10話
穴があったら入りたいって、多分、こういう時に使う言葉だと思う。
黄金に溢れたダイヤの部屋。その部屋から出てきたのがつい先程のこと。全員怪我という怪我はなく、ほぼ無傷で出てこれたのは大変喜ばしい。けれど、砂金の中に埋もれていた皆は身体中砂だらけになってしまったため、現在夜久達はダイヤの部屋で砂を落としている最中である。
そんななか私はと言うと、ソファの上に体育座りで丸くなっている。抱えた膝に額を付けて顔を伏せているのは、赤くなった目を隠すためだ。
“夜久がっ……っ……皆が生きてて、本当に良かったっ……!”
あの言葉に嘘はない。砂金の中から夜久達が現れた時は、すごくすごく嬉しかったし、何より安心した。よかった、私は間違えていなかったのだと。だから、みんなの前で泣いてしまったのは不可抗力だ。それも子供のようにわんわん声を上げて泣くなんて一体何年振りだろう。ほんと、穴があったら入りたい。今すぐ入らせて欲しい。
深く長いため息を吐きだすと、「苗字さん、」と及川くんの声が。どうやら砂を落とし終えて戻って来たらしい。呼ばれているのを無視する訳にも行かず、まだ赤いであろう目を気にしながらゆっくりと顔を上げると、ソファの前には及川くんと岩泉のくんの姿が。
「ありがとね、苗字さん」
『え??』
「だってほら。苗字さんが“正解”を選んだから、こうして俺たちここに居られるわけでしょ?」
「危ねえから付いてくるななんてかっこつけたクセに、結局お前に助けられちまったな」
「ありがとな、苗字」と今度は岩泉くんから告げられたお礼の言葉に慌てて首を振る。「違うの、」と答えた私に「謙遜すんなよ」と岩泉くんが苦く笑う。そんな彼に「謙遜じゃなくて、」と伝えると、二人は不思議そうに顔を見合せた。
『……あの時私、いっぱいいっぱいで……。誰かを選ばなきゃ。誰か一人でも助けなくちゃってそれしか考えられなかった。……でも、その時、北くんの言葉を思い出したの』
「北くんの?」
『そう。カードを探していた時、北くんが言ってたの。“お金じゃ手に入らないものがある。それを知らない人が“愚か者”なんじゃないか”って』
視線が動く。動いた視線の先にいるのはダイヤの扉の前に立つ北くんの姿だ。
『あの骸骨は私に、“どの命を買うのか選べ”と言ってきた。でもみんなは、みんなの命は、お金に代えられるようなものじゃない。という事は、あの場で買える命が他にあるとすれば、』
「……あの骸骨の命だったっつーことか」
「なるほどね。扉にあった“金に溺れた愚か者”って言うのは、骸骨のことだったんだね」
『多分ね。だから、みんなを助けられたのは私の力じゃない。北くんのおかげで“正しい答え”を出すことが出来た。……私こそ北くんにお礼を言わないとだね』
「ありがとう、北くん」と北くんに向かって笑いかけると、きょとりと目を瞬かせた北くんがゆっくりと視線を下へ降ろす。反応のない彼に、あれ?と首を傾げた時、「……そうやな」と納得したように頷いた北くんの顔が持ち上がり、真っ直ぐな瞳が此方に向けられた。
「確かに苗字の言う通り、俺の言葉がなかったら苗字は別の選択をしとったかもしれん」
『……うん。もしかすると、最後まで何も選べずに、皆を見殺しにしていたかもしれない』
「けど、結局“正解”を選んだんは苗字や」
え、と小さく目を見開く。優しく目尻を下げる北くんの姿に、「北さんが笑っとる…」と何故か宮くんが驚いている。
「一人の命を選ぶか。誰の命も選ばんか。それとも骸骨の命を選ぶのか。俺の言葉があろうとなかろうと、最後に答えを出したんは苗字や。苗字が選んだ“答え”のおかげで、俺らは今こうして生きとる。俺の言葉は、一つの選択を増やしただけに過ぎん。……せやから、“ありがとう”は苗字やのうて、俺の台詞やな」
「ありがとう、苗字」と優しく微笑む北くんに、鼻の奥がツンとする。おかしいな。さっき止まった筈なのに、なんだかまた泣きたくなってしまう。視界を揺らす涙を乱暴に拭い、ぶんぶん大袈裟に首を振ると、ふっと笑みを零した北くんがゆっくりとソファに歩み寄って来る。「あんまり強く擦るんは良くないで」と仕方なさそうに眉を下げた北くんにポンポンッと頭を撫でられていると、視界の端で宮くん兄弟が呆けた顔で固まっていた。
「……あれ?そう言えば苗字さん、あの貨幣は?」
『っ、あ、うん。ここに、』
思い出したように零された及川くんの台詞に、慌ててポケットに手を入れる。中からダイヤのマークが描かれた金貨を取り出すと、ソファから立ち上がって台座の前へ。
置くね、と一言告げた後、ダイヤの台座に金貨を置く。すると、ガチャン!と聞き覚えのある音がして、ダイヤの扉の隣には、ハートのマークが彫られた扉が現れていた。
やはり月島くんの言っていた“象徴する物”が次の扉を見つける手掛かりになっているらしい。扉の前に立って、彫られたハートのマークを撫でる。「入るのか?」と心配そうに尋ねてきた夜久に答えようと口を開くと、「ちょい待ち」といつの間にか背後に立っていた黒尾に口を塞がれてしまう。
『んぐっ……!!』
「行動力があんのはいいけど、その前に聞いて欲しい事があんのよ」
「聞いてほしいこと?」
「そ」
不思議そうに首を傾げた日向くんに、緩やかな笑みで応えた黒尾。話があるなら別に聞くのだけれど、この状態のまま聞くのは少しばかりに苦しい。離せ!と抗議するように口を抑える手を叩くと、「あ、わり」と漸く口が解放された。
「それで?話とはなんの事だ?」
「これだよ、これ」
「これって………」
「本?……ですよね?」
牛島くん、天童くん、菅原くん、金田一くんのやり取りにら天童くんが持つ本に視線が集まる。日焼けした分厚いカバーに、金色の文字で書かれたローマ字。最初にこの部屋を調べた時、本は一冊も出てこなかったはず。と言うことは、この本は多分クラブの部屋で見つけたものだ。
「この本がどうかしたんですか?」と首を傾げた五色くんに、「見てみりゃ分かる」と天童くんの手から本を奪った白布くんが五色くんに向かって本を投げ渡す。うお!?と驚きながらも本を受け取った五色くんは、訝しそうに眉根を寄せながら、ぱらぱらと本を捲り始めた。
「これって…………」
「全部英語だ………」
本を覗き込んでいた日向くんの目が回る。並ぶ小さなローマ字に首を捻っていると、「……何の本なんだ?」と岩泉くんが答えを求めるように松川くんを見た。
「トランプの本らしいぜ」
「トランプの?」
「正確には“プレイング・カード”の本です。トランプという呼び方は日本だけのものなので」
「お、おお……そうなんか…」
白布くんの答えに歯切れ悪く頷く岩泉くんに小さく笑ってしまう。「……なんだよ?」と恨めしそうに見てくる彼に「ごめんごめん」と謝って返すと、「で?結局その本が何なんだよ?」と痺れを切らした夜久が声を上げた。
「お前らが“あの”部屋に入ってる間、ただ待ってるのも時間の無駄だと思ってな。都合よく知識が得られる部屋があるっつーことで、クラブの部屋を調べてみることにしたんだよ」
「そこで見つけたのがあの本ってことか」
「そういうこと」
「……えっと……でもこれ、英語で書いてありますけど…?」
「一言一句正確に訳すのは無理でも、単語単語の意味を考えれば簡単な訳くらいは出来るでしょ」
「「「………」」」
月島くんの答えに日向くん、影山くん、木兎くんが無言を貫く。どうやらこの三人、とりわけお勉強が苦手らしい。
そんな三人を他所に、五色くんは無言で本を読み続けている。滑らかな手つきで捲られていく本。瞳が動いている事を見るに、きちんと文字を追って読んでいるらしい。日向くん達とは打って変わって五色くんは英語が得意なようだ。羨ましい。
「……確かにトランプについて書かれてますね」
「月島が言ってたマークが持つ意味についても書いてあったみたいだぞ」
『それって、マークが表すもののこと?クラブが“棍棒”、ダイヤが“貨幣”とかってやつ?』
「ほかの意味についても書いてありましたよ」
ほかの意味?
キョトンとした顔で白布くんを見ると、五色くんの持つ本を見つめたまま、白布くんの唇がゆっくりと動き出した。
「トランプのマーク……スートは四つ。クラブ、ダイヤ、ハート、スペード。それぞれのスートには意味がある。クラブは“棍棒”、ダイヤは“貨幣”、ハートは“聖杯”、スペードは“剣”を表す。これは、月島が話していた通りです。しかし、スートが表すものは他にもありました」
『確か……人物、だっけ?』
「……“我らは商人”……ダイヤは商人を表すんか?」
「ええ、みたいです。ダイヤは“商人”、クラブは“農民”、ハートは“僧侶”、スペードは“騎士”を表すそうです」
「扉に書かれた文字通りだな」
「これだけじゃありません。スートには他にも意味があるようです」
『他にも?』
白布くんの視線が並んだ三つの扉に移る。すっ、と瞳を細めた彼に、「白布、」と先を促すように牛島くんが白布くんの名前を呼んだ。
「……もう一つの意味。それは、クラブが“知恵”、ダイヤが“お金”、ハートが“愛”、そして、スペードが“死”を表すというものです」
知恵。お金。愛。死。
並べられた四つの単語に感じた小さな違和感。いや、既視感と言うべきだろうか。あれ、と小さく首を傾げた私に、「気づいた?」と松川くんの声が掛かる。
知恵を表すクラブのマーク。その絵柄が描かれた扉の先に待っていたのは、沢山の本に溢れた書庫だった。そしてダイヤの扉。この扉の先に広がっていたのは、溢れんばかりの黄金の数々。「なに?なんか意味があんの??」と至極不思議そうに木兎くんが首を傾げると、何かを察したらしい及川くんが形の良い唇をゆっくりと動かした。
「……もしかして……場所?」
『………扉が繋がってる先ってことだよね?』
「そう。最初に入ったクラブの部屋は、数え切れない程の本がある書庫だったよね?本っていうのは、色んな情報が集まった知識や知恵で出来たものとも言える。クラブが知恵を表すマークで、そのマークが描かれた扉の先に待っていたのが、知恵や知識の詰まった書庫だった。……無関係とは思いにくいね」
『確かに……さっきのダイヤの部屋も黄金で溢れてた。金塊や黄金の像も“お金”としての価値があるものって考えると、あの部屋には“お金”が溢れていたとも言える……』
「つまり、その四つの意味から連想出来るような場所が、扉の先にあるってこと?」
「……あくまで仮説ですが……」
『じゃあ、次の扉はハートのマークが彫られてるってことは………“愛”に関係ある場所が待ってるってこと?』
愛。と言う単語を発した瞬間、その場にいた全員が何とも言い難い顔をする。「そもそも愛ってなんだよ」と顔を顰めた夜久に、「さあな」と黒尾は肩を竦めた。
「愛で連想する場所……大地、どこだと思う?」
「………どこって……そういうスガはどこだと思うんだ?」
「そりゃー…………………」
「「「「「「「「………………」」」」」」」」
なぜか黙ってしまった皆。男子高校生からすると、“愛”とか“恋”とかそういう物は、むず痒いものに思えてくるのかもしれない。苦く笑いつつハートの扉に目を向ける。
あい。アイ。愛。
愛と言っても形は様々。家族愛、友愛、親愛、自愛。どれも同じ愛情である筈なのに、向ける相手や想い方の違いで愛情の形が変わってくる。けれど、一般的に“愛”と言って思い浮かべるのは、やはり、
『……結婚式場、とかじゃない?』
「式場?」
『だってほら。愛を誓う場所でしょ?』
扉のハートを指してそう言った私に「……まあ、確かに…」と黒尾が頷いてくれる。
沢山ある“愛”の中でも、一番連想しやすいのは、やはり男女間の愛情なのではないだろうか。「女の子らしい発想だよねえ」と零した天童くんに、そうだろうか?と小首を傾げる。
「まあ、意味が分かったところでここから出れる訳でもないですけど………カードについて知るのは何かしらヒントに繋がるかもしれませんよ」
「……そうだな」
白布くんの声に牛島くんが応えたところで、改めて全員の視線がハートの扉へと向かう。
「黒尾、」
「おん?」
「苗字のこと、頼んだぞ」
「……分かってるっつーの」
夜久の声にひらとと片手を挙げて黒尾が応えたところで、「行くか、」と木葉くんが扉に手を伸ばす。ガチャリと捻られたドアノブの向こう。その先に見えたのは。
「大当たりだね、苗字ちゃん」
揶揄うような天童くんの言葉に頬を引き攣らせる。
開け放たされた扉の向こうに待っていたのは、ステンドグラスから注ぐ淡い光に包まれた美しい教会だった。