18話
鈍く光る刃を持った澤村くんが台座の前に立つ。
白い柱を模した四つの台座。うち三つの台座に乗っているのは、棍棒、コイン、聖杯と言うトランプのスートを象徴するアイテムたち。空席となっている残り一つの台座には、澤村くんが持つ“剣”を納めるべきなのだろうけれど、問題は、四つの台座の空席を埋めたことで何が起きるか分からない点だ。
今までの流れで考えるなら、台座に象徴するアイテムを置けば次の段階に進めるはず。けれど、既に私たちは四つのスート全ての部屋に続く扉は見つけているため、次に何が起きるのかは皆目見当もつかない。かと言って、このままここで立ち往生する訳にもいかないため、台座に剣を置くことはある意味マストである。
剣を握る澤村くんの背中を改めて見つめる。確認するように私たちを振り返った澤村くんに全員が大きな頷きを返すと、「いくぞ、」と零した澤村くんが剣を台座へ置いた。
その瞬間、
ガコンッ!!!
「………今の、」
「音って………?」
きょとりと顔を見合せた日向くんと山口くん。ぱちぱちと繰り返される瞬きの数に比例して、室内に響く奇妙な機械音が徐々に大きくなっていく。
一体何が起きるというのか。身構えた状態で室内を見回そうとした時、
「っ、見ろっ!!!」
「テーブルが、沈んで……!?」
部屋の中央に鎮座していたテーブルが、まるで吸い込まれるように床の中へと沈んで行く。鳴り続けていた歯車の音が止まったかと思うと、消えたテーブルの代わりに現れた丸い穴。よく見ると、穴の中には階段が続いているようで、底の見えない穴の入口を全員で囲って覗き込む。
「………見えるか?」
「いや、全く」
「一体どこまで続いてんだよ……」
階下に続く暗闇にヒクりと頬を引き攣らせる花巻くん、松川くん、木葉くんの三人。かく言う自分も不気味な穴の様相に顔を顰めていると、「一先ず俺が見て来る」という澤村くんの声に、え、と目を丸くする。
『見て来るって、この中を?この暗さじゃ歩くのもままならないんじゃ、』
「スペードの部屋の松明を使えば歩けないことはないさ。もし全員で下りて何かあったら対処がしづらいだろうし、先ずは俺が行って様子を見て来るよ」
そう言って、スペードの部屋に向かう澤村くんの勇敢なこと。慌てて“私も行くよ”と進言しようとすれば、「俺も行こう」と言う牛島くんの声に遮られてしまう。
「初めから大人数で向かうより、何かあった時に動きやすい少数で向かうことは賛成だ。だが、一人では対処出来えないこともあるだろう」
「せやな。少数で動くにしろ、万が一に備えてある程度の人数は揃えておいた方がええと思う」
「俺も行かせてもらうわ」と牛島くんに続いた北くん。三人の会話に、「そんじゃ俺も!」と木兎くんまで手を挙げる。我先にと地下へ続く階段を駆け降りようとする彼に、「早まんなバカ!」と黒尾が白いジャージの襟首を掴み止める。ぐえ、と潰れたカエルみたいな声を上げた木兎くんに苦笑いを浮かべていると、しょうがないなあとばかりに溜息を零した及川くんがスペードの扉前に立つ澤村くんの元へと歩み寄った。
「六人くらいが丁度いいんじゃない?」
「だな」
口角を上げて笑う黒尾と及川くんの姿に、どこか嬉しそうに目尻を下げた澤村くん。「頼もしいよ」と笑った澤村くんがスペードの扉を開けると各校の主将達は迷いなく扉の中へ。
松明を手に戻って来た六人は、そのまま穴の前へ向かう。「俺も一緒に、」と同行を願い出ようとした菅原くんに、いや、と澤村くんが首を振ってみせる。
「スガは日向達と待っててくれ。こっちで何か起きないとも限らないだろ?」
「それに、これ以上人数増やすんは得策やないやろ。澤村くんの言う通り、いざと言う時動きにくくなる可能性がある」
「せやからお前らも留守番やで、侑、治」と言い聞かせるような北くんの声に、呼ばれた二人の肩がぎくりと跳ねる。付いて行くつもりだったのか、と呆れ眼を二人に向ければ、降参するように両手を上げた治くんが、「大人しく留守番してますわ」と肩を竦めた。
後輩からの“お返事”に満足気に頷いた北くん。「うし、行くか」と言う黒尾の呼び掛けに一歩足を踏み出した時、
「……いや、なに付いて来ようとしてんだバカ」
『?え??』
「え?じゃねえっつの」
呆れた顔で見下ろして来る黒尾に傾げた首。まさかとは思うけれど、付いてこないとでも思っていたのだろうか。
「“いざと言う時”を考えるなら、私も行った方がいいでしょ」と目を細めれば、一瞬言い淀みかけたものの直ぐさま「ダメだ」と首を振った黒尾に、むっ、と眉間に皺を寄せる。
「お前はもう少し休んでろ」
『大丈夫だよ。もう何ともないし、』
「なにが何ともねえだ」
「さっきまで生死の境さ迷ってたみてえなもんなんだから、大人しくしてろよ」
黒尾に続いて夜久まで。何ともないのは本当だけど、スペードの部屋でのことがあった手前無理矢理付いて行くとも言い切れない。
ムスッとした不満顔で黒尾たちを見つめる。「本当に平気?」と首を傾げて尋ねれば、「平気だっつーの」と眉を下げて笑ってみせた。
「お前に良いとこ取られてばっかじゃ癪だしな」
「確かにな」
「ちょっとは俺らにもカッコつけさせてよ、苗字さん」
黒尾、澤村くん、及川くんの声に、強ばっていた肩の力を抜けていく。「分かった、待ってるね」と眉尻を下げて微笑めば、大きな手で頭を撫でたのち、そのまま黒尾は地下への階段を下り始めた。
「あ!待てよ黒尾!!」「俺らも行こか」「ああ」「こっちのことは頼んだぞスガ」「俺がいなくてもしっかりね、岩ちゃん」
ばっちりウインクを決めた及川くんに、「さっさと行け!!!」と青筋を浮かべた岩泉くん。握られた拳から逃げるように消えた及川くんを最後に六人全員が暗闇の中へ姿を消して行く。あっという間に見えなくなった背中の代わりに、仄かに光る松明の明かりだけを見送っていると、いつの間に隣りに居たのだろうか。「んな顔しなさんな」と言う松川くんの声に暗闇を映していた瞳をそちらへと向ける。
「カッコつけしいの男共に花持たせるつもりで、苗字はドンと構えて待ってりゃいいんだって」
「俺ら今のとこ良いとこなしだからな」
からりと笑う松川くんと花巻くん。明るい声音は私を気遣ってのものだろう。「やっぱり扱い慣れてる」と二人に倣って明るい声を返せば、「んなことねえって」と松川くんは肩を竦めた。
『青城には、マネージャーさんとかいないの?』
「?いねえけど?」
『じゃあ、松川くんと花巻くんが女の子扱いが上手いのは、天性の素質か今まで経験によるものかあ』
「だから上手くねえって」
「フツーよ、フツー」
軽快なやり取りが何とも心地良い。朗らかな空気に表情を緩めていると、「何がフツーだって?」と話に加わって来た岩泉くん。「あれだよ、あれ」「及川の顔面偏差値」とテキトーに答えた松川くん達に、なんだそりゃとでも言いたげに岩泉くんは首を傾げた。
『え、及川くんの顔面偏差値は高めじゃない???』
「いいやフツーだね」
「アイツをイケメンとは絶対認めない」
「中身はクソ野郎だからな」
『及川くんて主将なんだよね????』
辛辣な三人に思わず零した疑問の声。「一応な」と応える岩泉くんはうんざりした顔で穴の方に目を向ける。
「つーかアイツの顔なんて見飽きてっから、イケメンかどうかなんて考えたことねえよ」
「岩泉は特にそうだよな」
『付き合い長いんだ?』
「所謂幼馴染ってやつだよな?」
「ただの腐れ縁だよ」
溜息混じりの答えに、なるほどと内心で落とした頷き。確か黒尾と孤爪くんも幼馴染だったよな、と灰羽くんと日向くんに挟まれて壁際に座る孤爪くんを盗み見ると、視線に気づいた灰羽くんがブンブン手を振って来たので、小さな手振りで応えてみせる。
『じゃあ、二人ともずっと一緒にバレーしてるの?』
「まあな」
「“阿吽の呼吸”ってヤツだよな」
「考えてることが手に取るように分かってる、みたいな」
「マジでやめろ」
これでもかと言うほど顔を顰める岩泉くんに対し、けらけらと楽しそうに笑う松川くんと花巻くんの二人。正直な話、私はバレーに詳しくない。知識と言えば体育の授業で習った程度のもので、ルールはもちろんポジションの名前さえも知らない。
でも、そんなバレーのバの字も知らないような私でも、生で見る試合には感動した。
春高と言う全国大会に出場した音駒高校男子バレー部。その応援に参加した時は、コート上で繰り広げられる攻防につい目を奪われた。黒尾達の引退試合は見逃してしまったけれど、全国の舞台で輝く黒尾達の姿は今も脳裏に焼き付いている。
「見てみたかったな、」と独り言みたいに零した呟きに、ぱちりと目を瞬かせた青城の三人。すると、どこか寂しそうに目を伏せた花巻くんが、「大したもんは見せらんねえよ」と自嘲気味に笑い始めた。
「どういう基準で此処に居んのかは知らねえけど、この場で唯一、俺らは全国行ったことがねえしな。苗字が楽しむような試合は見せられなかったかもしれない」
浮かべられている笑顔とは対象的に吐き捨てるような物言いをする花巻くん。花巻、と咎めるような岩泉くんの声に、床を見つめる瞳が僅かに横へ逸れる。
そういえば、自己紹介の時に聞いた気がする。この場で唯一全国出場経験がないのは青城の皆だけだと。
落とした視線を上げようとしない花巻くんを隣に、「悪いな苗字」と謝罪を口にした松川くん。戸惑いをそのまま松川くんに目を向けると、困ったように微笑んだ松川くんは、部屋に残る他のメンバーを何処か少し羨ましそうに見渡した。
「青城でバレーに費やした時間に悔いはねえよ?けど、“全国行きたかった”って気持ちがなくなるわけじゃない。……だからかな。どっかまだ消化不良っつーか、釈然としないっつーか、」
室内を見渡していた瞳が、今度は天井に向けられる。高い天井を仰ぐ松川くんの姿に、岩泉くんまでもが目を逸らしてしまう。
バレーのことは何も知らない。けれど、全国の舞台に立つということが、生半可な努力で叶うものじゃないことはなんとなく分かる。努力して努力して、それでも手に入らなかった全国大会への出場切符。花巻くん達の悔しさは、私なんかが測れるものじゃない。
だから、言えることは一つだけ。
『いいじゃん、消化不良で』
「っ、」
「は………?」
『だってそれって、消化出来ないくらい、青城でのバレーが好きだったってことでしょ?』
穏やかな声で紡いだ言葉に三人の瞳が小さく見開く。
バレーのことは何も知らないし、花巻くん達の悔しさだって私には測り知れない。でも、今目の前にいる彼らの悔しさにウソがないことは私にも分かる。出会ったばかりの私にも分かるくらい、悔しいと、歯がゆいと、そう伝わって来る
それの、一体何が悪いと言うのだろう。悔しくていいじゃないか。歯がゆくていいじゃないか。簡単に割り切れないのは、それだけ彼らが、バレーに打ち込んでいた証拠だ。
『簡単には消化出来ないくらい、お腹いっぱいバレーをして来た。なら、それはそれで別にいいと思うよ。むしろ、消化不良上等。今は胃もたれして、気分が晴れないこともあるだろうけど……でも、少しずつ少しずつ消化して行って、そしたらきっと、またお腹いっぱいバレーしたくなる日が来るんじゃないかな』
「………苗字、」
『だから、その時が来たら教えてね。花巻くん達がどんなバレーをするのか見たこともないのに、“楽しめないかも”なんて決め付けられるのは、私も釈然としないから』
ね、と歯を見せて笑った私に、ぱちりと瞬いた三人の目。けれど直ぐ、ぷっと吹き出して笑い始めた三人に、何事かと室内に残るみんなから視線が集まって来る。「確かにそうだな」と破顔する花巻くんに目尻を下げていると、一頻り笑い終えた松川くんが、あのさ、と少し改まった口調で声を掛けて来た。
「一個、確認したいことがあんだけど、」
『?なに??』
「苗字って、ほんとに黒尾や夜久の彼女じゃねえんだよな?」
『はい???……違いますけど……?』
「じゃあ、俺らと同じで非リア充?」
『そうだけど……なに、この流れで私、ケンカ売られてる???』
「違う違う。デートに誘うなら、前もって確認しといた方がいいかなって、」
『ああ、そういう、』
うん?????いま、なんて?????
中途半端な笑顔を浮かべてフリーズする私に、ふっと口元緩めた松川くん。覗き込むみたいに首を傾けて来た彼は、柔らかい弧を描く唇をゆっくりと動かした。
「ここから出たら、俺とデートしようよ、苗字」
慣れた口調の口説き文句に、やっぱり慣れてるじゃん、なんて今度は返す余裕さえ持てなかったのは、どうか許して欲しい。