▽ 3-1
時計の針が七時をさす少し前。準備を終え、朝食を食べ終えた零は仕事へと向かう。
ラフな私服姿であることからして、今日はあの喫茶店でバイトかな?と思うが、本当のところはわからない。彼の予定を把握できる人間なんて、多分この世に彼本人しかいないだろう。
別にそれを問い正そうとも思わないし、彼の立場上全てを私に話せないことも理解している。
「行ってらっしゃい」
「朝飯いつもありがとう。行ってくる。ちょっと今日は遅くなるかもしれないからまた連絡する」
カチャリとドアがしまったのを確認して、リビングに戻り飲みかけの珈琲に手を伸ばす。
毎日同じ日常の繰り返し。
起きて、家事をして、零を見送って、自分も仕事に向かって、仕事を終えると家で零の帰りを待つ。そして一日が終わる。
なんとも代わり映えのない毎日だ。唯一違うことといえば、零の帰ってくる時間や仕事に行く時間が違うことくらいだろうか。忙しいはずの彼だけど、できるかぎりこの家に帰ってきてくれる。
つくづく私の幼馴染みは、優しい人だなと思う。私が一人にならないように。
私にはもう彼しかないないのだ。
*
さぁ仕事も終わったし帰ろうと思い、パソコンの電源を落とす。机の上の私物達を鞄に片付けていると、隣の席の同僚がすっと椅子を近付けてきた。
「なまえちゃん、今日これから時間ある?みんなでご飯行こうって話してるんだけど、一緒に行かない?」
社員の年齢層が近いこともあり、うちの会社はみんな仲がいい。こうやって飲みに誘われることも少なくはないし、特に断る理由もない。
零も帰りが遅いと言っていたし、参加しても問題ないだろう。朝の零の一言を思い出し、同僚にイエスの返事をすると彼女はにっこりと笑った。
集まったのは、新人と呼ぶには会社に長くいるし中堅と呼ぶにはまだ早い。すなわち私と同じ二十代後半の男女五人だった。いつもと特に代わり映えのするメンバーではないし、気心も知れているので飲んでいて楽しい面々ではあるのは間違いない。
「「「乾杯ー!!」」」
この歳になると可愛らしいカクテルなんて頼む人はいなくて、みんな当たり前のようにビールからスタートだ。机の上に運ばれてきた、金色のしゅわしゅわとした泡をごくりと飲み干せば一日の疲れも癒されるものだ。
仕事の愚痴や、最近流行りのドラマの話。話題は尽きることがなくて、アルコールも進む。
「なまえちゃん、お酒減ってないよ〜、飲め飲め〜」
「みょうじまだ全然シラフじゃねーか!ほら、ビール頼んでやる!」
同僚達の悪ノリも今に始まったことじゃないし、私自身この空間は楽しくて好きだ。
「よーし!飲みまーす!」
運ばれてきたビールにまた手を伸ばす。
アルコールが齎してくれる気持ちのいいこのふわふわとした感覚。難しいことを考えなくても、この酩酊感に身を任せていれば楽しい。
一人で家にいるよりいい。
ここにいる人は、彼を知らないのだから話題に上がることも無い。思い出さなくていいのだ。
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