涙雨【完】 | ナノ
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肆拾捌

小雪が望むのなら。それで安心して笑ってくれるのなら。俺は喜んで小雪の手をとるつもりだった。


“寂しいの。貴方がいなくてとても、とても寂しい
…。だから…お願い、光太郎さん”

“一緒に、いきましょう…?”


伸ばされた細く小さな懐かしい手。優しく微笑む小雪。なあ、小雪。お前は本当にそれで喜んでくれんのか?その手をとったら、また一緒にいられるのか?浮かんだ疑問を振り払うように、更に小雪の姿が近づいてくる。

もう、いいか。
小雪が望んでいるなら、それなら、俺は、



木兎くんっ!!



「っ!!」


小雪の手を取ろうとした瞬間、耳に届いたのは随分と焦った苗字ちゃんの声。まるで空から降ってくるように聞こえてきたその声に、思わず動きが止まる。なんだ、いまの。苗字ちゃんの声だよな?止まった手をそのままに辺りを見回そうとしたけれど、なぜか固定されたように動かない頭に、視線だけ動かしてみる。


だめ!!起きて!!木兎くん!!


なにが?起きてってなんのことだ??


お願い…!!起きて!木兎くん!!このまま、このまま死ぬなんてそんなのだめ!!


死ぬ?苗字ちゃん、何言ってんだよ。死ぬって、んなわけねえじゃん。ここはただの花畑で、目の前にいるのは。
動かしていた視線をもう一度目の前の愛した女へと向ける。そう、今、目の前にいるのは、俺が、“愛していた”女、小雪だけ。優しく微笑む小雪に感じたのは、既視感と違和感。ちょっとまて。どうして俺たちここにいるんだっけ?いや、そもそも。どうして小雪が、目の前にいるんだ。だって、小雪は。


赤葦くんも、黒尾くんも、みんな悲しむ!!何より!…っ小雪さんだって、望んでないっ……!だからっ…



だから、目を覚まして!!木兎くん!!!


苗字ちゃんの声に応えるように、辺りの景色が一変する。小雪の姿がぼやけたように不鮮明になり、笑っていた小雪の顔が歪んでいく。そうだ。小雪がいるはずない。だってアイツは、とうの昔に死んだのだ。ここは、小雪と再会するための天国でも、まして地獄でもない。俺がここにいるのは。


「…ありがとな、苗字ちゃん」


ぶわっと一気に身体から放った妖気。強められた妖気の圧に耐えられなくなったのか、見せかけだけの世界が消えていく。背中に現れた翼と、それに纏うように燃え上がる炎。この姿になるのも久しぶりだな。ばさりと翼を動かせば、赤い炎の中から苗字ちゃんの姿が見え、繭の中から出ることが出来たのだった。





*****





「っふあああああああっ…」

「…おはようございます、木兎さん」

「おー…なんかすげえ寝てた…?」


デカい欠伸ともに瞼を持ち上げれば、呆れたように、けれど安心したように息を吐いた赤葦がいた。


「女郎蜘蛛の糸に妖気を奪われた影響でしょうね。後で茂庭さんに一応看てもらいましょう」

「別に平気「なにか?」……ナンデモナイデス…」


有無を言わせない。というのは、いまの赤葦の事を言うのだろう。わざわざ茂庭に看てもらう必要なんてねえのになあ。そんなことを考えながら、ぐっと背伸びをしていると、「入るぞー」という声と共に障子の向こうから小見たちが現れた。


「!木兎!んだよ、やっとお目覚めかよー!!」

「なにおれ、結構寝てたのか?」

「二日間眠りっぱなしだよ」


うおう。マジか。そりゃすげえわ。いくら俺でも二日間眠りっぱなしになったのは初めてだ。おお、と謎に感激していると、「入るよー」という声が聞こえ、再び襖が開かれる。


『っ!木兎くん!!』

「うおっ…!」


白福や雀田と共に入ってきた苗字ちゃんは、起き上がっている俺を見るなり、少し泣きそうな顔で声を上げ駆け寄ってきた。布団に座ったままの俺に向かって飛び込んできた小さな身体を受け止めれば、縋り付く肩が震えている事に気付き、心配をかけた事に申し訳なくなっていく。慰めるために苗字ちゃんの頭を撫でる俺を睨む赤葦は気付かないふりをしておこう。


『っ、よかった…!木兎くんが目を覚ましてくれて、本当に良かった…!』


泣きそうな声で喜んでくれる苗字ちゃん。大袈裟。でもないか。苗字ちゃん見ていたのだ。あの幻術の中で、小雪の手を取ろうとする俺を。もし、あの時苗字ちゃんの声が届かなかったら、俺は今ここにいはいないのだろう。


「…ありがとな、苗字ちゃん」

『っお礼を言わなきゃならないのは私だよ。いつも、助けて貰ってばかりで、「いや、」』

「あの時、苗字ちゃんが俺の目を覚まさせてくれなかったら、俺は、あの幻術の中で、小雪の手を取ってた。……小雪が望むなら、アイツが、俺を待っているのなら、死んでもいいって、そう思ったんだ」


俺を残して死んで行った小雪。アイツの最後を看取ることさえ出来なかった。だから、もしも小雪が望むなら、俺は、


『違うよ、木兎くん』


静まっていた部屋に苗字ちゃんの凛とした声が響く。いつの間にか俯いていた顔を上げ、目の前の彼女を見れば、瞳をそっと柔らかく細めた苗字ちゃんは思い出すように口を開いた。


『ねえ、木兎くん。あの時、あなたが囚われていたあの幻術の中で咲いていた白い花。もしかして、あの花があなたが小雪さんに最後に貰った花なんじゃない?』


苗字ちゃんの言葉に迷うことなく頷き返す。記憶の中にしか残っていない花。けれど、忘れた事なんて一度もない。あの幻術の中で一面に咲いていたのは、確かに小雪から受け取った花だった。
頷き返した俺に、苗字ちゃんは更に穏やかな表情を見せる。なんでそんな顔をするのかと不思議に思っていると、苗字ちゃんの小さな手が、そっと俺の左手を包んだ。


『あの花、あれって白いカーネーションだよね?』

「かー…ねーしょん?」

『そう。昔ね、まだ私が小さかった時、母の日にお母さんにカーネーションを渡そうとしたことがあるの。でもね、その時赤いカーネーションが売り切れてて、仕方なく白いカーネーションを買っていったんだけど……白いカーネーションって言うのは、お母さんの亡くなった子供がつけるものなんだって』


母の日。そういやそんなもんが人の世にはあった。確か五月頃にになると、街中で赤い花をよく見かけるようになる。けれど、どうして今その話を。
苗字ちゃんの意図が読み取れず、穏やかな表情をみせる苗字ちゃんを見つめ返せば、ゆっくりと、一つ瞬きを落とした苗字ちゃんは、どこか愛おしむように漸く唇を動かした。


『その時にね、おばあちゃんが教えてくれたの。
あのね、白いカーネーションの花言葉は、



“私の愛は、あなたの中で生きています”



苗字ちゃんの言葉に、じんっと胸の奥に何かが染み渡る。

花言葉。
白いカーネーションの、小雪が俺に残した花の、花言葉。

溢れてきそうな何かに耐えるようにぎゅっと唇を噛み締めれば、俺の手を包む苗字ちゃんの手に、更に力が籠められた。


『…小雪さんは、あなたが死ぬことなんて望んでなかった。だって、木兎くんが生きていれば、小雪さんが木兎くんに残した“想い”も残るってことだから。だからね、木兎くん、あなたはあなたの生命を大切にして欲しい。小雪さんの分まで、生きていて欲しい』


胸の奥で染み渡っていたものが溢れてくるように涙となる。泣くのなんて何百年ぶりだろうか。小雪を失ったあの日以来かもしれない。

800年、生きてきた。

人間と比べれば随分と長い人生の中で愛した、たった一人の女。そんな相手さえ救うことが出来なかった。今だってそうだ。また、ただの人間の女の子に助けられた。いつまでたっても情けない。俺は、ちっぽけな男だ。でも、そんなちっぽけで情けない俺でも、


「それなら、生きなきゃダメだよなあ…。生きて、生き続けて、小雪が残してくれた“想い”を守らなくちゃだもんなあ」

『うん、そうだね。その方が、きっと、小雪さんだって喜ぶよ』


左手を包む小さな手が温かい。

俺たち妖は置いていかれてばかりだ。出会っては失い。惹かれては別れる。でも、それでも、いや、だからこそ。

短い生命の中で何かを残そうとする“人”が、こんなにも愛おしいのだ。

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