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三年生冬(3)

激闘が繰り広げられる東京体育館。館内に響く歓声は、日を追う事に増している。

春高三日目。

いつになく好調な木兎のおかげもあってか、二日目も危なげなく勝ち進んだ梟谷のみんな。平日である大会三日目の今日は、全校応援ということで生徒の多くが会場へ足を運んでいる。前二日と比べた観客の数に慄きつつも、コート上で梟谷の三回戦が予定されているコートを覗き込む。現在二セット目の序盤。競り合ってるところを見るに、梟谷の試合まではもう少し時間がありそうだ。
正面コートに向けていた視線を横へとずらす。隣のコートでは、赤と黒のユニフォームを纏った選手たちが激闘を繰り広げており、白熱した試合に視線が釘付けとなる。


『(音駒と烏野……第一セットは音駒が先取してる……)』


コートに注いでいた視線を一瞬スコアボードへ向ける。第一セットの得点は、27対25。スコアを見ただけで、両チームの奮闘ぶりが伺えてしまう。
ホイッスル音が響く。湧き上がった歓声の先には、ハイタッチをする黒尾くんの姿がある。


“好きだよ、名前ちゃん”


クリスマスの日。黒尾くんから受けた想いのこもった告白。春高が終わったら、黒尾くんに伝えなくちゃいけない。私の答えを、伝えなければいけない。
コートの中で笑う黒尾くんはとても輝いている。出会ってから今日まで色んな姿を見せてくれた黒尾くん。好意も、優しさも、黒尾くんがくれる想いは何もかも真っ直ぐだった。けれどどうして。どうして私は、



同じ“好き”を、黒尾くんに返せないのだろう。



「苗字?」

『っ!』


掛けられた声に思わず翻した身体。振り向いた先には、分厚いベンチコートを着た木葉の姿が。


『え、こ、木葉?なんでここにいるの??』

「木兎と赤葦探してたんだよ。そろそろアップの時間だっつーのに、二人して戻って来ねえから」

『あ、それで……。えっと、それなら二人とも下にいるよ。烏野と音駒の試合観てるみたい』

「下?」


あそこ、と熱戦が繰り広げられるコート脇を指し示すと、指先を目線で辿った木葉が目当ての二人を視界に映す。「下かよ、」と面倒そうに眉根を寄せた木葉に苦笑いを浮かべた時、再び上がった大きな歓声。フロアいっぱいに響くその声に木葉と二人で視線をコートへ。


「……盛り上がってんな、音駒も烏野も」

『みたいだね』

「勝てばベスト8進出。負けたら……三年は引退だもんな」


ポツリと呟くように零された言葉。紡ぐ声に感じた微かな強張りはきっと気のせいじゃない。
この会場にいる全ての選手が努力を重ねて来た。試合に勝つために。全国優勝という栄光を手に入れるために。毎日毎日、コートの中で努力を積み重ねて来た。でも、重ねた努力の全部が報われる訳じゃない。優勝できるのはたった一校だけなのだから。


『……どっちが、勝つかな、』

「……さあな。試合の勝敗なんて、選手も、観客も、審判だって知りやしねえよ」

『……だよね、「けど、」っ、』


「……けど、自分がコートに立つ時だけは、勝つことしか考えてねえよ」


静かで、でも、とても強い意志のこもった声に鼓膜が揺らされた。


「音駒だろうと烏野だろうと、どっちが勝ち上がったとしても優勝するのは俺たちだ。……ま、そう思ってんのは、ここに居る奴ら全員だろうけど」


「アイツら捕まえて来るわ」と肩を竦めて踵を返した木葉。立ち去ろうとする背中に思わず手を伸ばす。半ば反射的に白い後ろ袖を掴むと、見慣れたシューズで踏み出そうとした足の動きが止まった。


「?苗字??」

『っ、あ、ご、ごめんっ。つい、その、』


掴んだベンチコートの袖口を慌てて手放す。
気づいたら手が伸びていた。手が伸びて、木葉のことを引き止めていた。特別大事な話があるわけじゃない。ただ、このまま見送るのは名残惜しいと思っただけ。頼もしくて、心強い木葉の背中を、“ただ”見送るのが嫌だっただけ。
試合前の大事な時間に何をやっているのだろう。気まずさから組んだ手持ち無沙汰な両手。ごめんね、なんでもないよ、と木葉に謝ろうとした時、


「つい、なに?」

『っ、え?』

「“つい”引き止めた理由があんじゃねえの?」


言いながら、覗き込むみたいに首を捻った木葉。じっ、と注がれる視線がなんだか凄く気恥ずかしい。一瞬床へ落とした目線を直ぐさま持ち上げる。木葉と視線をかち合わせると、噤んでいた唇を動かし始めた。


『……と、特別大事な話がある訳じゃないんだけど、』

「うん、」

『ただ見送るだけなのが、なんというか、その……嫌で、』


重ねた視線が下に落ちる。
何かができるわけじゃない。特別気の利いた台詞だって言えない。それでも引き止めてしまった。強く真っ直ぐな木葉の声に引き寄せられみたいに、気づいた時には、木葉に手を伸ばしていた。


『私には、応援するしか出来ないけど………それしか出来ないからこそ、何度でも言わせて欲しい』


瞬きと同時に目の前を映した瞳。微かに目を剥く木葉ともう一度と目を合わせると、仄かな熱を帯びた唇でゆっくりと音を紡いだ。


『頑張れ、木葉』


伝えたエールにどこか嬉しそうに和らいだ木葉の瞳。おう、と頼もしく笑った木葉は、試合の準備をすべく今度こそその場を後にした。






            * * *






二つのホイッスル音が重なる。一つは、梟谷の得点を知らせる音。そして、もう一つは。


「「「「「「「ありがとうございました!!」」」」」」」


音駒と烏野の試合終了を告げる音だ。
目の前のコートに向けていた視線が横へ動く。スコアボードに映し出されているのは、21と25という二つの数字。セットカウント2−1。因縁の対決の勝者は、烏野だった。
試合を終えた両チームに向かって注がる溢れんばかりの拍手。
健闘を称えて小さな拍手を送る私に、周りで観戦している生徒から視線が集まる。隣に座るトモちゃんも不思議そうに首を傾げており、目線で隣のコートを示せば、気づいた彼女も同じように拍手を送ってみせた。

音駒のみんなの、春が終わった。

悔しい気持ちはもちろんあるのだろう。けれど、音駒のみんなはとても、とても清々しい顔をしている。残念ながら、梟谷の試合が始まってからはあまり目を向けることが出来なかったけれど、試合を終えた皆の表情を見れば、素晴らしい試合だったのは一目瞭然だ。


「黒尾くんのチーム、負けちゃったんだね」

『うん、』

「どうする?声掛けに行く??」

『ううん。今は……いいかな』

「そっか」


眉を下げたトモちゃんと一緒に視線を目の前のコートへ戻す。
お疲れ様と声を掛けたい気持ちがないわけじゃない。でも、どんなに最高の試合だったとしても、負けたことに変わりはない。私が声を掛けるのは、滲む悔しさが落ち着いてからにするべきだ。
気を取り直すように目の前の試合に意識を向ける。梟谷の三回戦の相手は、岡山代表の松山西商業。一セット目は梟谷が先取し、今は二セット目終盤。一回戦から続く木兎の好調により、危なげのない試合展開が続いている。
笛の音と共に動いたスコアボードの数字。梟谷の得点は24点。あと一点でベスト8進出が決まる。木葉の手で放たれたサーブを相手チームがレシーブする。セッターがトスを上げ、エーススパイカーがスパイクを打つも、こちらのブロックにいなされチャンスボールに。勢いの弱まったボールをレシーブで上げた小見くん。ふんわり柔らかに繋げられたボールを赤葦くんがトスに変えると、待ってました!とばかりにステップを踏んでいた木兎の右手が力強いスパイクを相手コートに撃ち落とした。


「梟谷学園、ベスト8進出!!」


解説者の声と同時に、わっ!と湧き上がった観客席。「やったね名前!」「うん!」とトモちゃんと二人で喜びのハイタッチを交わす。挨拶を終え、コートから捌ける皆を拍手で見送る。すると、コートの脇に集う見慣れた顔ぶれに気づいた木兎。真っ直ぐそちらへ向かった木兎を出迎えたのは、晴れやかな表情の黒尾くんだった。
互いの健闘を讃えるように背中を叩きあった二人。続いて、海くん、夜久くんとも労い合う姿に目尻を下げる。白、赤、黒の三色のユニフォームが入り交じるを様子を微笑ましい気持ちで眺めていると、「なんかいいね、ああいうの」というトモちゃんの声に、うん、と小さく頷き返した。

それから直ぐ移動を開始した梟谷の応援団。見知らぬ制服の生徒たちと入れ替わるように席を後にし、休憩を取るべく一旦外へ。
「今日はもうひと試合あるんだよね?」「うん。“魔の三日目”っていうらしいよ」「木兎が好きそうな響きだね」「確かに」
トモちゃんと他愛のない話をしながら食べ終えた昼食。次は準々決勝。遅れる訳には行かないので早めに戻ろう、と二人で体育館に向かっていると、入場直前で鳴ったトモちゃんのスマホ。どうやら吉田くんからの着信らしく、慌てて電話に出ようとするトモちゃん。先に行ってて!という彼女の声に従って一先ず一人で館内へ戻ると、二階席に上がったところで真っ赤なジャージが目に映る。


「(黒尾くん。それに、夜久くんと海くんも、)」


トーナメント表の手前で見つけた音駒の三年生たち。どこか見覚えのある男の子と話しているようだけれどお友達だろうか。足の動きを止めてその場に立ち止まる。声を掛けるものか思案していると、四人の元へ歩み寄る女の子の姿が。
女の子に話しかけられたことで慌てて彼女に向き合った男の子。歩いて行く二人の背中を黒尾くん達は面白そうに見つめている。三人とも元気そうで良かった、と小さな安堵の息を零した瞬間、「Cコートの三回戦もう終わりそうだよ」と背後から聞こえた聞き覚えのある声に黒尾くん達の視線がこちらへ。


「あれ、名前ちゃん??」

『あ………こ、こんにちは、』


振り返ったことで私に気づいた音駒の三人。驚く彼らに小さな会釈と共に挨拶をしたところで、後ろにいた孤爪くん、山本くん、福永くんの三人が黒尾くん達と合流する。
「Cコートが終わるってことは、木兎達の試合が先に始まるな」とコートの方を見やった黒尾くん。笠木の上からフロアを見つめる彼の横顔を見つめていると、こちらに向き直った黒尾くんとぱちりと目が合ってしまう。


『……あ……あの、黒尾くん、』

「ん?」


『………試合、お疲れさま』


小さな笑みを浮かべた唇で紡いだ労いの台詞。もっと気の利いたことが言えたらいいのだけれど、私にはこれが精一杯だ。一瞬目を丸くした黒尾くんだったけれど、直ぐさま嬉しそうに和らげられた瞳。「ありがとう、名前ちゃん」と微笑む彼に胸を撫で下ろしつつ、今度は夜久達と向き合う。
「夜久くん達もお疲れさま」「ありがとう、苗字さん」「さんきゅ」「あ、あざっ、っ、あざますっ!!!」
笑顔で応えてくれる音駒のみんなに目尻を下げていると、名前ちゃん、と柔らかな声に呼ばれて再び視線を黒尾くんへ。


「愚問だけど、狢坂との試合もちろん観てくよね?」

『うん。今回は全部応援するって約束してるから、』

「そっか」

「苗字さんみたいな子に応援して貰えるなんて、梟谷の連中が羨ましいぜ」

「同感っす」


冗談交じりに笑う夜久くんと真面目な顔で頷いた山本くん。私の応援なんて微力も微力なんだけど。照れ臭さを隠すように浮かべた苦笑い。思っていたよりずっと黒尾くん達はいつも通りだ。
赤いジャージの集団に混じって談笑していると、ピピーッ!と響いたホイッスル音。どうやら、何処かのコートの試合が決着したらしい。チラリと見やったフロアでは、緑のユニフォームを着た選手達が歓喜の声を上げており、どこかで見たようなユニフォームだなあ、と内心で呟き零したのと同時に、あ、と小さな声を上げる。


「?どうかした?」

『あ………えっと、さっき黒尾くん達と話してたのって、予選の時の、』

「ああ、うん。戸美の主将だよ」

「俺らの負けっ面でも拝みに来たんだろ」

「それも彼女連れでな」


海くん、黒尾くん、夜久くんの声に、やっぱりと得心する。「仲良いの?」と尋ねた私に、まさか!とばかりに首を振った黒尾くんと夜久くん。顰めっ面で否定する二人にぱちぱちと目を瞬かせていると、ふと何かを思い出したように海くんがフロアに目を向けた。


「………100パーセント純粋に勝利を信じられる奴なんてなかなか居ない、か」

『っ、え??』

「戸美の主将に言われたんだ。ここにいるチームのうち、1チーム以外は全員漏れなく負ける。そんななか、本気で優勝出来るなんて思ってないだろって」

『………それは………』


なんというか、あまりに明け透けな言い方だ。確かに、戸美の主将さんが言っていることは事実だ。全国制覇を成し遂げられるのは、数あるチームのうちたった一つ。それはつまり、それ以外のチームは敗北を経験せざるを得ないということ。
そんなことない、という否定の言葉を喉の奥で噛み殺す。好ましい言い方ではないけれど、ただのいち観客に否定する権利はない。押し黙った状態で目線を下へ落とそうとした時、でも、と続けられた海くんの声に再び視線が彼へと移る。


「……“信じる”とは違うかもだけど、勝ちに夢中になれる奴ってのは居るよなあ」


言いながら瞳をフロアに向けた海くん。穏やかな目線の先には、会場脇で飛び跳ねる木兎の姿があって、「そうだね」と笑って頷いた私に、海くんも嬉しそうに微笑み返してくれる。
そこへ、名前!と階段下から聞こえてきたトモちゃんの声。振り向くと、階段を登ってくるトモちゃんとその後ろに続く吉田くんの姿が。音駒のみんなに気づいて小さな会釈を見せたトモちゃん。知り合い?という吉田くんの声に、うん、とトモちゃんは頷いてみせる。トモちゃんと合流出来たことだし、そろそろ席に向かわなくては。「そろそろ行くね」とトモちゃんの元へ歩み寄ろうとすれば、「名前ちゃん、」と呼び止めるように掛けられた声。振り向くと穏やかに微笑む黒尾くんと目が合って、そうっ、と目尻を下げた黒尾くんは形のいい唇をゆっくりと動かし始めた。


「………全部終わったら、待ってるね」


何を、とは聞かなかった。聞くまでもなく分かってしまったから。
うん、と頷いてみせたのち、再開させた足の動き。微かに感じた緊張を振り払うように目線を動かすと、準々決勝に挑む皆を応援するべく観客席へ向かったのだった。
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