▽ それは悪戯のようなもの
ある日目が覚めたら、そこは大好きだった世界だった。
別に元の世界に未練はない。けれど起きたら子供に逆戻りは、さすがに驚いた。
幼少期から私は手がかからない子供だったと思う。イヤイヤ期なんてものはなかったし、親の言うことも素直に聞く。両親をはじめ、周りの大人達には『いい子』とよく褒めてもらった。
人一倍物覚えも良かったし、我ながら世渡り上手とはこういうことだなと思った。
それもそのはず。
現在中学二年生。中身は高校をすでに卒業してもうすぐ20歳といったところ。
どこからかあの小さな眼鏡の少年のあの台詞が聞こえてきそうな語呂だ。
私には物心ついた頃から、この世界の記憶があった。
ここは私の知っているあの漫画の世界。時間軸こそあの高校生探偵が活躍するより少し前だが、間違いなくここはあの世界だった。
神様がいるのなら、感謝を伝えたいことと、恨み言を言いたいことの両方があった。
感謝を伝えたいのは、元の世界よりも家族に恵まれ、温かい家庭を選んでくれたこと。それに自分で言うのもおかしいが、優れた容姿に産み落としてくれたことも感謝だ。自分であって自分じゃない。この世界の私は、そういう存在だった。
恨み言を言いたいのは・・・・・・・・・、
「なまえ!早く起きねぇーと置いてくぞ!」
「待ってるから早く降りてこいよー」
窓の外から聞こえる幼馴染み達の声。
彼らがそう遠くない未来、私の前からいなくなってしまうということ。
私は制服のリボンを結ぶと、机の上に置いてあったカバンを手に取る。母親の「行ってらっしゃい」という声に見送られながら、玄関の扉を開けるとそこには見慣れた二人がいた。
壁にもたれながらこちらを見る男の子と、ニコニコと笑いながら私を迎えてくれる男の子。
「おはよ、なまえ」
「遅せぇよ、さっさと行くぞ」
一見すると対照的な二人。
けれど二人とも私にとって、大切な存在だった。
いつものように研ちゃんの隣を歩きながら、昨日見たテレビの話をしながら向かう学校までの道。
なんでいつも研ちゃんの隣かって?
だってそれは、怖いから。
あの漫画が大好きだった私は、今でも話の流れを鮮明に覚えている。
あそこで萩原研二という人間が描かれていた描写はそう多くなかった。けれど松田陣平は違う。
私は彼がこの先どういう選択するかを知っている。それに誰を好きになるかも。
原作にない私という人間が関わったせいで、そこが狂ってしまうのが怖かった。
最初はキャラクターとして見ていた彼ら。けれど関わっていく時間の中で、私にとって彼らはかけがえのない大切な幼馴染みになっていた。
私のせいで彼らの人生が狂う。そんな展開だけはきてほしくなかった。
・・・・・・なんて、それはていのいい言い訳だ。
研ちゃんと違って私のことを女の子扱いなんかしないし、口を開けばくだらない事で
よく喧嘩になる私と陣平ちゃん。
なのに何故か隣にいると緊張する。研ちゃんにするみたいに、気軽に触れるなんてできるわけがない。
それが恋心ゆえだと気付くのにそう時間はかからなかった。
私は気が付くとずっと陣平ちゃんのことが好きだった。
いつから、なんて聞かれると正直分からない。元々あちらの世界でも彼のことは好きだった。けれどこちらで彼と接するうちにに、好きになったら駄目だ、そう思えば思うほど彼への気持ちは大きくなっていった。
好きだと自覚したと同時に、失恋が確定するなんて神様も意地悪だなと思う。
それでも彼らと過ごす時間は私にとって大切なもの。あんな風に彼らを失いたくはない。
いつからか私のこの世界での目標は、彼らの命を守ることになっていた。
*
「好きです!付き合ってください!」
高校に入学して一ヶ月ほどが過ぎた頃。ド定番の呼び出しスポットである体育館裏に呼び出された時点で察してはいたが、直球でぶつけられた言葉に思わずぱちくりと目を瞬く。
昼休み、友達と教室で他愛もない話をしていると一つ上の先輩に呼び出された。ざわざわと騒がしくなる周りに見送られながら彼に着いてくると案の定というべきか、告げられたその言葉。
「ごめんなさい。付き合えないです」
ぺこりと頭を下げる。
この後に言われる言葉もあらかた予想はできていた。
「・・・・・やっぱり萩原か松田と付き合ってるの?」
ほらね。
聞かれ飽きたその言葉に、目の前の彼にバレないように小さくため息をつく。
ていうか、やっぱりってどういうことよ。
「付き合ってないですよ。あの二人は幼馴染みです」
「じゃあなんで・・・っ」
爽やかそうな見た目とは裏腹に、食い下がってくる先輩。不意に掴まれた手首、その力の強さに思わず身をたじろぐ。
振り払おうとしてもしっかりと握られた手は離れてくれない。
男女の力の差。
怖い。そう思った。
「はい、ストップ。その腕離してもらっていい?」
背後から聞こえてきた声。
その声に強ばっていた肩から、少しだけ力が抜けた。
「っ、なんでここに萩原がいるんだよ・・・っ」
私の背後から現れた研ちゃんを見て、先輩の手が緩む。
その隙に私は手を振り払って研ちゃんの傍に駆け寄った。
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫。ありがと」
「可愛いなまえのピンチとあらばいつでも駆けつけるよ」
冗談めかして笑う研ちゃん。けれど私に大丈夫かと尋ねた一瞬だけは、その瞳が真剣な色を帯びていた。けれど次の瞬間には、笑ってちゃらけてるのが彼だ。
彼のそういうところが好きだと改めて思った。
「っ、やっぱりそういう関係なんだろお前ら」
そんな私達を見ていて面白くないのは、私に腕を振り払われた先輩なわけで。キッっとこちらを睨みながら声を荒らげた。
「うるせーな、さっきから。フラれた挙句に喚き散らかすなんてカッコ悪いだけだぞ」
気だるげな響きを伴うその声に、ぴくりと肩が反応する。
「・・・・・・松田・・・」
「さっさと失せろ。これ以上俺の昼寝の邪魔すんな」
「・・・っ・・・」
陣平ちゃんにギロりと睨まれたその先輩は、何か言いたげな視線を残しつつも体育館裏を去っていく。
残された私達。先程までのピリピリとした雰囲気が和らぎ、ほっと一息つく。
「助けてくれてありがとね」
「俺らがここにいて良かったよ。さっきみたいなのって、危ないから気をつけろよ?」
「うん。ちゃんと気をつける」
「分かればよろしい。よしよし、いい子」
私の肩を抱き寄せながら、くしゃくしゃと頭を撫でてくれる研ちゃん。その手の温かさが心地いい。先程の先輩の手とは大違いだ。
研ちゃんはいつも私に甘い。
昔から私は彼にべったりだったと思う。彼も私のことを妹のように可愛がってくれていた。
「なまえなんかのどこがいいんだか。だいたいお前もほいほいついて行ってんじゃねーよ」
研ちゃんの腕に甘えている私に向けられる陣平ちゃんの鋭い視線。
“なまえなんか”
その言葉にチクリと胸が痛む。
「こーら、陣平ちゃん。そんな言い方しちゃダメでしょ。素直に心配だって言えばいいのに」
「っ、うっせー!そんなんじゃねぇーよ!」
ふんっと鼻を鳴らすと私達に背を向けて歩き出す陣平ちゃん。
「どこ行くんだよ」
「便所だよ!便所!」
研ちゃんと二人きりになった体育館裏。
階段に腰掛けた彼が、ぽんぽんと隣を叩く。
「おいで。さっき陣平ちゃんとお菓子食べてたんだ。なまえも食べるだろ?」
差し出されたのは私の好きなチョコレート。
「うん!食べる!」
それを受け取り口に運ぶと、甘いチョコレートの香りが口の中に広がる。
「んんー、美味しい!」
「そりゃよかった」
雲ひとつない青い空が頭上に広がっていた。吸い込まれそうになるくらい綺麗な空。思わず目を奪われる。
「陣平ちゃんは心配してただけだよ。あんなこと思ってないから」
「・・・え?」
優しく目尻を下げて笑う研ちゃん。
その瞳は、まるで私の心の中を見透かしているかのようだった。
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