涙雨【完】 | ナノ
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捌拾捌

襖の開け放たれた広い和室。室内には及川、岩泉、花巻、松川の他に、屋敷の“長”である澤村くん、黒尾くん、木兎くん、茂庭くん。それから、大将さんと星海さん、そして、


「……妖の屋敷に足を踏み入れることになるなんて……」

「前代未聞だな」


険しい表情で零された台詞に及川達の眉間の皺が深まった。

妖の世と人の世を分ける境界線である結界。その結界には今、歪みが生じている。このまま歪みが大きくなれば、やがて結界に亀裂が生じ、結界そのものが消えてしまう可能性がある。二つの世界を隔てる物がなくなれば、妖は人の世に降り立つことが出来るようになり、人の世は妖たちで溢れることとなる。それを防ぐため、結界の歪みを正すことを決めた牛島くん。けれど、歪みを正すには彼の力だけでは及ばず、及川達や大将さん、星海さん、それから、牛島くんと同じ陰陽師御三家の佐久早家、桐生家のご頭首も力を貸してくれることとなった。
少し張り詰めた空気の中、集まった顔ぶれを改めて見渡す。顔を顰めた及川達と対面するように座っている陰陽師勢。前方には御三家の頭首である牛島くん、佐久早さん、そして、今日初めて顔を合わせる桐生さんの三人が座っている。彼らの後ろにはそれぞれの式たちが控えており、牛島くんの後ろにも天童くんと大平くんの姿がある。
部屋の中心を境に、二つに分かれて座るみんな。及川達と佐久早さん達の間に流れる空気は、やはり何処か刺々しい。間に座っているせいか、空気の重さをひしひしと感じてしまう。「仲介役でしょ?」と天童くんに言われ、上座とも言えるこの位置座ってしまったのだけれど、今になってここに座ることを勧めた彼が少しだけ恨めしい。
居た堪れなさに身を縮める。及川を見、牛島くんを見、また及川を見、牛島くん見る。何も言わない彼らに視線を床へ落とすと、痺れを切らしたように岩泉が口を開いた。


「そろそろ本題に入ろうぜ。お前らがわざわざ来たっつーことは、結界の修復に目処が立ったんじゃねえのか?」

「……そうだな」


頷き返した牛島くんが星海さんと大将さんに目を向ける。視線を受けた二人も真正面から牛島くんを見つめ返すと、微かに目元を和らげた牛島くんがゆっくりと口を動かし始めた。


「白蛇と鸞鳥。……いや、大将と星海と呼ぶべきか」

「どちらでもご自由に」

「お前たち陰陽師にとっては俺らの名なんて有って無いようなもんだろ」

「……確かに、俺たちにとって“妖”はあくまで“妖”だ。だが、名乗る名があるならそう呼ばせて貰いたい。手を借りる上での礼儀として」


当然のように述べられた言に、大将さんと星海さんの目が見開かれる。佐久早さんや桐生さんも驚いた表情で牛島くんを見つめていると、少し居心地悪そうに目を逸らした星海さんが、「勝手にしろ」とぶっきらぼうな声で答えた。


「それで?俺たちに一体何をしろと?」

「……結界の歪みを正すにあたって、お前たちは佐久早家と桐生家を手伝って貰いたい。苗字を囮に妖を集めはするが、全ての妖を惹き付けることは不可能だろう。俺たち頭首が歪みの修復に力を注ぐ以上、隙が出来るのは間違いない」

「……つまり、苗字さんの血に釣られなかった妖から此奴らを守れと?」

「妖なんぞに守って貰うつもりはない」

「お前たちが守るんは、俺たちじゃねえで“結界”ん方や」


ふん、と鼻を鳴らした佐久早さんと腕を組んで目を細めた桐生さん。好意的とは言えない態度に大将さんの顔が歪む。
同じ御三家とは言え、佐久早家や桐生家の術師も牛島くんと同じような考え方を持っているとは限らない。頭首であれば尚更だ。だからこそ、牛島くんも迷っていた。“妖”を信じていいのかと。
和らいだ筈の空気が再び張り詰める。「……佐久早、桐生、」と諌めるように二人を呼んだ牛島くん。けれど二人は、“陰陽師”としての矜恃を曲げるつもりはないらしく、苛立った様子で眉間に皺を刻んでいる。
譲れないものがあることを、悪いことだなんて言うことは出来ない。同じ御三家の陰陽師だとしても、牛島くんと佐久早さんや桐生さんは違う。同じ人間ではないのだから、違う考え方を持っているのは当然だ。でも。


『……守りたいものは、同じですよね?』

「っ、なに………?」

『佐久早さんや桐生さんと、大将さんや星海さんが守ろうとしているのは、同じものですよね?』


緩やかな笑みと共に投げ掛けた問に、皆の視線が一斉に此方へ向く。
佐久早さんと桐生さんは陰陽師で、大将さんと星海さんは妖だ。敵と呼ぶに相応しい関係である彼らだけれど、でも今、彼らが守ろうとしているものは、守りたいものは、きっと、同じだ。


『妖には妖の、陰陽師には陰陽師の、譲れない物があるのは当然です。……でも今、ここに居る皆さんが守ろうとしているものは同じはずです』

「……名前……」

『手を取り合って仲良くすることは難しいのかもしれません。けど、守りたいものを守るために力を合わせることは、きっと難しいことじゃない。だって……ここいる皆さんは、“人”を救うために、誰かのために力を奮おうと思えるんですから』


自然と溢れた微笑みに、屋敷の皆の目尻が下がる。目を見開いて固まっていた大将さんと星海さんも、ふっと小さな笑みを見せてくれる。少しずつ和らいでいく空気に肩の力を抜く。まだ少し険しい表情を見せる佐久早さんと桐生さんと改めて目を合わせると、目を見開いた桐生さんに対し、佐久早さんは罰が悪そうに目を逸らした。


「……風変わりな女子(おなご)がおるとは聞いちょったが……なるほど、中々どうして変わった娘だ」

『変わってるんじゃなくて、知っているだけです。妖も、人も、妖と人の間に生まれた皆にも。誰かを想う“優しさ”があると、他の人より少し、知っているだけです』

「……そうか、」


ふっ、と柔らかな笑みを見せた桐生さん。彼に吊られたように牛島くんも頬を緩める。訪れた穏やかさに目を細めたとき、おい、と落とされた不機嫌な声。見ると、眉根を寄せた佐久早さんが目線を此方へ戻していて、本題に戻れと言わんばかりの視線に、牛島くんは再び唇を動かし始めた。


「大将達“戸美”と星海達“鴎台”が佐久早家と桐生家に力を貸すのであれば、屋敷の者達には二手に分かれて貰いたい」

「二手に?」

「ああ。一方は大将達と同様に結界を守る為に力を貸して欲しい。もう一方には……苗字を守ってもらう」


和らいでいた瞳に微かな峨しさが現れる。結界の歪みを正すために、私に出来ること。それは、集まってくる妖達の囮となることだ。
妖の世界に来てからというもの。この血のせいで何度も妖に狙われてきた。妖を惑わす甘やかな香り。私には分からない、血の香り。私にとっては、恐ろしい妖を呼び寄せるだけのもの。でも、この血のおかげで及川や岩泉、孤爪くんを助けることが出来た。それに今回も、家族や友達が生きる世界を守ることに力を貸せる。
囮になることが怖くないと言ったら嘘になる。けれど、逃げるなんて選択出来る訳がない。牛島くんとの約束を守ることはもちろんだけど、何より私も、大切な人達を守りたいから。でも、私一人じゃ役には立てない。何の力もない非力な“人間”の私は、守って貰わなきゃ“囮”にさえなれない。
伏せた瞼を持ち上げ、真っ直ぐ前へと向けた瞳に及川を映す。視線が重なった瞬間目元を和らげた及川は、そのままゆっくりと唇を動かした。


「大丈夫。名前のことは、俺たちが絶対守るから」

『……うん。ありがとう、及川、みんな、』


柔らかな微笑みと共に応えてみせれば、及川たちの目尻が優しく下がる。
恐れも、不安も、申し訳なさも、今は全部忘れよう。今はただ、守りたいものを守ることだけ考えよう。
視線を及川達から牛島くんへ戻す。大丈夫だと言うように笑ってみせると、頷き返した牛島くんは集まった顔ぶれをもう一度見回した。


「……烏天狗の“外れ者”達も手を貸すと聞いているが?」

「ああ、烏養さんや嶋田さん達も力を貸してくれると約束してくれた」

「ちょっと待て、稲荷山の九尾一族はどうした?名前が関わってるなら、彼奴らが黙ってる筈がねえ」


怪訝げに片眉を吊り上げた星海さん。彼の疑問に同じるように、大将さんの視線も此方へ移される。
二人が侑さん達が居ないことを不思議思うのは当然だ。同じく妖の世と人の世を行き来する彼らからすれば、侑さん達九尾の一族も牛島くんに手を貸すものと考えるのだろう。
答えを躊躇した私に代わり、「奴らは来ない」と首を振った牛島くん。「来ないだと?」と問を重ねた星海さんに、牛島くんは、ああ、と小さく頷き返した。


「昔、ある陰陽師が多くの九尾を滅した。御三家の術師ではなかったが……奴らからすれば、俺達も“陰陽師”であることに変わりはない」

「……なるほどな。道理で彼奴らがいないわけか……」

「お前たちにも思うところはあるのだろう。何百年という歴史の中で、積もり重ねた怒りや怨みを簡単には拭えない筈だ。だが、苗字の言う通り。同じ目的を持った者同士、今は力を貸して欲しい」


凛と響いた牛島くんの声に、及川の目が僅かに見開く。けれど直ぐ、緩やかな笑みを浮かべた及川は、「仕方ないよね」と肩を竦めてみせた。


「“人”を守りたいのは、俺達も同じだし。……それに、牛若ちゃんに借りを作ったままなんて、御免だからね」


立ち上がった及川が牛島くんを見下ろす。視線の意味に気づいた牛島くんも立ち上がると、どちらからともなく差し出された右手。互いの手を握り合った二人は、不敵に、頼もしく笑って見せた。

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