▽ 8-3
目が覚めるとそこは無機質な白に包まれた部屋だった。
あぁ、病院か。
右手から伸びる点滴のチューブが視界に入り、あそこで自分が意識を失い病院に運ばれたであろうことを知る。
「目が覚めましたか?」
ふと隣から聞こえてきた声。
声の主の方へと視線を向ける。
「・・・・・・っ、風見さん?」
会ったのは数えるくらいのこと。それでも零の仕事絡みの人だったのではっきりと覚えている。
あの日と同じくスーツ姿でこちらを見つめる彼の瞳からは、私を心配してくれていることが伝わってきて申し訳なさを感じる。
けれどそれと同時にズキリと痛んだ胸の奥。
風見さんが偶然私が倒れる現場に居合わせるなんてこの広い東京で有り得るんだろうか。きっとそんなことはない。
「体調は大丈夫ですか?医者が言うには、軽い熱中症と栄養失調だそうです。数日は入院が必要とのことでした」
「・・・・・ご心配おかけしてすいません」
「自分はたまたま居合わせただけで・・・」
初めて会った時に思った。
彼もまた優しい人なのだと。
零のことを尊敬していると言っていた彼。
それは心からの言葉で、そんな尊敬する上司からの頼みならきっと・・・・・・。
「・・・っ、ぐすっ・・・」
まとまりのない感情が胸の奥から込み上げてきて、気がつくと頬を涙が伝っていた。
「っ、みょうじさん?大丈夫ですか?どこか痛むところでも・・・?!」
慌てて立ち上がった風見さんがナースコールを押そうとしたのを、やんわりと左手で制す。
「・・・っ、ごめんなさい・・・。・・・・・・零に言われたんですよね?」
「っ!」
涙を拭いながら彼を見る。びくりと跳ねた肩が、私の予感が正解だと教えてくれる。
なんと答えていいのか、気まずそうに視線を左右に動かす風見さんの姿を見て申し訳なさが募る。
「・・・巻き込んじゃってごめんなさい。私が倒れたこと、もう零に報告しちゃいましたか?」
「いえ、まだ何も連絡していないです。・・・・・何と報告すべきか考えあぐねていました」
椅子に腰かけた風見さんは、零から私のことを気にかけて欲しいと頼まれたこと。そして仕事の合間で私の様子を見守ってくれていたこと、今日もその時にたまたま私が倒れて病院まで運んでくれたことを教えてくれた。
「こんな事を自分が言うのはおかしいのかもしれませんが、最近の降谷さんは私が見ていても分かるくらいに無理をしています」
「・・・・・・」
「・・・・・・それはみょうじさんも同じですよね?」
それはあの夢の中で、私と零を似ていると言ったヒロくんの言葉を思い起こさせる言葉。
「みょうじさんが眠っている間、ずっとうわ言のように名前を呼んでいました。一人は降谷さん、もう一人は・・・」
「ヒロくん・・・ですよね」
「えぇ。降谷さんの幼馴染みということは、みょうじさんも諸伏さんを知っているということですよね」
遠慮がちにそう尋ねてきた風見さん。不思議と嫌な気はしなくて、自然と口を開いていた。
「ずっと三人一緒だったんです。私は昔からヒロくんが大好きで、同じくらい三人で過ごす時間が大切だった」
私のまとまりのない昔話を風見さんは、黙ったまま聞いてくれた。
ヒロくんの夢を見たせいなのか、昔の出来事が鮮明に頭に浮かぶ。
「降谷さんは今でもみょうじさんのことを大切に思っていると思います」
話を聞き終えた風見さんは、言葉を選びながらはっきりとそう言った。
その言葉にまた涙が込み上げそうになり、それをぐっと飲み込んだ。
「・・・・・・だから私達は駄目なんです」
零が今でも私を大切に思ってくれていることは、痛いくらいに伝わっているのだ。
お互いに誰より大切だと思っている。
だからこそ相手の幸せを願うのだ。
自分といては過去を引きずってしまう。
そんなことばかり考えてしまう。
夢の中のヒロくんは、小さな毎日の積み重ねが幸せだと言ってくれた。たしかに零と過ごしてきた数年間、私は幸せだったのだ。
それでも零は、私が過去を忘れて幸せになることを望んでいる。
それは零と一緒にいる限り叶えられないこと。
「話を聞いてくれてありがとうございました。風見さんの立場的に難しいのかもしれないけど、今回のことは零には内緒にしてくれたら嬉しいです。また余計な心配かけてしまうので」
「・・・・・、みょうじさんは大丈夫なんですか?」
「大丈夫。私こう見えても強い方なんで」
精一杯の強がりでにっこりと笑顔を向けると、少しぎこちなさは残るが笑みを返してくれた風見さん。
仕事も忙しいだろうにずっとついていてくれたことに感謝を伝え、半ば強引に彼を見送った。
一人きりになった病室。
付けっぱなしになっているテレビの音だけが響いていた。
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