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『やはり抱きかかえられるよりも抱き締める方がいいな。そう思わないか?』

カッパからいつもの姿に戻ったエドガーが私を抱きしめながら言った言葉。
それを聞いた時、まるでその言葉を拒絶するかの如く、腕の中から逃げ出していた。

モンスターから逃げる時のような速さで飛空艇の船内に戻ってきた私は、そのまま簡易室の中に閉じこもる。自分一人の部屋ではないというのに鍵までかけて、焦ったようにベッドの縁に座りながら太腿の上で握り拳を作っていた。

ついさっき起こった出来事を記憶の中から追い出したくて必死に頭を振るのに反対に思い返してばかりいる。
彼の言葉。
そして、背中に回された腕の温かさと、彼の体に包まれた時の何ともいえない感覚が蘇る。

抱きしめるという行為は以前にサウスフィガロでもあった事だ。長い間別行動をしていた互いが久しぶりの再会を果たした時に、彼が私を引き寄せたから。

無事に戻ってきてくれてありがとう。そんな言葉をかけながら突然抱きしめてきたエドガーの行動に驚きはしたけれど、それ以上に、こんな私を本当に心配してくれていたんだという気持ちの方が大きかった。
人の温かさに触れたことで、私自身も彼が無事でいてくれたこと、そして再会できた事に良かったと感じていた。

でも、こんな思いを自分達がする意味なんてない。
いずれ居なくなる私が、エドガーに苦痛を与えるのはおかしいと思えた。
だからこそ、心配する気持ちを捨ててくれと頼むのにそれでも彼は拒否する。

心配することで喜びに変わり、1人ではない事に安心出来る。
そう思えることで力すら与えてくれるんだ…って。

彼の言葉を受け入れる訳にはいかなかった。なのに、あの時の私は彼の温かさを拒まなかった。言葉と行動が裏腹になっている自分を切り離したくて距離を作ろうと必死になっていたのに、全部を隔てられず濁し続けた結末が押し寄せていた。

エドガーの抱きしめるという行為がもたらすものが、あの時以上に今の自分に影響を与える事に気付いてしまった。

だから、私は何も言わずに逃げてきた。

握り締めている両手をそっと開けば、彼の背中に触れていた時の温かさを思い出す。
自分を抱きしめてくれる腕に安心感を、そして包み込まれるような抱擁に安らぎを感じてしまったなんて。
それをエドガーの言葉によって気付く事になり、今ここで現実に打ちひしがれている。

「……どうして…」

共に目的を果たす為だけに過ごしてきただけなのに。
時間と彼がもたらすものが自分に与えた影響がこんなに大きく色濃くなるなんて考えてもいなかった。

今回みたいにエドガーを避けたところでそれは変わらないのに、卑怯にも逃げ出してしまう自分はどこまで不甲斐無いのか。
声をかけないで欲しい。近寄らないで欲しい。…優しくしないで欲しい。
思う事の全てを彼に伝えて、時が来るまで一人でいればいいのに、それがどうしても出来ない位に自分は変化してしまっていた。

気持ちを静めたくて本を読もうと手に取るのに、見つめているのは彼がくれた栞。
根本的に思考の中心が変わっていない事に気付いて落ち込むことを繰り返し続けていた…。

そんな日を過ごしていたある日のこと。
ユカが出かける支度をしているのが目に付いて声をかけると、これからカイエン達とドマ城という場所に行く事を教えてくれた。
嬉しそうな顔をしている彼女の様子を眺めながら、とあることを思いついた私はそれを相手に話した後に早速行動に移すことにした。

普段彼女がやってくれている仕事を自分が請け負えば、お互いにとって有益になるはずだし、体を動かせば無意味な考えに没頭するのを止める事だって出来る。
洗濯物を詰め込んだ籠や道具を抱えながら外へ出ると、飛空艇から離れた場所で魔法を詠唱する。
作り出した氷を炎で溶かし水を作り出す。

作業の前に髪の毛をしっかりと縛り、着込んでいた上着を脱いで洗濯物に集中する。
綺麗になるのを心地良く感じながら作業に没頭していると、私の隣に突然セリスがやってきた。

「私も手伝うわ」

彼女も私と同じように魔法で水を作り出すと隣に並びながら作業を手伝ってくれる。
慣れた手つきで洗濯物をする彼女は金色の髪をサラサラと揺らしながら布を擦っていた。

その横顔に僅かな幼さが残るものの、とても綺麗な顔立ちをしている彼女。
隣に居ながら感じるのは外見的な特徴の他に内部に存在している魔導だった。
彼女は幻獣から取り出した魔導の力を体に注入された魔導士という存在だと、以前にエドガーから説明されたのを思い出す。

きっと外部から魔導を得たという考えでいけば、セリスは間違いなく人間で、
魔石をよりしろに力を発動させている皆とあまり変わらないんだろう。

相手に対する見解を頭の中で巡らせていると、洗濯を続けていたセリスの視線がこっちに向いている事に気付いてその手を止めた。

「…どうかした?」

「ルノアの肌が白くて綺麗だなって思ったから、つい」

服が濡れないように上着を脱いでいたから、腕の部分が露出していた事を忘れていた。
改めて自分の腕を見ながらセリスの肌色と比べてみれば、確かに彼女よりは白いかもしれない。
でも、それはきっといつも服を着込んでいて陽に当たっていないからだと説明すれば彼女は私に羨ましいと話した。

「え?何故…?」

「白い肌って女性らしいし、それにルノアはいつも冷静で大人だなって感じていたの」

彼女の言葉を聞いて、久しぶりに女性という単語を意識する。
その言葉を出さずに過ごす事は出来ても、それ自体を変えたり消せるわけではない。
それなのに、彼は忠実に約束を守ってくれているんだなと実感する。

「きっとセリスの思い違いだ…。私は冷静でもないし、女性ではないから」

「そんな事言われたら私が逆に傷つくけどなぁ」

「傷つく?」

「どこからどう見ても綺麗で落ち着いた女性なのに。エドガーなら毎日言うでしょ?」

そう思う事をやめてと言ったのは私だ。
彼との間にあるものなど、たった一つしかないのだから。

「エドガーは私を女性とは思っていない。互いに名前を呼び合うだけ」

「どういう意味なの?彼も同じようなことを言っていたけど」

きっと彼女に理解など到底出来ないだろう。それでも話したのは自分に言い聞かせるためだった。

名前の在り方だけは変わらない。
だから、それと同じように私と彼は変わらない存在であり続けるという隔たりを作らないための隔たりなのだから…。

「やっぱりルノアは怒ってるのね」

「怒る、とは?」

「カッパから戻ったときのエドガーのこと」

「怒っていたわけでは…。ただ、あの状況が受け入れられなかっただけで」

「つまり、エドガーが嫌いってことね!」

「?!っち、違う!!そんな訳では!」

「ほんとに??」

「別に私は…」

「何だか彼、貴方に嫌われたって思ってるみたい」

そんな風に思わせてしまう態度をとってしまったかもしれないが、嫌いだなんて決して無い。上手く整理できない気持ちから逃げ出しただけの事だ。
申し訳ない気持ちを感じていると、セリスは興奮気味に“そんな顏をする必要なんてない”と言い切ってきた。

「だってエドガーの自業自得でしょ!あんな事されたら逃げるのが普通だもの」

「――――…………」

「彼がルノアに嫌われてもおかしくないし、それでエドガーが嫌われたって考え込んでいても彼のせい。あんな事されて嫌だったんでしょ??なのにそれを許すなんてもってのほか!
これからずっと目も合わせないで話もしないで無視するのが一番よ!距離を置くのは正しいんだから、エドガーが執務室でたった一人で寂しそうに何時間も公務をしてたとしても、微塵も心配してあげる必要なんてないわ!!」

怒涛の追い込みで言葉を発したセリスは、洗い終わった洗濯物を抱えて何故か意気揚々と飛空挺のほうに戻っていく。
彼女に続いて自分も歩いていくのだが、無意識のうちにセリスの話した内容を否定していた。

彼を嫌いではないし、そんな風に思って欲しい訳じゃないこと。
嫌だったというより自分の気持ちに驚いただけで許すとかではないし、距離を作っているのは逃げているだけ。私のせいなのに優しい彼は今も申し訳ないと思いながら過ごしているのだろうか。
そんな風に思ったら…。

「私から会いに行かなきゃいけない」

気持ちを固める事は出来たのだから、あとは今の仕事を終わらせればいいだけ。
逸る気持ちを抑えながら、大きなシーツを高めに張られているロープに干そうと広げるように放った直後、いきなり正面から突風が吹きつけてきた。

「―――っあ!!」

手からすり抜けるように逃げる白いシーツを掴まえようと咄嗟に姿勢を反らして腕を伸ばしたけれど、風に煽られ指先を掠めるように離れていくのを感じた瞬間、誰かの腕が視界に映りこみシーツを捕まえていた。
見覚えのある服に気付いたことで焦った足がもつれ、傾いていく自分の体は後ろにいた相手の存在によって支えられていた。

「いいタイミングだったな」

「エ…ドガー…」

風が収まり舞い降りたシーツが彼の肩に掛かるのをぼんやりと眺めながら反るように見上げる彼の顔。

背中に感じる温かさにあの時のことを思い出した自分は、結局逃げるように離れてしまう。
ついさっきまで自分から会いに行こうとしてたのに、いざ本人を目の前にすると唇が封じられたように動かない。
ありがとうさえ言えないまま洗濯物を受け取ろうと腕を伸ばせば、エドガーはそれを易々とロープに干してしまった。

「背が高いのも役に立つだろ?」

彼が笑みを湛えながら残りの洗濯物に手を伸ばそうとするのをみて、慌ててカゴを掴んで取り上げれば、相手はどうしてだと首を傾げてみせる。
公務をしていた人に仕事をさせるわけにはいかないからだと答えたら、エドガーは優しい口調でこう言った。

「気遣ってくれるということは、まだ完全に嫌われてな――」

「嫌ってなどいない!」

反射的とも言える速度で否定した私に一瞬驚いた顔をする彼だったが、瞬く間に真剣な表情に変化させると私の前までゆっくりと歩いてくる。

「じゃあ、俺をどう思っている?」

そっと伸ばされる指先が肌を優しく撫で、今度は髪を梳くように進み、最後は耳の辺りを包むように添えられる大きな手のひら。
ただそれだけで心臓が急激に早くなり、見つめられる宝石のような美しい瞳に動きを封じられる。

私が何を?
何故そんな事を?
誰のために?

彼の言葉に自分の頭の中では色々な考えが浮かぶけれど、感情を当てはめる訳にはいかない今の自分が言えるのはこれしかなかった。

「………わから…ない…っ」

曖昧な答えに恥ずかしさを感じてしまい彼のまなざしから逃れるように俯くと、彼は私に”それで十分だ“と言ったのだ。
一体何が十分なのか分からず顔をあげるとエドガーは笑みを浮かべていた。

私は自分の気持ちをうやむやにするのに、彼は今の答えに対してまるで分かったような顔をする。
心が分かるならそれを私に教えてほしいと思いながら聞くことをしなかったのは、エドガーの手の温かさに感じたことの無い痛みが胸に奔ったからだ………。


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