エレベーターから降りたみょうじと緑谷の姿を認めて、クラスメイト達がそちらを見遣る。
みょうじの顔を見て駆け寄ってくる上鳴や芦戸が何か言いたげに口を開いたが、緑谷の眼がそれを制した。
20人分の視線を受けながら、少し伏し目がちにみょうじは口を開く。

「皆が折角楽しませようとしてくれたのに、ごめんね」

そんな彼女の言葉を受け、上鳴は頭を下げる。

「ごめん!謝らなきゃいけないの俺のほうだ…みょうじの気持ち考えずに、忘れて欲しい、とか……ほんと。ごめん」

それを皮切りに、クラスメイト達から掛けられる謝罪の言葉が1階のロビーを埋めていく。
その内の一人、切島も深く頭を下げながら自分の背後で一人だけソファに腰掛けている男に声を掛けた。

「俺も、みょうじが無理してんの気づけなくて…悪かった!…ほらおめぇも」

不貞腐れているその背中にみょうじが近寄ると、ソファテーブルを見つめたままの瞳が揺らいだ。
目を泳がせながら頭を掻き乱して、それからぽつりと一言。

「……言い過ぎた」

先までの荒々しい声ではなくて、本当に悪かったと思っているような棘のない言葉だった。
しかしそれに返す彼女のそれは、赦しとは異なるものだ。

「爆豪くん、ありがとう」

そんな不意の謝礼を贈られて、爆豪は反射的に背中を振り返る。
声を拾った瞬間再度先ほどのような苛立ちすら感じたが、彼女の表情を見て立ち所に心が鎮まった。
ひとつの濁りすらない、穏やかな笑みを浮かべていた。

「私の為に怒ってくれたんだよね」

だから、ありがとう。
そう言うみょうじに、爆豪はどう答えていいのか分からない。
そうだけれど、そうではない。
自分が一番彼女に伝えたかったことは。

「みょうじ、」

ふと背後から聴こえた声がみょうじのことを呼ぶ。
その主は轟であった。

「さっきの…"俺らにぐらい遠慮すんな"って、言いたかったんじゃねえか」

言葉は、悪かったが。
予期せぬ人物からの補足が入って、爆豪は眉を潜める。
咄嗟に出てきた言葉があれでは釈明の仕様がない。完全に自分に非があると認めていながら、彼は素直に謝ることが出来なかった。

「そう、なの?」

伺うようなみょうじの瞳から逃げるように、爆豪は視線を逸らしてばつが悪そうに顎を引いた。

「どんだけ口下手よ…」
「あれじゃただの暴言だよね」

轟の通訳によりようやく件の失言の真意を知った瀬呂や耳郎を始めとするクラスメイト達へ鋭い睨みを送る爆豪へと、みょうじはもう一度礼を言った。

「やっぱり、爆豪くんは優しいね」

まだきちんと謝らなければならないというのに、その罪を勝手に取除いてゆくような純真な彼女の微笑みに、為すすべもなく心を軽くされてしまう。

自分を優しいなどと表現する妙な奴。
自分を腹立たせる気に食わない奴。
いつも無理して笑うたびに腹が立って、だから自分は彼女が嫌いなのだと思っていた。
けれど、そうではなくて。
自分はずっと、本当はずっとこの笑顔を見たかったのだと、たった今気が付いた。
気が付いて、しまった。

不思議なものを見るような丸い瞳が爆豪を覗いて、小首を傾げるみょうじはまるで知りたがりの子供のように。

「爆豪くん、へんな顔してる」

それから無邪気に目を細めて笑う。
その顔に見惚れてしまったせいで投げ掛けられた言葉の意味を理解するのに時間が掛かった。
変だと言われたことに気付いて怒ろうとしたが、もう既に自分に背を向けてしまったみょうじへ爆豪はその実、怒りなど微塵も湧いてはいないのだ。
ただ、願わくばもう一度自分を。
けれどそれは、今は仕舞っておくことにした。

「…いちいち余計なこと考えてんじゃねぇ。言いてぇことあんならハッキリしろ」
「そうだぜみょうじ!遠慮すんな!」

そっぽを向いたまま投げられた爆豪からの、切島からの言葉に、みょうじの心が揺れる。
その言葉を鵜呑みにしていいのだろうか。
いい、のだろうか。本当に?

「私、皆が思ってるよりずっと我儘だよ?
……いいの…?」

ずっとずっと、思っていたけど言えなかったこと。たくさん山のように積もって、彼女の胸の底に眠っていた本心を。

「いいんだぞ、みょうじくん。僕らに出来る範囲で応えるさ」
「いい、の…?私、いい人じゃないよっ、本当はマスコミとか、苦手……ううん…すごく嫌い、だし…」
「誰にでも嫌いなものの一つや二つある」

飯田や障子の言葉に、今まで本音を詰めた箱に掛けて固く結んでいた紐がするすると解けて行く。
我儘を言っていいと、緑谷から言われた言葉が彼女の背を押した。

「そ、それじゃあ…」

目尻に滲んだ涙を拭いながら、みょうじは呼吸を整える。
何度か息を吸って吐いてを繰り返して、それから口を開いた。

「…砂糖くん、私実は甘いお菓子あんま好きじゃ、ない……」
「お、まじか。じゃあ今度作ってやるから」

そう言いながらみょうじの好みを聞く砂糖に、苦党の彼女は珈琲やビターチョコレートなら好きだと答える。

「に、苦いの…?オイラが飲ませてやろうかァ…?」
「なんかゾワゾワする…」
「ゾクゾク!?お前それ感じて…ぅぶっ」
「おめーほんとやめとけ」

鼻息荒くしてみょうじに詰め寄る峰田は未だ瀬呂のテープに身体が拘束されているが、身の危険を感じたみょうじは彼から距離を取った。

「あと、常闇くんはたまに意味不明なこと言うし……青山くんも話通じないし…」
「辛辣」
「心外☆」
「尾白くんに…近接技教えてもらいたい」
「もちろん!」
「口田くんのウサギさん、触ってみたい…」
「…!」

こくこくと頷く口田に、本当は入寮してからずっと触ってみたかったんだと、みょうじは無垢な少女のように嬉しそうにはにかむ。
それから視線を俯いて、そわそわと指先を重ね合わせて、ぽつりと、"贅沢なこと"を呟いた。

「…あのね。私もっと皆と、お話したい。皆のこと知りたい…」
「そんなの。当然じゃない」

緑谷の声が、みょうじの顔を上げさせた。
自分が皆のことを知りたいように、皆だって自分のことを知りたがっていたんだ。
皆の表情を見てすぐに、そう気が付いて、またピントが合わなくなってしまう。
けれど、泣いてはいけない。
まだ言わなければならないことが残っている。

目を閉じて、心を落ち着けてからみょうじは瞼を開いた。

「私、まだ皆に言ってないことがある」

改まったみょうじの声音に耳を傾けるクラスメイト達に、す、と息を吸い込んで先から言えなかった言葉を口にした。

「ありがとう。…本当は、皆が私のためにご飯作ってくれたの、嬉しかったんだ。……ずっと、…作ってくれる人が、その……居なかったから」

言いながらどんどん下に俯いていく彼女の瞼に、彼らは唇を結んだ。

「だから、本当にすごく、凄く嬉しくて…皆で食べるの、ほんとうに楽しくて……こんなこと、言ったら変……かもだけど…」

……家族。みたい、なんて……。

ぽろり。その瞳から涙が零れ落ちた。
それを拭うたびに次から次へと滴が頬を濡らして、足元はぼやけてまるで水槽の中を覗いているみたいだ。
みょうじの本心に、その場の誰もが胸を打たれた。
変ではない、変なわけがない。
一瞬だって家族の代わりになれたのならば、彼女のために料理をした彼らの努力は報われたのだから。

「やっぱ、へん…だよね」

鼻にかかった声で自信なさそうに、言葉に躓きながら、へら、と困った顔で笑うみょうじの頭をぽんぽんと撫でながら轟はそれを否定する。

「変じゃねえし、笑いたくない時は無理しなくていい」
「でも、おばあちゃんとの約束だから…」
「…どんなだ」

"笑っていればいつか幸せがやってくる。"
だから笑っていなさい、と、それは両親を失ってから笑顔のなかった自分へと毎日のように聞かされた、祖母の言いつけだった。

「お前はまだ幸せじゃねえのか」
「え」

轟の言葉にはっとして、周りを見渡すと可笑しそうに含み笑いをしたクラスメイト達の姿が目に入る。

「こーの欲張りさんめ!」
「幸せおすそ分けしちゃうよ〜」

芦戸と葉隠が彼女に抱きつくと、麗日、次いで耳郎、八百万と蛙吹がみょうじを中心に取り囲んだ。
そこへ便乗しようとする峰田を瀬呂が阻止する。
そんないつもの光景がじわりじわりと滲み始めて、みょうじはまたぼろぼろ涙を垂れ流す。

「…私こんなに、幸せでいいのかなぁ…」
「いいんですよみょうじさん」
「むしろ幸せにするっ!」
「お茶子ちゃん、プロポーズみたいだわ」
「てか、こんなの幸せの内に入んないっしょ!」

当たり前じゃん、仲間だし。
歯を見せて笑う耳郎の言葉がまた、涙を誘って、みょうじはつられるようにへらりと笑った。
今度は、無理などしていない。
その泣き笑いに、皆がつい口元を綻ばすのにも気付かずに、彼女は両手から溢れんばかりの幸せをひとつも取り溢さないようにするので精一杯だった。

ああ、嗚呼。
私はなんて幸せ者なのだろう。
こんなに幸せじゃ、いつかばちが当たる。
けれどそれでも、今はこの気持ちを噛み締めていたい。温もりに甘えていたい。

本当は、ずっと前から嬉しかった。
だけど、そう。
爆豪くんが言ったように"本当の家族"に遠慮した。
皆といると、お父さん、お母さん、おばあちゃんのことを、一瞬でも忘れてしまった。
それが申し訳なくて、こんな幸せではいけないのだと、自分を戒めた。
けれどきっとそうじゃない。
いつまでも家族に囚われて笑えない方が、きっと三人は悲しむ。
だから。
だから私は前に進まなくちゃいけないんだ。
私が前に進みたいように。
皆を笑顔にするヒーローになる為に。



一人暮らしをしていた時よりも遅い起床をしたみょうじは、それでも皆より早く1階ロビーに降り立った。
朝のニュース番組を点けながら包丁でまな板を叩いていると、そこではこんな内容が流されている。

"ヒーロー一家心中事件 真実が明らかに"

あの後、やはり世間に真実を公表して欲しいと警察に頼んだのだ。
両親の為でもあったがそれ以上に、この事件の裏にはオールフォーワンという巨悪の存在が在ったのだと、世に知らしめる為に。
そしてこれはきっと氷山の一角に過ぎないと彼女は思っている。

"警察のずさんな捜査"
"他のヒーロー達は一体何を"

責任転嫁をするマスコミ。
掌を返すコメンテーター。
世論はあいも変わらず適当なことを言うけれど、みょうじの心は不思議と軽かった。

炊飯器が炊き上がりの合図を鳴らす頃に、ちらほらと上階からクラスメイト達が降りてくる。
瀬呂が朝の挨拶と共に朝食を確認しに来るが、みょうじは先に洗面所へ赴くように促した。

「みょうじおはよー、今日のメシは…」
「おはよう、先にみんな顔洗ってきなよ」

素直に洗面所へと向かう数名の中に一人、その場にぼうっと突っ立っている姿を見つけてみょうじは首を傾げる。

「爆豪くん、どうかした?」

彼の目の前へ駆け寄るみょうじは体調でも悪いのかとその額に手を伸ばすが、触れることは叶わなかった。
細い指の隙間を補うように彼の骨ばった指が入り込むと、やんわりと握られる。
一体何のつもりかと聞こうとする前に、まだ眠たそうな寝起きの低い声が鼓膜を揺らした。

「俺はお前のガキじゃねぇ」

一瞬耳朶を掠めた唇は、ぱっと離された手と共に洗面所へと消えて行く。
真っ赤になった耳に指先で触れながら、みょうじは暫く放心していた。

めでたし

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