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三年生秋(10)

午前の授業の終わりを告げるチャイムが響き、生徒達が一斉に動き出す。食堂や購買に向かう生徒が慌ただしく教室を出ていく中、机の脇に掛けていた保冷バッグを机の上へ。前の席に座っていたかおりが椅子ごとくるりと振り返ると、保冷バッグからお弁当箱を取り出して、二人して机にお弁当を広げ始めた。

二泊三日の合宿が明け、迎えた火曜日。

お手伝いとして参加させて貰った合宿は、三日目の夕方に無事終了した。一足先に帰った烏野の皆を除き、残った四校の生徒達も十七時前には解散していた。生川を見送り、森然を見送り、最後に音駒の皆を見送ろうとした時、「名前ちゃん、」と歩み寄ってきた黒尾くん。どうしたのだろう、と正面に立った彼を見上げると、何かを確認するように黒尾くんは海くんと話す木葉を盗み見た。


『?黒尾くん?どうしたの??』

「……後で連絡しようかなとも思ったけど……こう言うのは、直接言うべきだと思ってさ」

『え??』


きょとりと目を瞬かせた私に、緩やかに微笑んだ黒尾くん。柔らかい視線に目を丸くしていると、綻んだ顔をそのままに黒尾くんは唇を動かした。


「デートしようよ、名前ちゃん」

『へ…………で、デートって、あの、えっと、それって、どういう……?』

「どうもこうも、デートはデートっしょ?名前ちゃんに俺の事もっと知って欲しいし。……それに、何事も先手必勝かなって」

『先手必勝……?』


それは、何に対しての先手なのだろうか。尋ねる前に踵を返してしまった黒尾くんは、「デートの返事、待ってるね」と猿杙と話す夜久くんの元へ。あまりに急なお誘いにぽかんとした顔で固まっていると、「名前?」「どうしたの?」とかおりと雪絵に声を掛けられて、「な、なんでもない、」と慌てて首を振って見せた。
あれからほぼ一日。黒尾くんへの返事はまだ出来ていない。お茶しようとか、少し出掛けようとか、そういう誘われ方だったら、返事も気軽に出来たかもしれない。けれど、“デート”と言うやけにハードルが高く聞こえる単語のせいで、何と答えるべきか考えあぐねてしまう。
お箸で卵焼きを挟んだまま固まる私に、名前?とかおりが不思議そうに顔を覗き込んでくる。はっ、として目線をかおりへ移すと、何かを怪しむように目を細めたかおりはジーッと視線を注いできた。


「………名前、何か隠してない?」

『え、な、何が???』

「昨日もそうだけど……花火した後も心ここにあらずって感じだった」


ぎくっ、と大きく揺れた肩。分かりやすい反応に、ほら、と言いたげにかおりは更に目を細める。
かおりの言う、“隠している何か”と言うのは、昨日黒尾くんにデートに誘われたことと、もう一つは多分、木葉のことだ。合宿二日目の夜。成り行きから二人で花火をすることとなった私と木葉。二人並んで花火を楽しんでいた時、ふと目に映った清水さんの姿に、木葉が清水さんを好きだと勘違いしていた私は、つい木葉に彼女の話を振ってしまった。
最初は目から鱗とばかりに驚いていた木葉だったけれど、直ぐに私の勘違いに気づき、違えから!とやけに焦った様子で否定してきた。あまりの否定ぶりに少し驚きもしたけど、木葉の弁明で漸く自分の誤解に気づいた私。そんな私に、“相手の事をよく知りもしないのに、簡単に応援するとか言うな”とちょっと拗ねた声で言った木葉に、その時思っていたことを素直に伝えてしまった。
バレーが大好きで、優しくて面倒見も良くて、友達想いな木葉。そんな木葉が好きになった人なら、応援するべきだと思った。応援しなくちゃならないと思った、と。それを聞いた木葉は、一瞬、本当に本当に一瞬、泣きそうな顔をしているように見えた。直ぐに俯いてしまったため、見間違いだったかもしれない。でも、あの時は本当にそんな風に見えた。何かを堪えているような、そんな顔に見えた。
黙った私に、「やっぱりなんかあったんでしょ?」と箸先を向けて来るかおり。注がれる視線から逃げるように食べた卵焼きは、なんだかいつもより塩辛く感じた。


「黒尾くんに何か言われた?それとも………………木葉と何かあった??」

『な、何もないってば。……ただちょっと、』

「ちょっと?」

『………………びっくりした、だけ、』


歯切れ悪く紡いだ答えに、なぜか顔が俯いた。
びっくりした。そう、びっくりしたのだ。黒尾くんにデートに誘われたことはもちろんだけど、でも、それ以上に、いつもと違う木葉に戸惑わずにいられなかった。
バレーが大好きで、優しくて面倒見も良くて、友達想いな人。それが私の知ってる木葉だった。だから、思ったことを素直に口にしただけなのに、そんな私に、木葉は否定の言葉を返した。


“友達想いなんかじゃねえよ”
“俺は、お前が思ってるような、友達想いな奴なんかじゃない”


謙遜してるとか、そういう感じじゃなかった。そういう感じゃなくて、もっと別の、


“相手が、お前だからだよ”


特別な理由が、あるみたいな。握られた手の熱さを思い出して、頬に集まった仄かな熱。どうしてか顔を上げるのが気恥ずかしくて、俯いたまま意味もなく食べ掛けのお弁当を見つめ続けた。


「……つまり、木葉と黒尾くんに何か言われたかされたかして、“ちょっと”びっくりしたと?」

『………そ、そんな感じ、』

「ふーーーん。へえーーー。そーーー」


態とらしい相槌から、納得してません感がありありと伝わってくる。目を合わせることを拒みながら、のろのろと箸を進め始めると、「ま、いいや」と仕方なさそうに息を吐いたかおりは、切り替え早く別の話題へ。


「名前、金曜日予定ある?」

『金曜って……今週の?』

「そうそう、今週の」

『予定はないけど……どうして??』


漸くかおりと目を合わせて首を傾げると、「ご飯食べに行こうよ」と晩御飯のお誘いが。
「あれ、練習は?」「合宿の疲れあるだろうからって、金曜は休みになったんだ」「あ、そうなんだ」
さっきとは打って変わった軽快なやり取りに、内心ほっと息を吐く。あのまま問い詰められていたら、洗いざらい話してしまっていたかもしれない。「木兎達も来るからさ」と何気なく付け加えたかおり。あれ、木兎達もって。


『それって、バレー部の皆で行くってこと?』

「皆っていうか、いつものメンバーね」

『……それ、私も行っていいの?バレー部で集まった方がいいんじゃ、』

「いいのいいの。雪絵がトモも誘うって言ってたし、人数は多い方が楽しいでしょ」


そう言って口にミニトマトを放り込んだかおりに、そういうことならと頷いて応える。いくら仲良くなったとは言え、バレー部の集まりに一人で参加するのはやっぱりまだ申し訳ない。けれど、トモちゃんが来てくれるのなら大丈夫だろう。「学校終わったら校門で待ち合わせね」と楽しそうに笑ったかおりに、うん、と自分も笑顔で頷き返した時、ガタッと隣の席から聞こえた椅子を引く音。ちらりと隣を盗み見ると、学食から戻ってきた木葉の姿が。


「あれ、戻って来るの早くない??」

「課題やるの忘れてたどっかのバカ主将に付き合わされて、早めに戻ってきたんだよ」

「ああ、そういうこと」


乾いた笑みを浮かべるかおりと呆れ混じりの溜息を零す木葉。木兎らしいな、と頭を抱えて課題と格闘する木兎を想像して小さく笑っていると、「苗字、」と教室入口から自分を呼ぶ声が。


『林田先生?なんですか??』

「今日の日直、お前だったよな?悪いが、資料室から教材運んどいてくれるか?」


「入って左奥の棚に入ってる英語の教材な」と付け足した林田先生に、はい、という返事と頷きで応えると、頼んだぞと教室を後にした先生。まだお弁当を食べている途中だけど、こういうことは早めに済ませておくに限る。
お弁当の蓋を閉めた私に、「手伝おうか?」と声を掛けたかおり。「ううん、大丈夫」と緩く首を振って席を立つと、「食べていいからね」とかおりに伝えてから資料室へ向かうことに。
遅くも早くもない足取りで廊下を歩き進んで行く。階段を降りて二階まで下ると、図書室と書庫の前も通り過ぎて資料室の前へ。誰に向けるでもなく、失礼します、と呟いて開けた扉。フックの壊れたカーテンの隙間から差し込む日差しに目を細めたのち、お目当ての教材を探すため中へ足を踏み入れたとき、


「……資料室って結構埃っぽいんだな、」

『っ、こ、このは……!?』


突然背後から聞こえた声。振り返ると、資料室の入口に立つ木葉の姿が。
「な、なんでいるの??」「なんでって、手伝いに来てやったんだろ」と仏頂面で答えた木葉は、固まる私を他所にスタスタ資料室の奥へ進んで行く。左側の一番奥の棚に入っていた十数冊の英語の資料。恐らく人数分以上あると思われる冊子の束を軽々と持ち上げてみせた木葉。「ほら、戻るぞ」とさっさと出口へ向かう木葉に、えっ、と慌ててその背中を追い掛けることに。


『ちょ、ちょっと待って木葉!は、半分!半分頂戴!私も持つから!!』

「いいよ別に。こんくらい俺一人で十分だっての」

『で、でも、元々私の仕事だし、さすがに全部持って貰うのは……』

「…………へいへい、分かりましたよ」


ほらよ、とぶっきらぼうに渡された数冊の資料。少ない。木葉が持ってる分の五分の一もない。「まだ持てるよ」と主張するも、「いいからほら、」と押し付けるように渡されたそれを渋々感たっぷりに受け取ってみせる。

ほら、やっぱり優しいじゃん。

二人並んで歩きながら、ちらりと盗み見た木葉の横顔。優しくないとか、友達想いじゃないとか、色々否定してたけど。でもやっぱり、やっぱり私には優しく見える。手伝ってと言われた訳でもないのに、こんな風に追い掛けて来てくれる人を、優しくないなんて思えるはずがない。
モヤモヤとした何かが胸を覆っていく。イライラとか、ムカムカとかじゃなくて、何かこう、言い表しがたい曖昧な感情。ちょっとだけ眉間に皺を寄せたまま、何となく視線を下へ落とすと、真っ直ぐ進むつま先が目に入って、思わずそれを止めてしまう。


「?苗字?」


突然立ち止まった私に、数歩先で足を止めた木葉。半身で振り返った木葉と目を合わせると、視線が重なった瞬間、木葉の目が小さく見開かれた。


「お前……何怒ってんだよ?」

『………怒ってないよ』

「いや、怒ってんだろ」


「めちゃくちゃ眉間に皺寄せてんじゃん」という木葉の指摘に、隠すように俯かせた顔。晴れないモヤモヤに眉間の皺を深めると、尖らせた唇を小さく動かした。


『……優しいよ』

「は??」

『やっぱり木葉は、優しいよ』


下を向いたまま零した台詞に、木葉が目を見開いた気がした。


『……花火のとき、木葉は否定してたけど……でも、やっぱり木葉は優しいよ。こんな風に手伝いに来てくれる木葉が……優しくないわけないよ』


床に向かって吐き出した子供みたいに拗ねた声。怒ってる訳じゃない。怒ってる訳じゃないけど、なんだか凄くモヤモヤした。だって、私が知ってる木葉は、こんなにも優しいのに。友達想いで、面倒見がよくて、立ち止まったり下を向いたりする度、助けてくれたのは木葉だった。
木葉だって何か理由が否定しているんだと思う。それは分かってる。分かってるけど、でも、だからって私が知ってる木葉まで全部否定して欲しくない。どんな理由があったとしても、私が貰った木葉の優しさが、嘘だったことには絶対ならないから。
床に落としていた視線をゆっくりと持ち上げる。もう一度木葉と目を合わせると、きゅっ、と唇を引き結んでいた木葉が、気まずそうに目を逸らした。


「……苗字の言う“優しい”っていうのは、誰にでも優しいって意味だろ。けど、誰にでも平等に優しい奴なんてきっと居ない。居たとしても少数派だと思うし、少なくとも俺はそうじゃない。……優しくしたいって思う相手じゃなきゃ、優しくなんて、出来ねえよ」

『……でも、でも木葉は、私にだけ優しい訳じゃないじゃん』

「っ、は?」


逸らされていた瞳がこちらに向き直る。何言ってんだとばかりに目を丸くする木葉に、閉じ掛けた唇を更に動かしていく。


『体育祭で境田くんが怪我した時、無理しないように境田くんを止めてた。期末試験の時も、何だかんだ言いながら木兎の勉強に付き合ってあげてた。練習中は後輩によく声を掛けたりもしてる。そんな風に優しい木葉を私は知ってる。木葉が自分で見えてなくても、私にはちゃんと見えてる。……だから、だからちょっと納得出来なかった。自分のことを優しくないって否定した木葉に、そんなことないのにって納得出来なかったというか、なんというか…………』


最後の最後で濁してしまった言葉。どうせなら言い切ればいい物を、どうして曖昧にしてしまうんだ私。重ねていた視線を思わず下へ逸らす。抱えた資料を持つ手に小さく力を込めたとき、はあ、と正面から聞こえてきた大きなため息に思わず肩を揺らしてしまう。
知ったかぶって余計なこと言ってしまったかな。床に落とした視線を右へ左へ動かしてみる。すると、距離を埋めるように踏み出された木葉の足。視界に入った木葉の足先に驚いていると、苗字、と呼ばれた自分の声に恐る恐る目線を持ち上げる。


「………ベクトルが違えんだよ」

『……へ……?べく、とる…………??』

「他の奴らに優しくすんのと、お前に優しくすんのとじゃ優しさのベクトルが違えんだっつの」


ちょっと拗ねた顔で吐かれた台詞に目を瞬かせる。ベクトルって、どういうことだろう。優しさにベクトルなんてあるのだろうか。もし合ったとして、何がどう違うというのだろう。
きょとん、と目を丸くする私に短く浅いため息を零した木葉。「分かんねえならそれでいいよ」と唇を尖らせた木葉は、くるりと身体を振り返らせてそのまま歩き出してしまった。
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