君ありて幸福 | ナノ
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▽ こぼれたミルクに泣かないで



月日が流れても、一度できた溝はなかなか埋まってはくれない。


会えば挨拶もするし、世間話もする。一見すると何も変わらない。けれど間違いなく私と陣平ちゃんの距離感はあの日を境に変わってしまった。



それでも時計の針は止まってくれない。拍車をかけるように、陣平ちゃんと研ちゃんが警察学校へ入校する日が決まった。


今までは住んでいる場所も近くで大学も同じだったから。会おうとしなくても、会うことが出来た。けれどこれからは違う。





「寂しくなるねぇ」

ベランダの手すりに両肘をついたまま煙草を吸っていた研ちゃんがぽつりと呟いた。


ゆらゆらと吐き出された白い煙を見ていると、なんともいえない寂しさと不安感が胸を覆う。


私はベランダに置いてあったサンダルを履き、研ちゃんの横に立った。



「こら、煙草吸ってる時は近付くなって言ったろ」
「気にしないっていつも言ってるのに」


私が隣に立つと研ちゃんは、まだ長さの残る煙草を灰皿に押し付けて火を消した。


私が近くにいる時は煙草を吸わない。そんな研ちゃんの小さな優しさ。


「松田とこのまま離れていいの?」

こちらを振り返った研ちゃんと視線が交わる。


あの日から幾度となく聞かれたその言葉。私達のことをずっと心配してくれていた彼のその言葉に、胸の奥がちくりと痛む。


きっとこれが最後。


「・・・・・・うん。きっと時間が経てば、またただの幼馴染みに戻れるから」
「ただの幼馴染み・・・・・・ね。なまえが後悔しないならそれでいいけどさ」
「いつも心配してくれてありがとね」


私の心にぽっかりと空いた穴。きっと時間が解決してくれる。そう自分に言い聞かせた。


けれど時間が解決してくれない問題もある。




そう、研ちゃんが二十二歳を迎えたのだ。


進んで欲しい時計、そして同じくらい止まって欲しい時間。



残された時間は長くない。


いやでもその事ばかり考えてしまう。



「最近そんな顔すること増えたよな」
「え?」
「眉間に皺を寄せて考え込んだかと思ったら、泣きそうに顔歪ませるの」


私の顔を真似るかのように、わざとらしく眉をよせた研ちゃんが小さく笑った。


私達の間を柔らかな風が吹き抜ける。



「警察官になった俺達が何か事件に巻き込まれる。あれだな、殉職ってやつ」
「っ、・・・!!」
「その顔はビンゴだな」


まるで何かのクイズに正解したかのように、ケラケラと笑う研ちゃん。私は彼の口から紡がれた“殉職”という言葉に、声を詰まらせた。


「ずっと考えてたんだ。俺や陣平ちゃんが死ぬ理由。警察学校の話した時のなまえがあんな顔した理由も踏まえて考えたらそれくらいしかないかなーって」
「・・・・・・何で・・・・・・」
「ん?」
「何でそんな風にすんなり私の言葉を信じてくれるの・・・?」


自分が近い将来死ぬなんて、言われて嬉しい人間はいないだろう。


未来を知っているなんて到底信じられる話じゃない。


あの日、私の話をすんなり信じてくれただけでも普通はありえないのだ。けれど目の前のこの人は、その私の言葉の向こう側をずっと考えてくれていた。


気がつくと震える声でそんな事を尋ねていた。



「なまえだから。他の誰でもないお前だから。理由なんてそれしかない。例え突拍子のない話でも、俺はそれを信じるよ」
「・・・っ・・・」
「きっとそれは松田も同じ。ガキの頃からずっと一緒にいたからな、俺達三人」


優しく笑った研ちゃんの右手が私の頭へと伸びた。くしゃくしゃと頭を撫でてくれる温かい手。


思わず涙腺が緩みそうになる。



「何があっても守ってやるって約束しただろ」


それはいつかの放課後、研ちゃんが私にくれた言葉。


「っ、私は研ちゃんにもいなくなって欲しくない・・・!!二人ともに生きてて欲しいの」
「分かってるよ。まぁでも陣平ちゃんは後先考えずにアクセル全開で突っ走っちゃうことがあるから。それを止める為に俺もついてくことにしたんだ」
「・・・・・・研ちゃん・・・」
「だから心配しなくていい。俺達は死なない」


頭を撫でていた手が私の肩に回る。

そのまま引き寄せられ、ぽすりと研ちゃんの胸に体がおさまる。


どくん、と聞こえる心臓の音。



「・・・・・・ねぇ、研ちゃん・・・」
「ん?」


いなくならないで。


そんな気持ちを込めて彼の胸元のシャツをぎゅっと握った。


「私ね、二人のことが大切なの」
「うん。知ってる」
「例え他の誰かを犠牲にしても・・・・・・。例えそれが数え切れない人だとしても、二人には生きていて欲しい」



最低なことを言っている自覚はあった。


1200万人。
数え切れないその命の重み。


けれど私にとっては、二人の方が大切なのだ。



「自分のことを一番に考えて欲しい。ヒーローになんてならなくていい。ただ生きていてくれたらいいの・・・っ・・・」


堪えきれなかった涙が、研ちゃんのシャツに小さなシミを作った。


そんな私の背中に研ちゃんの腕が回る。



「なまえの頼みでもそれは無理かな」
「・・・っ・・・」


私は思わずばっと顔を上げた。


至近距離で交わる視線。私を見る研ちゃんの瞳は、いつもと同じくらい優しい。



「俺が一番に考えるのは、なまえのことだから。ちなみに次は陣平ちゃんのことかな」
「・・・っ、馬鹿・・・」
「手のかかる幼馴染みがいると大変なんだよ。二人とも素直じゃないからな、ホントに」


ケラケラ笑いながら私の額をつんと人差し指で小突く研ちゃん。


冗談めかしていてもその言葉の根っこは真剣なもの。


私は思わずぎゅっと研ちゃんの腰に腕を回した。



「相変わらず甘えただな」
「研ちゃんにしか甘えてないもん」
「ははっ、なら許す」


声をだして笑う研ちゃんにつられて私も笑う。


どこまでも私を甘やかしてくれる優しい人。


どんな私でも受け入れてくれる。


いつもそんな彼に甘えていた。


研ちゃんの気持ちのホントの部分なんて、この頃の私は知らなかった。



ごめんね、ありがとう。


きっと彼には何度伝えても足りないその言葉。


もっと早くに気付けたらよかった。
今となってはそう思わずにはいられなかった。

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