十分に動き回れる自信がない。
その上小さな身体では騎馬にはなれないことだろう。

「どうしよう…」

周りが次々に組んでいく中、辺りを見渡す彼女の背に触れる手があった。
振り返ってまず視界に飛び込んできたのはクラスメイトの障子で、その次に蛙吹と峰田が目に入る。

「俺たちと組まないか、みょうじ」

本来四人で組むとすれば騎馬三人に騎手一人だが、彼らの作戦は障子が三人の身体をすっぽり覆い隠してしまうというものだった。
峰田が騎手代表とすると蛙吹とみょうじは騎馬なのか騎手なのかいまいち判断が付かないが、みょうじにはひとつ懸念がある。

「いいの?私遠距離攻撃が出来ないからお荷物だと思うけど…」

おまけに質量がある。
いくら障子が力持ちだといっても、機動力が削がれるのではないだろうか。

「遠慮しないでなまえちゃん。私たちから誘ってるんだもの」
「それに峰田が危なくなったとき対応できる奴が一人いると心強い」
「てかむしろ女子密度が上がってイイ…!」

蛙吹と障子の言葉に、断る理由はなかった。

「ありがとう。むしろこちらからお願いするよ」

峰田の言葉は聞き流したが。



瞼を閉じて微睡みに身を任せている相澤のもとへ、放送ブースに踏み入ってきた足音が近づく。それは枕元で止まると、彼に声をかけた。

「おい、イレイザー起きろ」
「起きてる」

寝袋に身体を包んだまま瞼を開けば、先ほど昼食を摂りに部屋を出て行ったマイクが立っていた。
もう休憩が終わったのかと思いもぞもぞと寝袋から身を起こすが、しかし同僚は椅子に座る気配がない。
時計を見ればまだ休憩時間内ではないか。
もう少しで眠れたというのに。そんな相澤の不満げな瞳を受けつつもマイクは神妙な面持ちで口を開いた。

「みょうじのことなんだが」
「…あぁ、」

以前、彼女の顔に見覚えがあると言っていた件だろう。そう思い当たって相澤は次の言葉を促す。

「さっきプロヒーローが話してんの小耳に挟んでよ…もしかしてと思ってな」
「要点だけ言え」
「"メテオリオン"と"シンディ・ベル"ってヒーロー知ってるか」
「知ら、………いや。どっかで…」

マイクの回りくどい質問へ反射的に否と返してしまいそうになったところで、相澤はその名前に記憶のどこかで引っかかりを感じた。

共に仕事をした訳ではない筈だ。であれば顔が出てくる。
とすればマスメディアだろう。が、事件を解決しただのといった報道は毎日何件も全国でされている。それらを一つ一つ覚えている暇は相澤にはない。
無論、テレビを見ない相澤にはスキャンダルであるとか、結婚報道などは毛ほども興味がなかった。故にそういった類でもない。

有りとあらゆる路線を検証してみて、けれどもそれらはたったひとつの答えを浮き彫りにしてゆくだけであった。

「訃報か?」
「……まぁ、そうなんだが…」

話を切り出したのは己のくせに、やけに歯切れの悪い同僚に相澤は鋭い視線を送った。

「はっきり言え」



朝学校へ来る途中のコンビニで購入したサンドイッチを齧っているみょうじの背中は、心なしか小さく見える。
彼女はクラスメイト達がこぞって食堂へ向かう中、未だ一人観覧席にぼんやりと佇んでいた。

端的に言えば、彼女達は騎馬戦で敗退した。
1年B組の塩崎により鉢巻を奪取されたその上、取り返すことも他からポイントを奪うことすら出来なかったのだ。
障子達は誰のせいでもないと言ったが、だから余計に彼女は自らの失態を悔いていた。
気を張っていれば十分気付けた筈であるのだ。

今は騎馬戦後の昼休憩。
サークル状に並んだ観覧席の密度はまばらで、先までほぼ満員だったのが何処へ消えたのかと不思議なくらいだ。
食べ終えたハムサンドの袋をビニール袋へ捩じ込んで、そこから未開封の卵サンドを取り出す。
袋を開封した所で、背後から声が掛けられた。

「みょうじさん?」

彼女が振り返ると、そこに居たのは緑谷だった。
確かクラスメイト達は皆食堂へ向かった筈だ。まだ昼休憩は始まったばかりであるのに、何故彼がここに居るのだろうか。

「もうご飯終わったの?」
「大事なノート忘れちゃって」

そう言いながら緑谷は、観覧席最前列の一席に置いてけぼりを食らっていたノートを手にする。
目的の品がきちんとそこに見つかったからだろうか、心なしか安堵の表情を浮かべる彼と目が合って、みょうじは彼に掛けるべき言葉があったことを思い出した。

「本戦進出おめでとう。応援してるよ」

緑谷は一瞬大きな瞳を丸くしてはにかみながら礼を言った。
彼の手元にあるぼろぼろのノートには、"将来の為のヒーロー分析"との題が書かれており、ナンバーが振られている。
座席横の階段を登りながら、みょうじと同じ高さまで来るとその足がぴたりと止まった。

「前から聞こうと思ってたんだけど、さ…」

顔を俯き躊躇いがちに紡がれた言葉に、みょうじはやはり、と無意識に身構える。ヒーローに詳しい彼なら知っていると思っていた。
雄英高校に入学して以来誰かに話したことは一度もないが、教師の中には気が付いている者もいることだろう。
あの"事件"は全国でも大々的に報道された。

「私の、両親のこと…だよね」

緑谷に気を遣わせるのが申し訳なくなって、みょうじは歯切れの悪い言葉を遮るように切り出した。
しかし、緑谷は彼女からそんなことを言われるのが予想外であったかのように、なにか慌てた様子で言葉を詰まらせた。
度々、挙動不審になる彼の言葉をみょうじは首を傾げて待つ。

「あ、いや、…そっちじゃなくて…、…っごめん!」

緑谷によって否定された"そっち"以外になにか尋ねられるような疑問など、みょうじには見当がつかなかった。
しかしその口振りから、既に彼の中でみょうじが件のヒーローの子供であるという事実には気付いていたことが窺える。

「聞かないの?」
「…聞きたくないって言ったら、嘘になるけど……少なくとも今は」

言いながらひとつ首を縦に振ると、伏し目がちに足元を見つめていた瞳が彼女を向いた。
その眼があまりに真っ直ぐで、目を逸らすことができない。
あのさ。
決心がついたようにしっかりした語調で紡がれた言葉は、みょうじの予期せぬものだった。

「僕たち、昔この辺りで会ってない?」
「え……….」

彼女の地元は関西で、両親がヒーローである為に滅多なことがない限り遠出などはしていない筈だった。
実際、みょうじの記憶には旅行の楽しい思い出など全くない。
が、彼女には一つだけ思い当たる節があるのだ。
あの"事件"の日、彼女には地元を離れた記憶がある。

しかし。

「……それ、は…ない。と思う…」

あれはきっと現実を受け入れ難いが為に彼女が作り出した幻に違いないのだから。

みらいを

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