▽ 8-11
Another side
みょうじ なまえ。
喫茶ポアロの常連客。
彼女自身も近くの喫茶店で働いている。
毛利小五郎らとも交流があり、探偵事務所にも何度か出入りをしているのを確認した。
そして最近バーボンの隣によくいる女。
彼は彼女のことを隠しているようだが、私相手に隠し通せると思っていたんだろうか。
きっかけは彼が私を車に乗せる時、少しだけ窓を開けるようになったこと。
そしてその疑惑が確信に変わったのは、たまたまポアロで彼女とカウンター越しに話す彼を見たことだった。
頭はキレるし、命令には冷酷なまでに忠実な男。いつもニコニコと笑っているが、あの男の瞳の奥はいつも笑っていない。
そんな彼があんな風に優しく誰かを見つめているのを見たのは初めてだった。
安室 透 として人当たりのいい笑顔を皆に向けている時とは違う。きっと心の底からその人を大切に思うからこそ出るその表情。
「まだまだ子供ね」
立ち寄った喫茶店で紅茶を飲みながら、そんな言葉が小さく口からこぼれた。
そう、ここはみょうじ なまえの働く喫茶店。
立ち寄ってみたのはほんの出来心。
別にあの男のプライベートに興味はない。
けれど彼女のことを口に出すと珍しく表情を崩した彼は揶揄うには面白かった。
組織に関わらせたくないんだろう。
話を濁した彼からは、そんな気持ちが見え隠れしていた。
「新しい紅茶お持ちしますね」
空になったカップを見て声をかけてきたのは、彼の想い人であるみょうじ なまえ。
優しく笑う彼女。飛び抜けて美人かと聞かれるとそうではないが、可愛らしい印象を受ける。
「ありがとう」
こんな真昼間に変装なしで彷徨くのもあれなので、今日の私はどこにでも居る中年女性の変装をしていた。
「なまえちゃん、この前はありがとう。娘にも喜んでもらえたよ」
「よかったですね。私も一緒にプレゼント選んだかいがありました」
「これはお礼だよ。あとでゆっくり食べな」
常連らしき初老の男性からお菓子のような紙袋を貰い、嬉しそうに笑う彼女。
ここに来て一時間足らず。彼女を見ていて気付いたことがあるとするならば、周りの人にとても好かれているということ。
店長らしき女性はもちろん、やってくる客は男女や年齢問わずニコニコと彼女に話しかけ会話を楽しんでいるようだった。
彼女の持つふんわりとした空気が、周囲を和ませているのだろうか。
あの男もそれに絆されたのか。
ガチャン!
そんなことを考えていると、机の上に置こうとしたカップが手から滑り落ち床へと落ちる。
もちろんカップは大きな音を立てて割れた。
「っ、大丈夫ですか?」
一番に駆け寄ってきたのはみょうじ なまえ。
「・・・えぇ、ごめんなさい。手を滑らせてしまって」
床に落ちたカップの破片を拾おうとした私の手を彼女が掴み止める。
「片付けるんで大丈夫ですよ。怪我したら危ないので触らないでください。破片が飛んでるかもしれないので、あちらの席に移動しましょう」
私の手を引き、空いている席へと案内してくれる彼女。そして新しい紅茶を持ってきてくれる。
「カップ割ってしまってごめんなさいね」
「怪我がなくて本当によかったです」
もう一度謝ると、視線が交わり優しく下がった目尻。
きっと心から私のことを心配してくれている彼女。それは私だからじゃない、きっと誰に対しても彼女はこうなんだろう。
「・・・・・・眩しいわね」
「え?」
「何でもないわ。本当にごめんなさいね」
小さく呟いた言葉は彼女の耳には届かなかった。届けるつもりもなかった。
柔らかい陽向にいるような彼女と、真っ暗な闇の中に身を置く自分。
彼女の笑顔は私には眩しかった。
エンジェルまではいかない。
けれど彼女もそちら側の人間。
「ありがとうございました!」
会計を済ませ店を出ると、角を曲がって見えなくなるまで頭を下げて見送ってくれる彼女。
どうしてバーボンが彼女に惹かれたのか少しだけわかった気がした。
彼女やエンジェルのような人間の近くにいると、少しだけ自分が綺麗になれる気がする。
エンジェル達のことのように身をていしてまで、彼女を守りたいとは思わない。けれど彼にとっての彼女はそういう存在なのかもしれない。
*
「貴方もなかなか大変ね」
「何のことですか?」
「綺麗な女性の代わりはいても、居心地のいい女性ってなかなかいないものよ」
「はぁ・・・。何の話か全く見えないですね」
「子猫ちゃんには、首輪をしっかりつけておかないと逃げられるわよ」
その日の夜。
任務帰りのバーボンの車の中。
彼女を大切にする彼の姿が、少しだけ自分と重なって、くすりと笑いがこぼれた。
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