宙に浮いたバルガスさんの大きな体が、音を立てて地面へと倒れていった。
苦しく悲しい一つの答えが出され、駆け出そうとした私の腕をエドガーさんは離そうとはしなかった。
「俺達が行くべきじゃない。それは君も同じだ」
「…………」
「マッシュに任せよう。そうしなきゃならない」
「・・・・・はい」
小さく頷き、黙って2人の行く末を私たちは見守り続けた。
倒れたバルガスさんを抱えたマッシュさんは何処かへと向かい、そしてまたこの場へと戻ってきた。
重い空気に飲まれ、駆け寄ることが出来なくなった自分。
話しかけるタイミングさえ分からずにいる中で、声を発したのはエドガーさんだった。
「マッシュ!!」
「兄貴?」
振り返りようやく誰なのかを理解したマッシュさん。
2人が丁度並ぶ形となり、ロックさんが顔を見比べながら驚いていた。
「お…弟、双子の!?」
そして、それよりも酷かったのはティナの反応だった。
「お…弟さん?わ、私てっきり大きな熊かと…」
「熊ァ!?熊か…そりゃあいい!!」
快活そうに笑うマッシュさん。
それは彼なりに気持ちの切り替えを済ませているようにも見える。
だけど、それがかえって切なくて仕方がなかった。
自分の考えとはよそに、マッシュさんは当たり前のようにエドガーさんと今後の話を始めた。
「それより兄貴。一体何だってこんなとこに…」
「サーベル山脈に行くところだ」
「もしや…地下組織リターナーの本部?とうとう動き出すか!陰ながらひやひやして眺めていたぜ。このままフィガロは大人しくしているのかってな」
「反撃のチャンスが来たんだ。もうジイヤ達の顔色をうかがって帝国にべったりすることもない」
「俺の技もお役に立てるかい?」
「来てくれるか?マッシュよ……」
「俺の技が世界平和の役に立てばダンカン師匠も浮かばれるだろうぜ!」
そう締めくくったマッシュさんの言葉が胸に響くのは、お師匠様が居なくなってしまったことを含め、はっきりと断言したからかもしれない…。
1人俯きながらそんな事を思っていると話の内容が自分へと向いていた。
「なぁ兄貴…。どうしてユカが一緒なんだ?」
「彼女に連れて行ってくれと嘆願されてね」
「そうだったのか…。それと、急いでるのに悪いんだけど少しだけ時間をくれないか?」
「どうした?」
「サウスフィガロの街に行って俺が直接会って伝えなきゃいけない事があるんだ」
「……ああ。そうだな」
「今すぐ行ってくる。だから兄貴達は先に行っててくれ!」
用件だけを口にして間を置かずに駆け出そうとする彼の腕を私は無意識のうちに掴んでいた。
「私も一緒に行く!!!」
「・・・・・・・・ユカ…」
「お願い」
「そっか……分かった。一緒に行くか」
これはきっと、私のとてつもないワガママ。
彼を一人でどうしても行かせたくなかった。
だって、街に向かおうと皆に背を向けた時の彼の顔が、切なくて辛そうに見えた。
だから一人にしたくなかった。
そして今も了承してくれたマッシュさんの表情は苦しそうだった。
山を降りて平野を歩いて街に向かって歩き続ける。
お兄さん達と居た時は普通に話していたけれど、私と2人きりになってからは極端に口数が減った。本当は一人にすべきだったのだろうかと考えもしたけれど、そうしたくなかったからこそついてきたんだ。
街について目的の家の前に立つと、マッシュさんは一呼吸置いてから私の方を一度見て、それからドアをノックする。
ゆっくりと歩きながら家に入ると、椅子に腰掛けた穏やかそうな初老の女性がいた。
マッシュさんの姿を見て嬉しそうにするその女性はお師匠様の奥様で、これからマッシュさんは笑顔を湛える相手に辛い言葉を掛けなければならないんだ。
「マッシュ、主人とバルガスは…?」
奥さんは当たり前のように聞いてきた。
きっといつも3人揃ってここに戻ってくるんだろう。居ない事を不自然と思う事は不思議じゃない。
そして、その理由が何よりも悲しかった―――。
「先生はバルガスに…。バルガスは………」
僅かに震えているように聞えた彼の声。
そしてそれを聞いた瞬間、奥さんから笑顔が消え去り、静かに閉じられた瞼。
このまま泣き崩れるんじゃないかと思った。
けれどマッシュさんを見ながら強く優しく切ない表情で語る。
「バルガスも何故あんなことに…。でも主人もあなたに奥義を残せて思い残す事はないでしょう…」
もしも自分に同じような事が起こったとしたら今の様な事が言えるだろうか?
辛い筈なのに、悲しい筈なのに、それでも強く気丈に話すその姿が目に焼きつく。
マッシュさんはそんな奥さんを前にして、大きな声でこう言ったんだ。
「この10年間家族のようで楽しかった…お世話になりました…!」
深々と礼をして言葉を述べた彼と、お師匠様の奥さんの姿を見て目頭が熱くなる。
だけど、自分なんかが泣いてはいけない。
自分よりも目の前の2人が、マッシュさんがそして誰よりも2人を同時に失ってしまった奥さんが一番辛いのだから。こみ上げるものを飲み込んで、自分もお世話になったお師匠様の分のお礼を伝えてマッシュさんと家を後にした。
「……ちゃんと言えたな。これで、前に進める」
「・・・・・・マッシュさん」
「あのさ、ユカ。悪いんだけど」
振り返った彼がいきなり小さな袋を差し出しながら言う。
「そこの階段を上がった所に道具屋があるんだ。ポーションとか適当に買っておいてくれないか?」
「あ、はい」
「俺は武器屋とかに行ってくる。旅の準備しなきゃな。じゃあ、頼んだぞ!」
そう言うと彼はすぐに去っていってしまった。
「マッシュ……さん」
ここまで一緒に来ることを許してくれた。
だけど今は理由を作ってまで一人になりたかったんだと知った。
だからこそ黙って彼の気持ちを汲み取らなきゃいけない。
階段を登って道具屋の扉をくぐり店内に入る。
並べられたアイテムはゲームの画面越しで見たことのあるものが沢山並んでいた。実際に使ったことはないけれど用途は分かるし、その内のひとつを手に取れば、本当に実物として存在しているのが今でも不思議だった。
時間を遅らせる事を心がけながら、必要になるであろう物を揃える。買い物を済ませて店を出ると、傾く太陽が街を照らしていた。
待ち合わせ場所も決めていなかったから、そのまま近くにあった塀の柵に寄りかかり、街の様子を眺めながら待っていると程なくしてマッシュさんが戻ってきた。
「遅くなって悪い。さ、行こうぜ!」
まるで普段の彼と変わらないくらい自然体だった。でも今はそれが逆に切なさを助長させているように思えてしまう。
そして、もう一つ。“行こうぜ”と言ってくれた言葉に対して、自分はどうすべきなのか。こっちから話を切り出そうとするけれど、不安に惑う心のせいで言えずにいる。
そして、いつも以上に饒舌なマッシュさんと2人で海岸沿いを歩いていた。すると、途中でマッシュさんの足取りがゆっくりになり、やがて立ち止まった。
じっと遠くの水平線を見つめる彼の横顔から物悲しさが伝わってくる。
悲しみに浸る僅かな時間を静かに待っていよう。
そう思って何も喋らず黙って傍に居続けた。
彼が海を見続けるから、自分も同じように見つめ続けている。
いつか歩き出すまでと思っていたけれど、ふとした瞬間その横顔が酷く苦しそうに歪むのを目にしてしまった。
何かを思い出して辛そうにしてるのがはっきり分かるほどで、懸命に気持ちを隠そうとする彼を見てると胸の奥が痛くて堪らなかった。
大きい筈の彼の背中。
それが今は小さく見えた。
“元気を出して”なんて言えない。
“頑張ろう”なんて言えない。
何も言えないならせめて。
そう思って多くを語れない言葉の変わりに、彼の背中に手を添えて優しく擦った。
一瞬、驚いた彼がこっちを見る。そしてまた前を向くけど、深い息をつきながら空を仰ぐと、マッシュさんは隠すように手の平で目元を覆った。
「……ッ……………」
息を詰まらせてしゃがみこんでしまった彼の隣に同じようにしゃがんで、摩り続けた背中。伝染する悲しみに堪えらきれなくて、零れ落ちる涙が自らの頬を伝う。
数える程度しか一緒にいなかった人達を思い泣いている自分と彼とでは、悲しみの重さが違うのは知ってる。
だけど、同じように悲しく苦しいと感じたからこそ涙が出たんだ---。