船内に戻っていくユカの背中を見つめながら、俺は自分の手の平をぎゅっと握った。
「何やってんだよ……ほんと」
自分がしたことだっていうのに、それが虚しくて堪らなくなる。
こんな事今更考えても、思っても仕方ないっていうのに―――。
突然出て行ったユカを探して一緒に戻ってきた後、俺達は疲労の影響で長い時間眠っていた。目を覚ますとユカは寝ていたから、そのままガウと2人で部屋を出て行ったんだ。
兄貴が俺達を見つけると、良かったなって一声掛けてくれたのが嬉しくて、大きく返事を返した。船内でカイエンから帝国の事を色々聞いているうちにそれなりの時間が経過していて、兄貴はユカを起こしてくると部屋に向かっていった。
それを見た俺は、いつもながら女に優しい兄貴だなと思うくらいで。
全員が揃った後、今までの出来事や、これから何をするのか説明を受けた。
到着するまでは休息を兼ねて食事を食べる事になったけど、まるで今までの自分が嘘みたいに腹が減ったんだ。
きっと安心したのと、皆と一緒に食べるから美味しいんだって感じた。
よく食べるねって、隣にいたユカが喋る。
当たり前だろって答えると彼女が笑うから、ふざけてパンをとってやったんだ。馬鹿馬鹿しいやり取りなのに楽しくて、ユカも笑って兄貴も笑っていた。
こんな瞬間が凄く楽しくて、またいつもみたいにおかわりを催促すれば、ユカは当たり前のように俺の皿を受け取って用意してくれる。戻ってくるまで俺はガウやカイエンと話をしながら待ってるのがいつも恒例だった。
ただ、目線がユカに向いたとき、兄貴と話をしてるのが見えたんだ。
2人とも何だが真面目な顔してて、兄貴が喋るとユカはその途端、何とも言い難い表情をしてみせた。本当にどう言えばいいか分からない表情で、俺にはあんまり見せないような顔だった。
兄貴が戻ってくるのが分かって、いつもみたいに普通にしてたけど、戻ってきたユカの方が何故かぎこちなかった。
もしかして兄貴と話した影響じゃないのかって、勘ぐるのを止められないんだ。
部屋に戻った後も、意識がそっちの方に向くから、武器の手入れもままならない程で。気分転換でもしようと甲板に向かったけど、その先で見た光景が今でも忘れられない……。
ユカと兄貴が話をしてるのに気付き、身を潜めたのは無意識だった。2人が何を話してるかは飛空挺が飛んでいるせいで聞こえなかったけど、それでもユカが兄貴を見つめる表情はハッキリと見えた。
切なそうで苦しそうで、でもどこか気持ちを含んだような眼差しだったから。
“………ああ、そうなのか”ってその時、俺はようやく理解したんだ。
昔、兄貴が1人の女性を想って見つめていたあの表情に凄く似てたから。隣にいた俺はそれに気付きながら兄貴の力になってやれなくて…。
そして今、あの時の兄貴のようにユカが兄貴の事をその眼差しで見つめていた。
別にいいことだし、誰も悪くないし、それは止められないだろうし、駄目だって言うような事でもない。
兄貴は賢いし顔立ちも整ってるし、いつも優しいし気持ちを汲み取るのも早い。
自分よりも全部が優れている兄貴が、誰かに好かれるのも道理だから。
ユカが兄貴を想ってるなら、俺が手伝ってやればいいよな。色々とおせっかいして、それで仲良くなればいいって思う。
思うけど………。
なのにどうして。
何でこんなに素直に喜べないんだろ。
奥から湧き上がる気持ちが、善意を否定しようとする。それは違うって思うのに、余計に考えが飲み込まれていった。
ユカが兄貴と話を終えて、こっちに向かってくるのを知った俺は、すぐに船内に戻り身を隠した。普通を装って話でもしようと考えるけど、階段から降りてきたユカは顔を覆いながらその場に座り込んだ。
彼女の纏う空気に声を掛けるだけの元気や優しさが今の俺には無くて、気付かれないように黙っている事しか出来なかったんだ…。
その後もサマサの村で思いもよらない出来事があって、俺の心の中は滅茶苦茶だった。飛空挺の甲板で1人考えに耽っていたら、いきなりユカが焦ったように俺の所に走ってきた。
「マッシュ本当に大丈夫だった!?ねぇ!本当に怪我とかはしてない!?!?本当に」
何度も何度も同じ質問して、訳が分からないことになってた。それくらい俺の事を気にしてくれるから、どうして心配するんだって聞いたんだ。
するとユカは変に動揺しながら、“兄貴”が俺の心配するだろって答えてくる。
「だよな」
諦めたような言葉が勝手に口から出てきて、現実を知って余計に悲しくなっただけ。それにユカは兄貴の事が気になるのか、サマサで何があったのかを教えて欲しいと聞いてくる。
一瞬だけ間を置いて、それから俺は何があったのかを話すことにした。
村で初めて出会ったあの女と顔を合わせた俺が、事の末に口論になった。
そしてその怒りの矛先が自分の兄貴に向いたことが許せなかったと話すと、ユカは反対にあの女を気にしていた。
仲間が目の前で殺されれば、誰だって頭にくるのは分かる。
だとしても何で兄貴とアイツがあんな風に対処したのかが納得できなかったから。
色んな事が混ざってゴタゴタしてた俺の考えを、ユカは見抜いたように解いていく。怒りを抑えることは大変だから、行き場の無い怒りを兄貴が変わりに受け止めたのかもしれないって。
それは、俺がカイエンにしたことと同じなんじゃないかって。
「マッシュがいたから、カイエンさんは自分を止められたんじゃないかな。共に戦う事で無謀になる気持ちをマッシュが止めたんだよ」
「そんな事ないって……」
「私はそう思う。きっと1人だったら大変な事になった気がするから」
芽生えた怒りを抑えることが出来なくなる感覚を、俺も少し前に体験した。ユカが男に連れて行かれそうになった時、確かに俺は自分を抑えることが出来てなかった。
あの時、ユカがいたから、気持ちを切り替える事が出来たんだ。
そう思うと、兄貴はあの女の為に自分自身に怒りを向けさせたんだ。
仲間を失って孤独になったあの女を助けるために……。
物事を一辺倒でしか見れず落ち込んでる俺に、隣にいたユカは言葉を掛けてくれる。
「だから、マッシュの怒った気持ちは私が貰う。少しは軽くなるかもしれないし…」
どうしていつもこうなんだろうな…。
俺が酷く落ち込んでる時に、ユカが傍にいてくれて、考えてもみなかった言葉や優しさを俺に与えてくれる。
出会った時から今までの間、楽しい時も、大変な時も、苦しい時も、気持ちと時間を俺と共有してくれてた。
一緒に食べる飯が美味しいと感じるのも、くだらない事ですら楽しいと思えるのもそうで、背中を擦ってくれるあの手の温もりが、今でも色褪せず残ってるのが、きっと今の俺の気持ちを何よりも物語ってるんだ。
そう思った瞬間、急に心臓の辺りが苦しいほど痛くなる。
「何か言いたいことあったら言って!何でも聞くから!」
優しさが溢れるような柔らかい笑顔で、俺に残酷すぎる言葉を掛けるユカ。言いたいことがもしも俺にあって、それを言ったとしたら本当にお前はそれを聞いてくれるのか?
相手の気持ちを知らない訳じゃない。
想い人を知ってるからこそ、こんなに俺は―――。
愁いた心でユカを見つめたけど、相手はそんな俺に気付きもしないで別の話を切り出しはじめていた。
「あのね!実は渡そうと思ってたものがあって」
ポーチから何かを取り出し、それを俺に差し出したユカ。手の平に乗せられていたのは、緑色に輝く一つの魔石だった。
ツェンの町で手に入れたんだって話しながら、俺に使って欲しいと言うけど、受け取ることはしなかった。
「俺はいいから、ユカが持ってろよ」
そっと相手の手に自分の手を重ねて、ぎゅっと握り締める。伝わってくる体温があったかくて不思議と心が凪ぐから、今までうまく伝えられなかった話を今しようと思った。
魔法を使えないって言った本心は、無理をしそうで怖かったから。働くことが向いてないって言ったのは、他人の目や手がユカに触れるのが嫌だったから。
全部俺がして欲しくないから言っただけ。
ユカの為じゃなくて、俺自身の為なんだって。
「言葉足らずだし、勝手な事言ってごめんな」
相手は首を横に振って俺の言葉を跳ね除けようとする。自分勝手な話が聞くに耐えないのは分かってるけど、ユカが出来ない訳じゃないんだって、誤解して欲しくなかった。
相手は俺の手から逃れ遠ざかると、こっちを見ようともしない。誤魔化すような笑顔と理由を付け加えて、俺に背を向け船内に戻っていった―――。
1人残った甲板で、どうして俺は彼女の手を握ったりしたのか考えてた。
ユカが兄貴の事を想ってるって知ってて、それなのにあんな事して、今更誤解を解くような事をする理由なんて、そんなの…。
分かりきってるんだ、俺だって。
でも隠したかった。
笑い合う今を壊したくなかったから。
知らないフリをして接してたんだ。
それでも段々普通に出来なくて、嫌な言い方したり、人に怒りをぶつけたり、誰かを疎んだり。胸の中にしまってたものが外に出るくらい、大きくなっていた密かに想うこの気持ち。
俺は…――ユカの事を好きなんだ。
だからこんなに、心が苦しくて痛くてたまらない。