Junction the story with you.





「ナマエ、準備進んでる? 手伝いが必要なら言ってよ。忘れ物があったらいけないから」
 ナマエの母が、子ども部屋の扉の縁からひょっこり顔を出して言った。
「うん、いまのところ大丈夫。今日頑張れば間に合うから」
 ナマエは手元で衣類をたたみながら、そう答えた――けれど、実はけっこう急いでいる。荷造りとともに自分の持ちものの整理も同時にやっているから、思ったようには進まない。ナマエはさっきから衣類をやや雑にたたんで、とにかく早く片付けようとしていた。

 絶対に寮に持っていかなければならないのは、まずは衣類だ。衣類は弟や妹にお下がりとして着てもらうことも多いから、簡単には捨てずに取っておいているものが多い。それらを整理しながら、ナマエは寮生活で着る服や下着をたたみ、トランクに詰めていく。次に勉強道具。鉛筆にノート、メモ用紙はもう手持ち鞄に入れたが、これで足りるだろうかとナマエは心配になって、予備にもう少しトランクに入れた。それからナマエは、寂しくなったときに読もうと思って、数は少ないがいくつか持っている本をキャビネットから出した。何度も読み返したせいで角が丸くなった絵本は学校で人に見られると少し恥ずかしいので、置いていくことにする。ミセス・ワトソンからもらったいくつかの本は、内容は難しくないが大人でも読めるものなので、ナマエはこちらのどれかを持っていこうと決めた。

 適当な1冊を手にとってベッドの端に座り、その本をぱらぱらとめくった。古びた紙のにおいがさらりと鼻をかすめていく。ナマエはそのなかのある1ページに、目を留めた。

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クレタ人であるエピメニデスは「クレタ人はみなうそつきである」と言いましたが、エピメニデス自身もクレタ人なので、エピメニデスもうそつきだということになります。でも、もし彼がうそつきなら、彼の言ったことはうそだということになり、したがってクレタ人は正直者だということになります――さて、結局クレタ人は正直者なのかうそつきなのか、どちらなのでしょう?
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 ナマエはこの文章を読んでいるあいだ、そして読み終わってからも、しばらく息をするのを忘れていた。息をする代わりにナマエを支配していたのは、先の冬の、ディオと最後に会話したときのことだった。

「おれは、おまえのことがずっと嫌いだった。目障りだった」

 あのとき、ディオはそう言った。友達でいいと言ったこと、それがうそだったと言った。

「おれは、うそつきなんだよ」

 あのときディオは、自分をうそつきだと言った。でも彼は、いつから彼は、うそをついていたというのだろう?

「おれは一度だって――ナマエ、おまえに本当のことを言ったことがない」

 彼の言葉の、どこまでが本当で、どこからがうそなのだろう? 父親のこと、母親のこと、住んでいる場所のこと、好きな本のこと、ナマエのことを友達でいいと言ったこと――ここでナマエは、はっ、と息を呑んだ。ナマエの頭のなかに、ある気持ちが姿を現して、ぐるぐる回りはじめた。

 ――自分をうそつきだと称する人が、自分はうそをついたといったとき、何が本当のことになるのだろう?

 ナマエはふらりと立ち上がる。たったいま現れたこの気持ちを、どうしても見過ごすことができない。それが届くという可能性に賭けてみたい。本当のことが何だったとしても、自分が信じたいから、信じるのだ。「ディオ」と、彼の名前をかすかに呼ぶと、1歩を踏み出す。2歩、3歩と続くと、もう走り出していた。「ナマエ? どうしたの? 準備終わったの?」ばたばたと足音を立てて階段を下りてきたナマエに声がかかる。でもナマエは振り向かない。身体ぜんぶを使って、扉を開ける。

「まだ終わってない! わたし、ディオに会ってくる!」

 扉の向こうから、春の陽気がふわりと入ってきた。ナマエはディオのところまで、駆け出していく。

Doors



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